短編集60(過去作品)
同じ人間を別の方向から見るという想像を今までしたことはなかったが、それができるということは、妄想というものがすごいことを示している。欲望が自分の意志に反して勝手な暴走を始めていることに違和感を感じながら、それをどうすることもできない。
――暴走する気持ちに身を委ねてみよう――
いけないと感じながら、想像だけなら構わないと感じた。すでに身体は反応し始めていて、止めることはできない。
自分の下半身が彼女のお尻に当たっている。避けようという気分はなく、前でモゾモゾと抵抗している彼女を後ろから見ながら、逃げようとする彼女を逃がすまいと自分もさらに押し付ける。
後ろからなので、前から見た彼女の表情は見えない。少し残念な気がした。しかし、これは想像である。想像というのは、不可能なことを可能にもしてくれる。都合よくできているのだ。
今まで彼女の後ろで立っていると思っていた自分が。今度は元々の位置に戻っている。座席に座って、モゾモゾと揺らしている彼女の腰と同じ視線に目を移して、今度は見上げるように彼女を見つめる。
顔を下に下げ、見えないようにしている表情ではあるが、座っている栄作の視線からは丸見えだった。
――羞恥に満ちた表情とはこんな顔のことを言うんだ――
その表情に妖艶さを感じてしまい、さらに下半身が反応する。しかもあくまで妄想の中のことなので、後ろから蹂躙しているのは、もう一人の自分。妄想でしかありえないことだ。
だが、妄想にも限界がある。
最初は、何とも不思議な感覚に、妄想の偉大さを感じていたが、触っている自分と、羞恥な表情を見ている自分とが、交互にやってくると、どちらに集中してよいか分からずに、せっかくの妄想への快感が半減してしまう。やはりどちらかに集中しないといけないのだろう。
とりあえず、下手な妄想を止めることにした。
すると不思議なもので、自分が善良な人間に思えてくる。さっきまで妄想に取り付かれていたなどまるでウソのようだ。
――人間というのは、実に都合よくできているんだな――
女性も同じかも知れない。
今まで女性と付き合ってきて、自分が相手の女性に都合よく使われてばかりだったことを憂いていた。
「そんな女とばかり付き合うからさ。もっと他に素晴らしい女性はいっぱいいるのに」
と言われたことがあり、
「そうかも知れないな。きっと変な女にばっかり捕まるんだろうな」
と言いながらも、頭の中では曖昧な気持ちが渦巻いていた。
それでも付き合い始めはいつも、
――この女性なら大丈夫だ――
という確信をいつも持っている。
妖艶さに惹かれたこともある。だが、ほとんどは清楚で従順な雰囲気の女性を選んできたつもりだ。元々、そんな女性が好きな栄作は、まずそんな女性に目が行く。しかし、だからといって一目惚れからそのまま突っ走ることはない。
一目惚れの女性もいるにはいたが、だからといって、すぐに口説いたりはしない。それでもあまり時間を置くとモチベーションが下がってしまうので、ある程度の期間を置いて告白する。
時期も悪くなかったはずだ。相手もそろそろと考えていた頃であろう。思い切っての告白だったはずなのに、考えていたよりも、ずっとお互いが近づいていたことに気付くことが多かった。それだけ、タイミングもバッチリだったに違いない。
付き合い方もそれほど悪くはなかったはずだ。だが、女性にはどこか物足りないところが見えるようで、
「あなたと付き合っていても面白くないわ」
などと、露骨にいう人もいれば、
「ごめんなさい。他に好きな人ができたの」
と、栄作に対しての露骨さはないが、率直な理由をためらいもなく話す女性もいた。
どちらにしても、栄作にはショックである。
――俺ってそれほど言いやすいのかな――
とも考えたが、それも都合のいい考え方である。どちらかというと、溜まったものを吐き出すような言い方ではないだろうか。
――何がそんなに不満なんだろう――
と考えたが、最近になっておぼろげながら分かってきた気がしてきた。
知り合ってすぐは、結構話も弾んで楽しいのだろうが、付き合うということになると、今度は少し変わってくる。それを彼女たちは自然に受け止めようとするが、栄作自身自分の中で付き合い始めたということに対しての意識が薄いのかも知れない。
知り合ったということから、付き合い始めたような感覚でいるのではないかということは分かっていたように思う。だが、急に態度を変えると、却って女性に対して何か違和感を感じさせる隙を与えてしまうように思えて怖かったのも事実だろう。女性のほとんどは、付き合い始めるというハードルを越えたことに気持ちの高揚があり、そこに男がついてこなければ、冷めてしまう気持ちになっても仕方がないのかも知れない。男にとって態度を変えることへの意識との隔たりがあるのだろう。
「別に態度を変えるわけではない。今まで以上に相手を意識すればいいだけではないか」
という人もいるだろうが、
「意識を変えると、すぐに態度に表れて、それが露骨になることが嫌なんだ。特に相手を束縛しかねない自分が見えてくるからね」
――束縛――
満員電車の中での妄想は、その束縛という言葉を思い出させた。
まわりには人がいっぱいで身動きすら取ることができない。まわりの動きに身を委ねるしかなく、そこには自分の意志が入り込む隙間すらない。
そんな状態で、後ろから男性に蹂躙される。それは女性にとってこれ以上ない屈辱感に違いない。
普通であれば、そんな女性を助けなければならないという精神状態になるのが男というものなのだろうが、そんな女性を蹂躙している男がいるのを見ると、その男を憎むと同時に、対抗意識が芽生えてくる。
羨ましいという感情ではない。最初こそ羨ましいという感情が生まれてくる自分に、嫌悪感を持っていたが、妄想を膨らませることで妄想にも限界があることを知った。
――やってみなければ分からないんだ――
もし、妄想を膨らませず、悶々とした気分でいれば、自分が中途半端な男であることへの嫌悪感が最大になり、そのまま鬱状態にもなりかねないところだったが、妄想することでそれは免れた。
だが、おかしなもので、鬱状態への入り口が見えてきているのは事実だった。
鬱状態が見えてくると、かなりの確率で、そのまま鬱状態に入り込んでしまう。まるでトンネルに入り込んでしまうような気分だ。
トンネルというのは確実に出口がある。その出口が見えてこないところも似ている。だが、必ず出口はある。鬱状態への入り口に差し掛かった時に、すでに出口までの長さが頭の中に入っていることは多かった。
頭の中が整理されている。普段は先がまったく見えないことで、いろいろなことを考えられるのだが、鬱状態の入り口が近づいてくると、不思議なことに、たいていのことが分かってきていることを示していた。
――一番冷静になれる時期なのかも知れない――
決して気持ちのいいものではない。胸がムズムズしていて、頭の中が気持ち悪い。何かを考えようとすると、頭が気持ち悪くなってくるので、何も考えないようにしている。
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次