小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

のっぺらぼう

INDEX|11ページ/30ページ|

次のページ前のページ
 

 手に持った荷物は、来る時よりも確実に増えている。ボストンバッグだけだったものが、手提げ袋をいくつも手に持っている光景が見られるのは、駅ならではの光景である。新幹線に初めて乗ったという人もいるだろう、修学旅行とは、それまで表に出ていなかったそれぞれの家庭の貧富の差が露呈されるところでもあるが、それは自分たちが身につまされるものでもあった。
「修学旅行には行きたくない」
 という生徒も多い。貧富の差だけではなく、学校での立場が、修学旅行ではさらに確立されるからなのかも知れない。被害妄想なのかも知れないと思うが、先生の目の届かないところが一番出るのが、修学旅行なのかも知れない。
 私はずっと修学旅行に行きたくないと思っていた。普段から苛めに近いものを受けていたことで、知らない土地でどんな目に遭わされるかという恐怖が消えなかったからだ。
 だが、修学旅行に来てしまった。
「修学旅行、楽しんでおいでね」
 何も知らない親は、子供の修学旅行を心底喜んでくれている。そんな親に、
「苛めが怖いから、修学旅行には行かない」
 などと言えなかった。普段の学生生活も、無難にこなしていると思っていることだろう。
「お土産なんて気にしなくてもいいからね」
 と言いながら、いかにも「お土産代」も含んだところでのおこずかいを弾んでくれていた。
 おこずかいを自分勝手に使うくらいの気持ちを持っているのなら、学校で苛めに遭うようなこともないだろう。言われたことだけを忠実にこなすことを信条としている私には、人に逆らうなどという言葉は出てこないのだった。
 お土産は誰もが買うようなもので、別に珍しいものは買っていない。下手なものを買っていって、
「何なの、これ」
 と、一瞥されてしまっては、せっかく真面目に買ったお土産が惨めになるだけだ。お土産が惨めだということは、自分が惨めだということである。それは思考回路が停止している証拠だった。
 何かを考えようとすると、必ず堂々巡りを繰り返す。大切なことを決めなければならない時、
「すぐには決められないだろうから、三日ほど時間をあげよう」
 と、そんなセリフをテレビドラマで聞いたことがあったが、考えているとすぐに壁にぶつかって、再度戻って考えるようになる。それ以上のことを考えようとしても、考えが及ぶことはない。いくら考えても繰り返すだけで、下手をすると一度決めかけたことを、ふりだしに戻してしまう。
――皆、時間があればあるほど、いい考えが浮かんでくるんだろうか?
 一度考え付いたことを、再度考えようとすると、自分の考えが一番素晴らしいと思い込んでしまうらしい。本当はまだまだ考えが浅いのだと分かっていても、潜在意識から逃れることはできないのだ。
 修学旅行に来ようと思ったのも、いろいろ余計なことを考えて袋小路に入ってしまうくらいなら、最初に思い浮かんだ結論を正しいと思うのが一番だと思った。二度目の結論、三度目の結論が出たとしても、結局は最初に考えたものよりもいいものはないのだと思うからだ。
 修学旅行というのも本当に疲れるものだ。
 ただ、私が危惧していたような苛めはなかった。取り越し苦労だったわけだが、何もなければそれに越したことはない。それでも、余計なことを考えさせられたことに、私は少し苛立ちも覚えていたのだ。
 中学の修学旅行ということで、国内となった。その中でも三つの班に分かれての行動となったのだが、私が行った中で一番楽しかったのは、民話の里と言われ場所だった。昔ながらの茅葺屋根が残っていて、博物館になっているところもあった。だが、中には本当に昔ながらの家に住んでいる人もいて、町おこしとして、観光客には家を解放し、観光案内も家主が自ら行っていた。
 小さい頃から怖がりのくせに、遊園地のお化け屋敷などに入るのが好きだった。お化け屋敷とは趣旨が違っているかも知れないが、ミラーハウスのようなところも好んで入ったものだった。
 ミラーハウスには、最初従妹の女の子と一緒に入った。自分よりも年が一つ下だったが、私には、同い年か、年上と思えるくらいに頼りがいがあるように見えた。実は彼女の方では一つだけの差以上のものを感じていたようで、上から見下ろすのと、下から見上げるのとでは感覚が違うようだ。
 だが、それは子供の頃の年齢にだけ言えることで、実際に建物の上から見ているのと、下から見上げるのとでは、誰が見ても見下ろす方が遠く見えるのではないだろうか。年齢にしても、私と彼女が感じたことだけであて、他の人は違って感じるかも知れない。それを思うと、彼女とは、気が合う性格だったように思えてならない。
 ミラーハウスの中に入ると、すぐに息が苦しくなる。入ったことを後悔する瞬間だった。息苦しさもある程度まで来ると、元に戻そうとする意識が働くのか、次第に楽になってくる。一度楽になってくると、今度は、鏡が見せる広さと狭さの狭間にある不思議な空間を、一緒に誰かと味わいたくなってくる。それが彼女であり、彼女も同じことを思っていたようだ。
「お兄ちゃんと、一緒にいると安心するのよ。私のそばから離れないでね」
 この言葉をいつも待っている。鏡に映った無数の彼女の誰がしゃべっているのか分からないが、彼女も無数の私の誰に話しかけているのか分からないのだろう。普段は恥かしくて言えないことも、ここでなら言えると思っているのかも知れない。無数の自分が聞くまでの時間は、どれだけあればいいというのだろう。表に出てくるとドッと汗が噴き出しているのは、時間が永遠であるという錯覚を無数の自分から感じたからだった。
 遊園地のお化け屋敷はそれから比べると、子供だましに感じられる。ミラーハウスを知ってからというもの、お化け屋敷への興味は薄れていった。だが、お化け屋敷のチャチイが妖気な雰囲気を醸し出しているようで、健気な様子が伺える。
 茅葺屋根の世界は、私にとって新鮮だった。以前家族で行った飛騨高山の合奏づくりの家を思い出し、一緒にいるのが家族ではなく、学校の友達だというのも、新鮮あ気分だった。
 学校ではあまり目立たない性格で、いるかいないか分からないようにしていた。苛めの対象になってしまうのが嫌で、いつも端っこにいた。しかし最近ではあまり端っこに寄らないようにしている。あまり端っこに寄りすぎると、今度は目立ちすぎてしまうことに気付いたのだ。自分の立ち位置を気にするようになって、苛めている連中の気持ちも苛められている子の気持ちも少しずつではあるが分かるようになっていった。
 その時々で気持ちが変わっている。一度に考えることは、どうしてもどちらかに寄ってしまうのだ。苛められている側を贔屓目に見る場合と、苛めている側を贔屓目に見る場合があるのだ。
「苛められる方も、それなりに理由があるのさ」
 これが苛める側の言い分なのだろうが、それなりの理由というだけで、具体的に言葉で言い表せないことで、言い訳にしか聞こえなかったが、苛める側に立ってみると、なるほど、時と場合によっては、全面的に否定できないところもあった。
 元々、小学生の頃、私も苛められる側の人間だったので、苛める側の気持ちなど考えようとも思わなかった。すべてが理不尽で、
作品名:のっぺらぼう 作家名:森本晃次