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短編集60(過去作品)

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 と感じなければ。この人の作品の本当の主題を見つけることはできないのだ。
 実際に読み返してみると、
「なるほど、一度では分からないや」
 と感じる。落としどころがどこなのか、読めば読むほど、作者の感じ方に触れることができる。そんな小説家も珍しいかも知れない。
――大人の小説――
 と、週刊誌などで書かれていたが、まさしくその通りだ。
 では、何が大人の小説といえるのだろう。
 最初に感じたのは、嫌味のないという意味だと思った。テーマがそれほど壮大でもないのに、最後は必ずどこかぼかしている。ハッキリと言い切っていないところが、大人のたしなみを感じさせる。言い切ってしまうと主張になってしまい、考えの押し付けになるだろう。
 サスペンスやミステリーなどは、謎解きがあるので、ぼかしてはいけないのだろうが、ホラーや恋愛小説などは、謎解きというよりも、テーマから謎を与えることで読者に幅広い想像力を掻き立てる。それが余韻となって、後味を残すのだ。
 加藤は恋愛小説は苦手だった。
 恋愛小説は、人間の奥底にある感情を中心に描くので、どうしても外見は不倫であったり、ドロドロとした人間模様が繰り広げられるものが多い。しかも自分に経験があれば、実感として湧いてくるものなのだろうが、経験のない人にとってはドロドロしたものをどう感じるかによって違ってくる。
 加藤は、人間関係のドロドロは苦手だった。同じドロドロであれば、一人の人間が陥ってしまう恐怖の方が分かりやすい。一度読んだだけでは一方からの発想になってしまうほどぼかしている小説ではあるが、恋愛小説よりも分かりやすいと思うのは加藤だけであろうか。
 夢で見た内容の小説を本棚から持ってきた。
「いつ読んだんだっけ?」
 つい最近読んだような気がしていたが、本棚に並んでいるのを見ると、かなり以前に読んだものだった。
 本棚に読んだ本を並べる時、ほとんどの人は作家順、さらには、出版社の発行順に並べるのだろうが、加藤は、自分が読んだ順に並べている。さすがにハードカバーと文庫本は分けているが、同じ大きさの本であれば、読んだ順に並べている。もう一度読んでみたいと思う小説が多いだけに、読んだ順に並べておくと、いつ頃読んだものなのかを思い出すことができるからである。
 本棚を見ると、文庫本だけで三段くらいになっている。そろそろ百冊を数えようとしている。
 最初の方はミステリーが多く。結末がハッキリとしたもので、さらには、読んでいてストーリーが時系列で順番に並んでいるものを好んで読んでいたことを示している。
――流れるようなストーリー――
 ミステリーにはそれがある。
 またミステリーには決まった登場人物がシリーズで出ていて、主人公が決まっていると、作品も読みやすい。性格がつかめているだけに、ある程度の展開が読めるからだ。娯楽小説として人気が高いのも頷ける。
 それだけに、ホラーを読むと、最初はどこか物足りなかった。最後がキッチリと終わっていないからである。
「もう終わりなのか?」
 拍子抜けしてしまった頭にモヤモヤしたものを感じた。そして、また違う作品を読むと、これも同じで最後が拍子抜けしてしまう。何がモヤモヤとした感覚になるのか分からずに、しばらくして読み直すと、不思議と同じストーリーを読んでいるのに、どこか違った雰囲気を感じてしまう。
 最後まで読み切ると、前回に読んだモヤモヤが消えていた。最初からモヤモヤが残るだろうという先入観で読んでいるからかも知れないが、見えていなかったものが見えてきたように感じるからだ。
 それからは、最初に読んだ作品であっても、モヤモヤしたものはなくなった。
「もう一度読み返してみよう」
 と思うようになったからだ。
 いつの間にか、作風に引き込まれていった。さすがにミステリーほど読みやすいものではない。だが、読み込んでいくうちに、文章に小気味よさが感じられ、いつの間にか結末に近づいている。近づいてきたことが分かるようになると、それまで読んだ内容を頭の中で反芻し始める。反芻することによって、ぼかしを自分なりに想像するようになると、自分の想像どおりの結末に近いものを感じる。
 だからぼかしが必要なのだ。最後が想像どおりなら、してやったりという気分になれるだろうが、物足りなさも感じることになる。それでは大人の小説としての意味がない。
 仕事が忙しくなればなるほど、生活が充実してくるようで、読書の時間も取りたくなる。一日に一時間でも三十分でもいい。寝る前に読書をするようにしていた。
 仕事で集中していると、帰ってきても、どこか気持ちが高ぶっていたりするものだ。布団に潜り込んでもすぐに眠れるわけではない。活字を読んでいるうちに自然と眠たくなるのが一番気持ちよく睡眠に入れるこつでもあった。
 いつの間にか眠りに入っている。
 起きてみると、その時に見た夢を覚えている時と、まったく記憶にない時がある。記憶にない時は、目覚めがあまりよくなく、目が覚めるまでに少し時間が掛かる。しかし、夢を見た時は、起きてからも夢だったと分かるもので、ただそれが寝る前に読んだ本が影響した夢であると、あまり目覚めはよくなかったりする。きっと、本の内容を思い出そうとする葛藤が自分の中であるのだろう。
 本の内容に関わらず見た夢は、素直に夢として受け入れることができて、起きている世界とまったく違った自分が夢の中で展開したイメージが強い。したがって、夢の中の時間は別次元の世界であって、寝ていた時間の感覚が麻痺してしまっている。起きてから感じるのは、
――寝る前から時間が経っていない――
 という感覚だった。
 前の日一日があっという間に過ぎてしまったように思う。そして、今日という一日の始まりであるにも関わらず、その日もあっという間に過ぎるであろう予感を感じさせていたのだ。
 最近は毎日があっという間である。夢を見ていて、起きる時に意識がハッキリしてくるまでは覚えているのだが、目が完全に覚めてしまって、朝の行動を始めてしまうと、夢への意識は遠のいてしまう。
 そんな中で建物が壊れていく夢はセンセーショナルなものを加藤に残した。夢は子供が見るような夢だったが、意識がハッキリしてくるにしたがって、残ってくる夢の内容は、老朽化してくるものに対する問題だけだった。
 意識がハッキリしてくると、攻撃された意識は薄れてきて、老朽化してくるものの崩壊という切実なる問題が残ってくるのだ。より現実味を帯びてくるということだ。
 建物の崩壊は、自然なものでなく、人為的なものであれば見たことはある。
 鋼鉄のボーリングが、コンクリートの壁を叩いて、次第に瓦礫の山を築きあげていく。さらに、巨大なビルであれば、ダイナマイトを使って一気に崩落させるシーンをテレビ中駅で見たこともある。
 テレビであれば、音にしてもかなり抑えてあるだろうから、実際の迫力が伝わってくるわけではないだろうが、かなり鮮明なショックを与えられたことを加藤は意識している。
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次