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短編集60(過去作品)

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――一体、自分がどうなってしまったのだろう――
 彼女は毎日、病院のベッドの中でジレンマと戦っていた。
――彼を抹殺するしかない――
 しかし、本当に抹殺などできるわけはない。
 犯罪になるというのもしかりなのだが、もしこの世から彼が消えてしまったらどうなるかを考えると、想像もできないほどいろいろな世界が開けてくるように思う。開けた世界を収拾することなどできるはずもなく、その後の自分は、開いてしまった世界への責任をいかにして取らされるかを考えると、恐ろしさでそれ以上考えることなどできなくなってしまう。
 そこで考えたのが、
――夢の世界だったら、殺しても大丈夫だわ――
 夢の世界がこの世に及ぼす影響などあるはずもない。したがってそんなことを考える必要もなく、見てしまった夢をいかに忘れずに目を覚ますことができるかだけが問題だった。忘れてしまっては、何の解決にもならないからだ。
――だけど、そんなに都合よく夢って見れるものなのかしら――
 今までに見た夢で、意識して見ようと思って眠りについたこともあった。現実に戻ってきた時、
――想像通りの夢の見方だったわ――
 と感じたこともあったが、実際には後から感じたことだった。
 夢に入り込む前に考えていたことと、目が覚めてから考えることの違いとは、夢を挟んでいるだけに、つかみどころがない。信憑性に欠けるといってもいいだろう。
 果たして、彼女は首尾よく夢を見ることができた。
 夢の中で相手の男を殺し、満足している自分を目が覚めてからも思い出すことができる。胸を抉った時に見せた彼の断末魔の表情。それは夢の世界だからできる想像だった。本当に胸を抉られた人間の表情では決してないことを祈っている彼女は、もう二度とこんな夢を見たくないと思ったのだ。
 そう考えると、今度はさらなる恐ろしいことが頭をよぎった。
――夢とはいえ、人を殺してしまったことを夢の世界から忘れずに来たんだわ――
 その感覚は次なるステップへの途中経過であることを匂わせている。
――このまま夢を見る時は、このことから本当に逃れることってできるのかしら――
 現実の世界で人を殺せば、いくら完全犯罪を行って事件が迷宮入りしたとしても、その罪への人間としての呵責から逃れることはできない。だからこそ夢の世界で代用したのだった。
 だが、夢の世界が本当に現実とは違うリアルさを持ったまったくの別世界であったとしたら、それは自分の意志によらないものだけに、果てしない恐ろしさを持っていることだろう。
 殺してしまったことは消すことはできない。そう思うと恐ろしさで、現実の彼の顔を見ることができなかった。
 すると次の日に彼が話しかけてきた。
「昨日、君から殺される夢を見た」
「えっ?」
 すれ違いざまだったので、すぐに彼の方を振り返ると、そこには誰もいない。夢の中で感じた匂いだけがそこに漂っていた。
――夢で匂いなど感じるはずはないのに――
 と最初に感じた。
 男は彼女と同じ夢を見ていたのだ。その時にどんなことを感じたのか分からないが、さぞや恐怖に凝り固まっていただろう。だからこそ冷静に見れたに違いない。冷静、しかもすれ違いざなだっただけに、余計に恐怖を感じた。自分の耳を疑いたくなったのも仕方のないことだろう。
 本の最後は、彼女が知らない間に彼が自分の部屋で死んでいたというものだったが、どうして自分の部屋で死んでいたのか、死ななければいけなかったのかなどの理由は書かれていない。あくまでも読者の想像に任せる形だ。読者への挑戦とも取れるであろう。
 不思議なことは、彼女の部屋にないものが置かれていた。彼女は気付かなかったが、読者に対してだけそのことを告げている。
 それは砂時計であった。ラストシーンには主人公の意図や意識とは別に読者に対してだけ投げかけるテーマが往々にしてある。この作品は砂時計だったのだ。
 時間というものをテーマに考えるならば、砂時計というモチーフはシンプルだが、アンティークさは、他の作品にはない新鮮さを与えてくれた。内容を忘れることがあっても、最後に砂時計をテーマにしていた作品であったことを忘れないに違いない。
 夢から覚めてしばらくすると、さらに睡魔が襲ってくる。
――もう一度同じ夢を見てみたいものだ――
 と考える。
 現実の世界が繰り返しを許さないように、夢の世界でも繰り返しを許さない。しかも、さらに続きを見ることも許されない。だが、その時の幸一は夢の中で再度暗闇に浮かび上がる青い色と赤い色を見た。今度の青い色は最初に見た緑掛かった色ではなく、完全な真っ青であった。
 それは予想していたことかも知れない。
 最近、自分が欝状態になりかかっていることを幸一自身、気付いていた。欝状態に陥ると、目の前の色が変わって見える。昼間であれば黄色掛かって見えるのだが、夜になると、鮮やかに見えてくる。
 夜間、視力が落ちるのが本当なのだろうが、幸一の場合、欝状態になると夜の方が鮮やかに見えてくる。
 信号機の青色、昼間であれば緑掛かっているのに、夜になると青く見えてくる。それは普段でも変わりはないが、欝状態に陥ると、明らかに違っている。昼間、黄色に見えるから違っているだけではなく、夜が鮮やかに見えるのも間違いないことで、遠くのものまで普段見えないはずのものが見えたりしてくる。
――予知能力があるのかも――
 と思ったことがあるくらいで、欝状態の時に夜間国道を歩いていて遠くに赤いものが見えたのだが、家に帰ってからしばらくして、国道で火災事故にまでなるほどの大事故が起こったと教えられた。まさしく予知していたのだ。
 夢でも同じように欝状態ではないのに、暗闇でハッキリと遠くのものが見えている時がある。翌日になって、そのことが現実になって起こったこともあった。人に話しても、
「そんなバカなことがあるはずないじゃないか」
 と一蹴されるのがオチであろう。誰にも話すことなく、自分の中にある能力のようなものだと感じていた。
 次第に暗闇に差し込んでくる明かりがカラフルな色から、普通の明るさに変わってくる。目の前に立っているのは、和子だった。
――和子が立っているということが、夢である証拠だ――
 この意識は現実の世界の意識であることを意味していた。
 それはいつも幸一が和子を気にしている証拠だった。普段から和子と一緒にいなくても一緒にいるような感覚になっていた。
――こういうのを恋っていうんだな――
 甘くこそばゆいような感覚が幸一にはあった。睡魔に襲われ、眠りに入り込んでいく感覚に似ている。
 和子という女と知り合って一年。まるで風のように通り過ぎていった時間だった。
 だが、意識していない時間はなかったと言えるほど、自分の中に和子がいて、和子のいない自分が信じられなくなってしまったことを感じたことさえあるのに、なぜか、和子と結婚することだけは想像することができなかった。
「私とあなたって、似すぎているところがあるわね」
 と言われたことがあった。
「そうかな? そうは思わないけどな」
 真実そう思った。似ているところは確かにあるだろうが、似すぎているとまではいかない。
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次