ジャスティスへのレクイエム(第4部)
マリアが知らないことをすべて知っているはずの彼であっても、マリアが知っていることであっても、彼が知らないことが存在するという快感が芽生えると、背筋がゾクッとする感覚に、震えが止まらない気持ちになっていた。
マリアも恋という言葉は知っていたが、具体的にどういうことなのか、知る由もなかった。
自分の知らないことを彼なら知っていると思っても、迂闊に聞くことのできるものではない。しかし、彼がどんな返答をするのか興味があって、
「ねえ、恋ってどういうものなの?」
と聞いてみた。
別に模範解答を求めたわけではない。彼が狼狽し、どう答えようかと悩むのを見てみたかったからだ。
「恋とは、一言では言えないものではないでしょうか? 人の数だけ恋が存在すると言ってもいい。いや、恋の数はもっともっと多いかも知れませんよね」
と、彼がいうと、マリアはなんとなく違和感があった。
その違和感がどこから生まれてきたものなのかすぐには分からなかったが、彼の顔を見ると、
「してやったり」
というしたり顔をしているのを癪に触って感じたことからだった。
「多いってどういうこと? 同時期に複数の人を好きになる人もいるってこと?」
「ええ、それは言えると思います。男女の関係は、一人誰かを好きになったからと言って、実際におつきあいをしてみたり、結婚でもしていない限りは、他の人に目を奪われて、別の形での恋を芽生えさせても、一向に構わないと思います」
「ええ、それは思うわ。でも、一人に決めたら一途なんじゃないの? 他の人に目移りなんて、好きになった相手に失礼よ」
とマリアは言った。
言った後で、
――これこそ、当たり前のつまらない回答なんじゃないかしら?
と感じた。
「お嬢様らしいご回答ですね」
と言われ、マリアはムッとした。
「それはどういうこと? まるで私が世間知らずのオンナのように聞こえるけど?」
とわざとふてくされたようにいい、彼の口から、
「そんなことはございません」
という言葉を引き出そうという意図が見えた。
すると、マリアの意に反したかのように、
「その通りです。お嬢様はオンナとしては世間知らずでございます」
と言われたので、また一段階、頭の温度が上がった。沸点に近かったかも知れない。
「どう世間知らずだっていうのよ」
と、完全に因縁を吹っかけていた。
「人の心というのは、そんなに一刀両断で割り切れるものではありません。同じ人を好きになることだってあるでしょうし、それが親友同士であれば、まず親友関係は同じ人を好きになった時点で解消したと言ってもいいでしょうね?」
というと、
「ちょっと待って、親友関係の解消は、好きになったということがバレた時に発生するものではないの?」
「表向きはそうです。でも、実際の解消の原因は、やはり同じ人を好きになったという時点ですでに起こっていたことになると思うんですよ」
「じゃあ、あなたは原因というのは、誰もが見ていて分かる事実に直面した場合でも、その起源はもっと前にあったということをいいたいのね?」
「そういうことです。浅い視点で見ていると、判断を見誤ってしまいますからね。起源をしっかりと捉えることは、その後の可能性がどのように広がろうとも、その時点から見れば、必ず線のようなものが続いていることに気付くはずです。そして、気付くことができる人が限られていることから、このような説は世間一般的に受け入れられないんだと私は思います」
と執事は言った。
「同じ人を好きになると、その時点でライバルになるわけよね。でも世間的には、どちらかが折れて、親友関係はそのまま継続するという人も知っているわ」
というと、
「果たして、それが正解なんでしょうか? 私はこの問題に正解はないと思っています。つまりは、いかなる可能性を秘めているので、末広がりの放射状にすべての可能性が秘められているとすると、すべてが正解であり、すべてが不正解だという結論を導き出すことができるんです」
「難しく聞こえるけど、実は簡単なことなのかも知れないわね。逆に簡単に聞こえることが難しいというkともあるんでしょうね」
「マリア様の発想にはいつも感服させられます。その通りです。私もそう思いますよ」
と言われて、マリアは皮肉を言われているのかと思った。
彼はそれを見て言葉を続けた。
「別に皮肉ではありません。マリア様の発想は奇抜に感じられ明日が、実は分かっている相手だと思うと、数段先を行くという発想になるんだと思います。まるでささやかな抵抗をしているかのようですね」
また皮肉に聞こえた。
「やれやれ、どういえば分かっていただけるのか。でも、マリア様のそんなところが私は好きなんですよ」
と言われて、顔を真っ赤にするマリアだった。
マリアの母国では、執事が恋をすることは表向きは禁止されていた。特に王女を相手にしているので、他の女性には目が行かないようになっているだろう。彼も恋が禁止なのは当然分かっている。だが、恋もしなければ、王女を守ることなどできないというのが執事の考えだった。
――待てよ? じゃあ、俺のおやじは、どうやって俺の父親になれたんだ?
という疑問を感じた。
この国の執事が恋愛を禁止されているというのを聞いた時、とっさに思ったことであったが、すぐに別のことを考えたので、一瞬考えたにとどまった。すぐにこの感情は忘れてしまっていたのだが、マリアと二人きりで話をしていると、急に思い出してしまうこともあった。
その頃から執事は、恋というものに対してだけは、一般の人たちと同じ目で見ることにしていた。
本屋で恋愛ものの小説を買ってきて読んでみたり、テレビの恋愛ものを見てみたりしたが、その題材はどうしても「多重愛」に終始しているように感じた。
小説やドラマなどは面白くなければ売れないので、そういうシチュエーションをさらに輪をかけて描いているのだろうが、実際にそんなことが横行しているのかどうか、ハッキリとは分からなかった。
いろいろ知らないことを調べるための特殊機関を執事は持っていたが、さすがにこの疑問調査に国家の特殊機関を使うわけにはいかない。彼は自分の感性を信じることにした。
すると、多重愛を否定することはできないという結論に達した。つまりは、
「多重愛を含めての愛情を、恋だというのだ」
という結論に達した。
そう思うと、マリアや自分が今まで感じていた恋というものが、実に薄っぺらくて、わざとらしい言葉でつづられているものなのかということを感じた。
マリアはしばらくそんな彼と距離を置いてみようと考えた。別に付き合っているわけでもなく、それぞれに立場がしっかりしている相手なので、マリアの方から距離を置いたとしても、問題はないと思ったのだ。
彼はマリアのそんな気持ちを知ってか知らず科、普段通りだった。いつもつかず離れずの距離にいて、何かあれば一目散に飛び出してくるだけの力を持っていた。
今までにマリアは身体の危機に陥ったことが何度かあった。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第4部) 作家名:森本晃次