短編集60(過去作品)
自分の顔が確認できないが、満面の笑みだったに違いない。
自分の仕事に誇りを持てるようになったのはそれからだった。仕事に誇りが持てれば、それはすでに趣味をも超越したものに感じるであろう。
仕事ばかりの生活、いくら充実しているとはいえ、時々、
――毎日を繰り返しているんじゃないかな――
とさえ感じるほど、時間の感覚が麻痺してしまうこともあった。
何かあっても、それが昨日のことか一昨日のことか分からない。ひどい時には同じ日であっても思い出せないくらいであった。
時間が次第に短く感じられる。寝ている時間がまるでなかったのではないかと思うほど、夢の内容がリアルだったこともある。
疲れているから夢を見る時、眠りが浅くて夢を見る時、さまざまではあるが、夢の内容は疲れている時に見る夢の方が覚えていることが多い。夢で見たのか、現実だったのか、その錯覚が大きいのだ。
その日の夢はやはり疲れているから見た夢なのだろう。忘れようとしても忘れられない夢というのはあるもので、例えば、過去のトラウマになっているようなことであれば、なかなか阿擦れることができるものではない。
数年という月日が経っているものが記憶の中に蓄積されていると、数時間の間に見る夢なので、かなり凝縮されていることだろう。
大体、夢というもの自体がそうではないだろうか。
睡眠時間が七時間として、その間、熟睡していても、夢として見ている時間は、目が覚める前の数秒というたったそれだけの時間だと聞いたことがある。
夢は肝心なところで覚めてしまうことが多いが、数秒で見ていると言われれば、何となく納得してしまう。
もっとも、肝心なところで目が覚めるという理屈を説明するために、最初は夢が数秒なのではないかという仮説がうまれたのではないかとさえ思う加藤であった。
だが、その日に見た加藤の夢は、そんな過去へのトラウマではなかった。
いや、過去に感じたことの何かがあったからこそ、見た夢だと言えないだろうか。壮大なテーマを考える場合、まずは身近なところから考えて行かなければならないと考える加藤であればこそ感じることであった。
夢から覚めていくにしたがって、意識がハッキリしてくる。意識がしっかりしてくると、見た夢を次第に忘れていくものだが、それは記憶の中に封印されていくとも思える。
元々、記憶の中に封印されていたものが、夢によって浮き彫りにされ、さらに記憶の中に封印されていく。封印された記憶はどうなってしまうのだろう。
記憶というものが平べったく、新しい記憶が上からのしかかっていくのであれば、同じ記憶であっても、さらに上に積みあがっていくものである。それは時系列に並んでいて、記憶が時系列にしか思い出せないものだという考えだ。
だが、実際には、一瞬にして思い出す古い記憶もある。何かのキーワードごとに記憶が収められているとすれば、それも納得がいく。脳を司るメカニズムがそこまでできているからこそ、人間という動物は進化の最先端にいると考えることもできる。
では、同じような記憶をさらに封印しようとしても、そこは脳のメカニズムによって、同じものは判別して、封印せずに、新しい記憶として塗り替えることができるだろう。
もちろん、同じ記憶であっても、感じた年齢が違っている。子供の頃に感じるのと、大人になってから感じるのとでは、月とスッポンほどの違いがある。
しかも、感じた時代背景だって違うではないか。人間が成長するにしたがって、社会も発展している。もっとも社会は発展するだけではないのかも知れないが……。
今回の夢はまさしくそんな夢だった。
子供の頃に見たアニメや子供向けのドラマには、社会風刺も含まれていた。文明が発達すれば、その先に起こることへの警鐘が含まれているものもある。
子供向けとは言っても、かなり過激なものもあり、地球の汚染によって、人類は宇宙にその居住区を求め、開拓に出る。そこで人類は、宇宙戦争を目の当たりにして、自分たちの存亡を掛けて、次第に戦争という渦の中に巻き込まれていくというような話も少なくはなかった。
子供であれば、それほど大変なことだと思わずに、ストーリーよりも、メカであったり、三十分番組の中で一話完結であれば、その時のストーリーに嵌ってしまって、全体のテーマをそれほど考えることもない。
だが、アニメのストーリーとうのは、大人になってからでも記憶に残っているもので、それだけ子供の頃の方が感受性が強かったのか、大人になると感じなくなってしまったことでも覚えていることも多い。
子供の頃が大人になってしまうとあっという間に感じられるが、実際に一日一日が果てしなく長かったように感じるものだ。今の一日一日は、それから比べるとあっという間で、そのくせ、一週間単位だったり、一ヶ月単位は、結構長く感じる。一日以上の単位は、仕事が影響してくる単位なので、その時々で長さに違いを感じることがある。それだけ波乱万丈と言えなくもないが、充実している毎日であった。
大人になってから見る夢は、あまり覚えていない夢が多かったのは、他愛もない夢が多かったからだろう。仕事もある程度順調で、充実感を感じていたからではないだろうか。そんな毎日だからこそ、たまにそれ以外のことを考える余裕が出てきたのかも知れない。それがいいのか悪いのか、その時の加藤には分からなかった。
だが、目が覚めてから感じたことは、
――確かに言えることだよな――
自分だけで納得していたが、テレビのニュースで断片的な話が出ているのに、結合性がないことに誰も気付かないのかが不思議だった。
そのことはニュースを見るたびに、心の中で気になっていたことなのだろう。
加藤が気になっているのは、老朽化だった。
最近のニュースでよく見るのは、建設ラッシュに沸いた時代に作られたものが、老朽化によって崩れ落ちて、被害が甚大に出ているというニュースをところどころで見ることだった。
この間も、どこかの国で、橋が崩れ落ちたという話を見た。車が大きな川に落ち込んでいて、まるで爆撃された後のような光景だった。
政府は緊急に同じ頃に作られた橋を調査すると発表していた。調査委員会を結成し、調査を行うと、同じような橋で、いつ崩れても不思議のないものがいくつも見つかったということである。要するに早急に改修が必要だということだ。
今でもさらに当たらしく建設計画が進んでいて、そちらに予算を組んでいるので、なかなか改修に回らないのだろうが、どちらが大切だというのだろう。そう感じているのは加藤だけではないだろう。
だが、本当に橋だけの問題なのだろうか。加藤はニュースを見るたびに気になっていた。それがその日の夢で現れたのだ。
いろいろなものが自然に崩れていく夢ではない。そんな光景は想像したことがないからだ。
アニメや特撮で小さい頃に見た光景。つまり外敵から攻撃されて、容赦なく壊されていく光景を夢で目の当たりにした。
夢の中では自分は二人いる。
攻撃されて逃げ惑う住民の真っ只中にいる自分と、それをどうすることもできずに見つめている自分である。
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次