短編集60(過去作品)
その時の雰囲気は実に異様なものだった。
線香の匂いが生なましかった。まだ高校生だった幸一は学生服での参列になったが、自分の親戚がこれほどたくさんいるのかと驚かされるほど、親戚筋ということでの参列者が多かったのだ。
読経も同じようなテンポで、あまり抑揚を感じなかったのは最初だけだった。木魚の音と読経の声のどちらに集中するかで抑揚の度合いが変わってくる。
おばあさんの葬儀が終わると、部屋は閑散としてしまった。閑散としてしまえば、
――こんなにこの部屋って広かったんだ――
と思えた。
小さい頃から一緒の部屋で暮らしてきたおばあちゃん。小さい頃が一番部屋を広く感じた。自分が成長していくにしたがって、部屋を狭く感じるようになり、そして、おばあちゃんがいなくなれば、今度は最初よりも広く感じられる。
夢で見たこの部屋の広さは、おばあちゃんが亡くなってから感じた広さだった。広さは寂しさに比例するのかと思ったほどで、夢の中でも寂しさを感じたものだった。
――おばあちゃんがいるのでは――
と思ったのは、おばあちゃんが死んでからも、絶えず部屋の中で人の気配を感じていたからだ。
誰がいるのか最初は分からなかった。
――誰かがいるなんて、そんなことはありえない。よほど怖がりなんだろうな――
と感じていた。実際に、子供の頃は怖がりで、夜一人でトイレにも行けないこともあったくらいだった。
明るい部屋の奥に誰かがいることは気配で分かる。誰もいないはずの部屋なのに誰かがいるのを感じるのは、きっとおばあちゃんがいた時のイメージが忘れられないからだと思っていた。
――錯覚なんだ。きっと――
そうでも思わないといられない。
しかし、気配がウソでないことも確信していた。目の前を一筋の風が通りすぎると、そこにはかすかながら線香の匂いを感じた。感じた線香の匂いを運んできたのがおばあちゃんの他ならない。だから、錯覚だと自分に言い聞かせることで、理性を保とうとしていたに違いない。
だが、部屋の向こうに見えている影は本物だ。いくら無視しようとしてもできるものではない。いつ影の主が静寂を破り飛び出してくるかも知れない。
静寂を破り飛び出してくるシーン。テレビドラマで何度となく見たシーンで、その度に流れていた効果音のような音楽が耳によみがえってくるところまで想像できそうである。
果たして飛び出してきた影、驚きは頂点に達した。逆光になっているために顔はハッキリとしない。ただ、自分が驚きのために驚愕の表情をしていることは想像できた。
――おかしい、いつもなら自分の顔を想像することなどできないはずなのに――
となぜか冷静に分析できた。
それも分かってみれば当たり前のこと、しかし、分かってしまったことで、夢から覚めるきっかけを与えてしまったというのも皮肉なことだ。驚愕の事実、つまり夢でのテーマを見てしまったら、それが夢から覚めるきっかけになる。
逆光で見えなかったその顔が、自分の顔だということに気付くまでに少し時間が掛かった。
襲い掛かってくる影が、最初は一気にのしかかってくるように思えたのに、近づいてくるにしたがって、スローモーションになったかのようにゆっくりである。
――宇宙遊泳をしているようだ――
重たい空気の上を泳いでいるような光景。飛ぼうとして必死に努力しても、所詮飛べないという潜在意識が邪魔をして空気を泳いでいるのに似ている。
そこで感じたのだ。
――宇宙遊泳している人は、自分を同じ考えなんだ――
夢の中に出てくる人、それは何らかの機会の中で、自分に関係のある人たちのはずである。すぐに思い出せるわけもない。夢の世界というのは、現実とはかけ離れた世界。それは重々に分かっているはずだ。
襲ってくるのが自分だと分かってしまうと、一気に夢から覚めてくるのを感じる。毎日とまでは行かないが、何度も見ている夢のはずなのだから、覚める瞬間だって同じはずである。覚えていても無理はないが、覚えていなくても仕方のないことだ。それだけかけ離れた世界とも言えるのではないだろうか。
だが、覚えていることは本当に稀である。それぞれの世界は独立していて、決して侵してはならない世界ではないのだろうか。夢の世界の冒涜は現実の世界の人間にできることではない。
では、逆に夢の世界に誰かがいるのだろうか?
夢を見ていて出てくる登場人物は、あくまでも見ている人間が作り出すイリュージョンであって、決して架空のものではないはずだ。それが潜在意識をいうものであって、限られた世界しか作り出すことができないと思っている。
その証拠に他の人と夢を共有できるはずもないからだ。
そういえば面白い本を読んだことがあった。専門は物理工学の先生らしいのだが、ある大学の教授が「夢」についての小説を書いていた。
小説として文庫本になっていたが、半分は論文である。しかし、先生はそのあらすじを書いている最後のところで、
「この話は夢のようで夢にあらず、どこかの世界から来た人に教えてもらったことと、自分の夢の中での挑戦から生まれた小説である。だが、この本は小説と謳っているが、論文でもある。心して読んでください」
と書かれていた。
内容は夢の共有に対しての挑戦だった。
一人の女性が夢を見る。憎たらしい人がいて、その人がいつも夢に出てくる。
昔付き合っていた男性。少なくとも数ヶ月前まではこの世で一番愛していた男性のはずだった。
「可愛さ余って憎さ百倍」
という言葉もあるが、ある日を境に男性に対して憎しみの方がいとおしさよりも増していった。
最初から男性にはいとおしさの中に憎しみを感じていた。それは最初から分かっていたのだが、何に対する憎しみなのか分からなかったこともあって、自分で必死に否定してきたのである。
男性は、そんな主人公である女性の気持ちを知ってか知らずか、自分の彼女として傲慢な態度を取り続けた。
傲慢な態度を取る男性は少なくないのも分かっていた。そして、そんな態度の中に男性らしい自信が溢れていることも分かっている。
――この人の自信が頼もしい――
と感じていたのも事実だが、結局はそれが自信によるものではなく、むしろ自信のなさをカモフラージュする方であったことに最初から気付いていたのかも知れない。それが最初から感じていた憎しみであって、その憎しみはいつしか自分にも向けられた。
――分かっていても離れられない自分が悔しい――
別に弱みを握られているわけでもない。離れようと思えばいつでもできたことだ。だが、それができなかったのは、彼女にとって、すでに彼は生活の中でなくてはならない存在になっていた。
――この人が目の前から消えてしまうなんて、想像もできないわ――
という思いが強くなってくる。それがジレンマとなって襲ってきて、しばらく精神的な病から、入院を余儀なくされた。
彼は見舞いには来てくれる。
――どうせなら放っておいてほしい――
と思ったが、寂しさからか、顔を見ると安心してしまう自分に気付く。元々は彼への心労が原因であるはずなのに、入院していての一番の癒しは彼の顔を見ることだというのはやりきれない。
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次