小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集60(過去作品)

INDEX|17ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

 という思い込みで思い出そうとしているからではないだろうか。幸一は深い眠りの時の夢と、短い夢とで、どこかに違いがあるのではないかと考えていた。
 夢とは実に都合のいいもの、何かあっても夢のせいにしてしまえばいい場合もある。
 幸一は躁鬱の気があった。ものの大小を問わずであれば、ほとんどの人が躁鬱と言っていいかも知れない。定義としてどこからが躁状態で、どこからが鬱状態なのか分からないからである。
 躁状態だと思っている時は、何をしていても笑顔が出てくる。そして少しくらい問題が起こっても、
――何とかなるさ――
 と思えるのだ。
 しかも思えるだけではなく、それなりに根拠がすぐに見つかったりする。大雑把なようで、巡りがいい方へと回っていることで、少々気持ちを大きく持てたりする。
 しかし、鬱状態の場合はまったく逆である。
 すべてが悪い方へと流れていくように思え、何とかその流れを断ち切ろうと努力している。無駄だと分かっているはずなのに努力している。
 そういえば、夢でも同じような感覚があった。空を飛ぶ夢を見た時だった。
 必死で飛ぼうとしても、宙に浮くのがやっと、それも人間の腰くらいの高さまでしか浮くことができず、さらに前に進もうとすると、平泳ぎのように空気を掻き出さなければならなかった。
 額に汗を掻いているのを感じる。夢の中で感じる焦り、それは空を飛ぶ夢を見た時だけだったように思う。本当はもっと怖い夢を見ているはずなので、汗を感じるのは他の夢でもあったはずだが、それを起きてから感じないということは、怖い夢は忘れてしまっているからに違いないだろう。
 怖い夢は、定期的に見ているように思う。それは起きている時の躁鬱症のように交互に襲ってくるものだろう。だが、夢の世界が現実と違うのは、起きる前に忘れてしまうことである。
 鬱状態に陥る時は、前兆のようなものがある。身体がムズムズしてきたり、湿気を必要以上に感じたり、以前にケガをしたところが痛んだりと、まるで風邪を引いた時に感じる違和感に似ている。
 鬱状態とは心の病気である。
 病気の中でも発熱は、身体に入った菌と戦っているために起こる化学反応のようなものだという。人間の中には自らで防衛できるための本能を持っている。そのために身体から熱を出すほどの抵抗を行い、さらに、それを覚ますために、汗を掻く。実に理にかなっているというものではないか。
 風邪を引く時も前兆のようなものがある。身体の中に入ってくる菌を感じるのか、それとも駆除しようとして身体が反応してくるのを感じるのか分からないが、きっと菌が入ってくるのを感じているのかも知れない。
 身体が痺れたり、指先の感覚がなくなったりする。熱が高くなると、薬で抑えようとするが、本当は、熱がよほどの高熱でなければ、出し切るのがいいらしい。
 病院で点滴を打ってもらい、薬を貰う。なるべく安静にして身体を休めることで、衰えた体力を回復させる必要がある。体力温存で、菌と戦う身体が維持できるのだ。
 鬱状態も同じようなものかも知れない。
 鬱状態における本当の敵が何なのか最初は分からない。何度も同じような鬱状態に陥っているにもかかわらず、最初は分からないのだ。
 鬱状態に陥った時、
――まるでつい最近も同じようなことを感じたな――
 それが夢による効果なのかは分からない。だが、普段の感覚ではないことは確かであった。
 だが、鬱状態にも次第に慣れてくる。慣れてくるまでは、鬱状態の本当の怖さを知らない。気持ち悪さだけを持ったまま、入り込んでしまう鬱状態を受け入れるしかなかったのだ。
 本当の敵が分かってくると、それが一番の恐ろしさだということに気付く。元来鬱状態とは孤独が作り出すもの。孤独を欲しているはずなのに、孤独に陥ることを心の中では怖がっている。
 足が攣った時などのように、呼吸ができなくなるほど苦しい時は、人に悟られるのを拒むものだ。それに似ているかも知れない。
 孤独を欲するというよりも最初は人との関わりが、嫌で嫌でたまらなくなる。息遣いであったり、存在そのものを消してしまいたくなる。
 だが、本当に存在を消してしまいたいのはまわりではなく、自分だったのかも知れない。自分の存在をこの世から消してしまうような妄想を無意識に描いていたりするのが鬱状態の入り口であり、身体がムズムズしてくるような気持ち悪さなのだ。
 鬱状態に陥ると、見るもの聞くもの感じるもの、すべてが違って見える。しいて言えば黄色掛かって見えるというべきか、そんな時に、
――まるで夢を見ているようだ――
 と感じたりする。まるで我に返ったかのようである。
 鬱状態での本当の敵は、自分だったりする。
 鬱状態では、意識過剰になって、精神的に過敏になっているように思うのだが、実際には冷静で、あまり深く考えていなかったりする。
 悪いことが起こっている時は、あまり動かないのが得策だというが、まさしくそのとおりである。
 夢を見ている時もそうだ。自分で意識して見ている訳ではなく、自分が主人公というだけで、ストーリーは最初から決まっているのかも知れない。
 鬱状態の時の自分は、確かに自分ひとりのはずである。一人を欲しているのは、他の人を感じるのが煩わしいからで、孤独が好きというわけではない。
 だが、鬱状態の時の孤独感は、冷静になれる自分を感じることができる唯一の時間かも知れない。
 冷静な自分は、時として狭い範囲しか見ることができない自分を戒める。不安になるのは普段であっても同じだが、鬱状態の時は、ずっとその状態を維持している。
 きっと、もう一人自分が存在しているのだろう。主人公である自分が戒めているのが、もう一人の自分で、その存在に気付くまでは、不安以外の何者でもなかった。
――不安の相手がまさかもう一人の自分だったなんて――
 そう思うと、もう一人の存在がさらに大きくなる。
 鬱状態の時に見る夢、それは怖い夢の時が多い。
 怖い夢、それはもう一人の自分が出てくる夢である。
 もう一人の自分は、何もしない。いつも気配を消すようにして、じっと主人公である自分を見つめているだけである。普段にも時々もう一人の自分を感じることがある。その時は言い知れぬ不安に襲われている時である。
 鬱状態の時に見たであろう夢を思い出そうとしている。鬱状態から抜けたばかりの時であれば、思い出せそうな気がするからだ。
 鬱状態は全体的に黄色掛かった光景が目の前に広がっていたので、鬱状態から開放されると、カラフルな色が戻ってくる。特に原色は鮮やかで、全体的に今度は赤みが掛かったように見えてくる。
 もう一人の自分、そういえば、夢を見ながら感じたように思える。
 思い出そうとすればするほどハッキリとしてくる。明らかに夢の中でもう一人の自分に怯えていたのを思い出していた。
 最初から明るかった。自分がいる場所、そこが自分の家であることは分かっているのだが、今住んでいる家ではない。確か子供の頃に住んでいた……。そう、おばあちゃんと同じ部屋で寝ていたのを思い出していた。
 そのおばあちゃんもすでに亡くなってしまっている。幸一が最初に出た葬儀がおばあちゃんだったのだ。
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次