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短編集60(過去作品)

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 逃げ惑っている自分は、とにかく必死である。上を見ないように必死で逃げているのだが、見つめている自分には、どう逃げれば危ないか、分かるのだ。
 指示を出したいが出せないもどかしさが苛立ちになって襲い掛かってくる。まわりのものがどんどん崩れていく光景は逃げ惑っている自分には決して見ることができない。いくら夢の中で自分が二人いるとは言いながら、本当の自分は一人である。恐怖を感じながら、苛立ちも、さらには、建物が崩れ去っていくさまを言い知れぬ恐怖が襲いながら見つめている。これを悪夢といわずして何と言えばいいのだろう。
 敵が何者であるかまでは分からない。宇宙からの侵略なのか、他の国からの攻撃なのだろうかも分からない。それは想像ができないからだった。
 夢というのは潜在意識が見せるものである。何かのテーマを警鐘として、それが次第にドラマのように展開される。自分が演出、脚本、さらには主演しているドラマが夢である。
 それほどのバイタリティがあるはずもない自分が、これだけのことができるのは、潜在意識の成せる業だとしか考えられないではないか。
 潜在意識の中で、他の国からの戦争という方がよりリアルで、恐怖感がある。他の星というのはあまりにも意識の中で卓越していて、却って子供じみた考えになってしまうのだった。
「危ない」
 思わず声を上げそうになった。
 決して声を上げたり、音がしないのが夢の世界である。それは目が覚めてから感じることなので、本当かどうか定かではないが、少なくとも、夢から覚めて思い出そうとすると、記憶の中に声として残っているものはなかった。
 だが、最後に建物が崩れて、逃げ惑う自分に倒れこんでくる瞬間、確かに悲鳴を聞いたような気がした。悲鳴というよりも、
「ぐわっ」
 という実に短く、低い声がしていた。風の音の錯覚ではないかと言われても仕方がないほどの音だ。
――ぐしゃっという潰れる音だったのかも知れない――
 とも感じるが、とにかく何か柔らかいものを噛み潰した時のような気持ち悪さが残る音が夢の最後に聞かれたのは事実のようだ。
 その瞬間が夢から覚める合図だった。肝心なところで目が覚めるという夢の常道にまたしても陥った形である。
 今から思い出してみると、かつて覚えている夢が肝心なところで目が覚めたという記憶、その中に何かの音が混じっていたのではないかという考えが浮かんでくる。今まで感じなかったのが不思議なくらいだが、肝心な時に起こす音が、今回のように気持ちの悪いものではなかったからなのかも知れない。
 夢から覚める時というのは、何かのきっかけがあるのだろう。今回は、「音」がそのきっかけだったということである。
――あんな気持ち悪い音、初めて感じた――
 最初は夢の内容よりも、音に対して気持ち悪さがあった。
 金属同士がぶつかったり、コンクリート同士がぶつかったりする音は、決して気持ちのいいものではない。だが、硬いものが柔らかいものを押し潰す音は、なかなか聞けるものではない。聞いたとしても実に気持ちの悪いものになるに違いないことを分かっていたからだ。
 その夢をしばらく忘れることはないと思った。少なくともその日は頭に残っていることだろう。
 その日の夜には夢は見なかった。見なかったら、前日に見た夢を忘れるものなのだろうが、却って鮮明に思い出すくらいだった。それだけ印象に残った夢だった。
 今までなら、時間が経てば、次第に気にならなくなるものだが、これだけは違った。実際に生活に密着することだからである。
 今までに戦争の夢を見たりしたこともあった。実際に経験したわけではないが、経験したみたいにリアルな夢だった。加藤は、経験していないことでも夢の中では想像以上にリアルな夢を見ることがある。それだけ想像力豊かなのだと思っているが、それだけではないのかも知れない。
「何かが降りてくる」
 別に宗教団体に入っていたり、信仰深いものがあるわけではない。あるとすれば霊感のようなものなのかも知れない。
 学生時代には、よく小説を読んだものだ。SF小説やホラーを読んだりしていた。ホラーもサイコホラーもあれば、身近なところでの誰でも陥ってしまいそうな怖い話であったりする小説も好んで読んだりしたものだ。
 その時代時代でブームがある。最初は、話題の小説ばかりを拾い読みしていたが、次第にホラーに造詣を深めていった。一番想像力が豊かになるからだ。
 サイコホラーも次第に飽きが来て、身近なところでの恐怖を感じさせる小説を中心に読むようになっていた。
 小説を読み込んでいくうちに一人の作家に注目して読むようになった。
 ショートショートや短編が中心の作家で、
「短い小説ほど、難しいものはない。短いだけに一文章でも気を抜くわけにはいかないからだ」
 と、自らのエッセイで書いていた。
 そういえば、文章講座の先生というと、ショートショートや短編を主に書いている人がしていることが多い。それだけ文章にこだわりを持って、独自の作風を確立している証拠だろう。そういう意味では個性なのだが、講座を受ける生徒からすれば、個性をいかに自分なりに纏められるかが鍵になるだろう。そうしなければ、先生の個性の真似になってしまう。それでは、能がないのではないだろうか。
 加藤が読んでいる小説家は、作品ごとにテーマを持っている。モチーフが決まっているといっていいだろう。
 モチーフ――
 それは、鏡であったり、影であったり、時間であったり……。
 その中でも加藤が気になっているのは、一つのモチーフの中に対象になるものがあるということだった。
 鏡であったら、実際の自分と鏡に写った自分、影であったら、それを作り出す光、時間であったら、同じ時間に、もう一つの空間が広がっていたら……。多次元的な考え方である。
 ホラーの基本は、そんな対象物をいかにうまく使うかではないかと、読んでいて思う加藤であった。
「俺も何か書いてみようかな」
 と考えたこともあったが、なかなか自分の納得のいく作品を書ける自信がなかった。
 夢では、結構面白い発想ができることがあるが、悲しいかな、いつも目が覚めると忘れてしまっている。今回のように覚えていることもあるが、覚えているようなことを小説にできるほど自分に文章力はない。それだけ夢の内容が大スペクタクルだったりするのだ。
 今回の夢のような作品を読んだのを思い出した。
 作品は世の中に警鐘を鳴らすというよりも、中途半端に終わっていた。読んでいて、引き込まれる内容であったが、読み終わると、少し尻すぼみな感覚に陥って、
「なんだ、こんな結末か」
 と感じた。
 老朽化したものに対して、その結末を見ることなく、主人公が死んでしまうという内容だった。うまくごまかしたとも言える内容だったが、最後に主人公が死んでしまうということを考えれば、主人公が本当に小説の中での主人公だったのかという疑問が湧いてくるのは後から思い出すからだった。
 そういえば、この作家の作風は、一度読んだだけではなかなか言いたいことが分からないことが多い。いろいろな作品を読み込めば読み込むほどそれを感じる。
「もう一度読み返してみよう」
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次