赤白ボーダーの変人さん
そう言って彼は黒いケースを持ち上げた。充季は狼狽しながらそのケースの持ち手を引っ張る。
「けっこうです、ひとりで行きますんで」
「そりゃ無理やろ、楽器ごと流されとったのに」
痛いところをつかれた、けれど持ち手は離さない。
「いいですってば」
「あのな、お嬢ちゃんひとりでこの人混みの中行くのは無謀やで。おっちゃんに任しとき」
そう言って彼はケースを踏んだくると人混みで熱狂している人たちひとりひとりに声をかけて道を開けさせた。「ほら、早よ来ぃな」と手招きしているのを見て充季は唖然とする。
この人何者なんだろうと考えながら、背中に描かれた「10」の背番号を追いかけた。
***
何とか楽器店の前にたどり着くと、半裸ボーダーの彼はケースを下ろして言った。
「ほなな、おっちゃん忙しいから行くわ」
「あの……ありがとうございました!」
ぼさぼさになった髪も気にせずケースを受け取って頭を下げると、彼はひらひらと手を振った。
「そや、帰りはその楽器あるんか」
「いえ、底がへこんでいるので2週間ほど預かると言ってましたが……」
「ほぉ底が」
顎をなでながら彼は言った。口にした途端にどうしようもない恥ずかしさがこみ上げてきて充季はうつむいた。ストラップが寿命を迎えていたのに気づかず、手を離していたときに切れて楽器を落下させてしまったなんて、どうして言えよう。
「一時間後に迎えに来るさかい、ここで待っとり」
「え……ちょっと勝手に……」
言い終わらないうちに、どこからかけたたましい歓声が湧きおこって、彼は白いショートパンツのポケットから小さいラジオを取り出した。
――田村のペナルティーゴール成功ーー!! アイルランドとの差は1トライ1ゴールとなりました!! 19-12で日本優勢!!
空気を切り裂きそうな叫び声がスピーカーから漏れているのに、彼は小さな目を輝かせながらラジオを耳に当てている。
「うぉっしゃ! ええで、このままいけるで!!」
そう叫ぶなり大通りに飛び出して行った。全身に塗りたくったペインティングが見えなくなると、充季は楽器店の自動ドアを眺めた。
変な人――彼の大阪弁を思い出しながら、ケースを持ち上げてドアをくぐった。
***
約束通り彼は一時間後にやって来て、充季を駅まで送り届けた。半裸で乳首が見えている人と一緒に歩くのは嫌だと思っていたのに、勝利の渦に巻き込まれた人たちは誰も充季たちのことを見ていなかった。
「ほな」
それだけ言って立ち去ろうとした彼の赤い腕をつかんだ。
「あの……本当にありがとうございました」
「ええねん、おなじもん同士のよしみや」
そう言って彼は手を上げて地上に戻っていった。上げた腕の下に赤いわき毛が見えた。何が同じだっていうのだろう、やっぱり変な人だなと思いながら、ボーダーの背中が見えなくなるまで手を振り続けた。
作品名:赤白ボーダーの変人さん 作家名:わたなべめぐみ