ジャスティスへのレクイエム(第4部)
自分がSの気があることに気付いていたが、お姫様としての品格が、Sになろうとする自分に歯止めをかける。歯止めがかかってしまうと普通ならどこか違和感があるというものであるが、マリアに関して違和感はなかった。自分に掛けられる歯止めは、Sの部分を凌駕しているのだろう。やはり王室としての血が、そうさせるのかも知れない。
「マリア様、もうすぐ留学されるんですね」
と執事は、それまで見せたことのない寂しそうな表情を浮かべた。
「ええ、そうよ。どうしたの?」
と聞くと、
「いいえ、何でもありません。私にもどうしてこんな気持ちになるのか、不思議なくらいです」
マリアは、彼に同情した。
マリアが今にも後にも誰かに同情したというのは、彼だけだった。それだけに、最初は自分が同情しているなどという感覚はなかった。
「マリア様との時間が、このままずっと続いてくれるものだと思っているはずもなかったのに、実際に別れが近づくとなると、こんなにも切ないものだとは思いませんでした」
「あなたは、誰かと別れたことってないんですか?」
「そんなことはありません。好きだったお母さんが亡くなった時は、本当に寂しかったです。まるで自分一人がこの世に取り残されたような気がして、そして、世界を刻む時間は、私だけを置いてけぼりにしているんだって思ったりもしました」
という執事に対し、
「あなたのその表現、私は好きよ」
と、彼に告げた。
「ありがとうございます。私はこれが普通の話し方だと思っているのですが、こういう口調で話をしていると、言葉は次々と出てくるんです。これって不思議ですよね」
「そうかしら? 私にもそういうことってあるわよ。でも私はあまり人と話をしないので、余計に話が分かる相手とめぐりあうと、思わず言葉が口をついて出てくるのよ」
というと、
「じゃあ、私もそうなのかも知れませんね。私もほとんど誰ともお話する機会はありませんからね」
「もっとあなたからいろいろ教わりたいわ」
とマリアがいうと、執事は、
「もったいないお言葉です。私なんかに」
というと、マリアは急にムッとした。
「私なんかって言わないで、立場的には私は王女であり、あなたは執事。私もついついそういう目で見てしまうんだけど、そう思うとあなたのその綺麗な言葉だったり、礼儀正しさに暖かいものを感じるのよ。これはきっとあなたにわざとらしさを感じないからなんじゃないかって、最近やっと感じるようになったの」
とマリアが言った。
「暖かさは私もマリア様には感じていますよ。一緒にいて楽しいと感じるからこそ、言葉も饒舌に出てくるんでしょうね」
と執事が答えた。
この会話は付き合っている男女の普通の会話ではあるが、二人の立場を考えると、実に異様な会話だった。だが、二人はそのことを意識しない。いや、他を知らないので、分からないと言った方が正解だろう。
彼がいたから、マリアは外国に留学しても寂しい思いをすることもなく、冷静沈着になれるのだろう。そういう意味ではマリアはまわりに寄り添ってくれる相手に対して、恵まれていたのかも知れない。
マリアはマーガレットと知り合って、自分にはない才覚と、人を惹きつける力に魅了された。それを感じたのは、マリアが母国から連れてきた執事が、マーガレットのことを気にし始めたからだった。
「マリア様、マーガレット様というのはどういうお方なんですか?」
と聞かれて、
「ああ、彼女はこの国の軍司令官の娘さんらしいのよ」
とマリアがいうと、
「どうりで……」
と、彼は呟くように言った。
呟きくらい、今までであれば気にしたこともなかったが、今回の呟きはどうしても気になった。
「それはどういうことなの?」
と聞かれた執事は驚いたように動揺を隠せずに、
「あ、いえ、しっかりされているので、血筋かな? と……」
と答えた。
彼の返答は、至極当然の返答であったが、マリアが求めていた回答ではなかったので、マリアとすれば少し不満だった。
「何? あなたは彼女に興味がおありなの?」
というと、
「ええ、マリア様のお友達に興味がないわけないじゃないですか? 私はそれだけマリア様を気にかけているということですよ」
これもありきたりな返事だった。
今までなら、こんなありきたりな返事をまともに聞いて、
――やはり彼は私のことを守ってくれているんだわ――
と、王女冥利に尽きるというものだったが、今はそんなありきたりな返答がつまらないと思えてならなかった。
ただ、今までが素直に言葉を受け取っていたことがおかしいのであって、言葉だけを聞いているとありきたりでつまらない返事に、どうして満足していたのかというのが、王女の王女たるゆえんに思えてならない。
男性を好きになったことのないマリアは、本当のお嬢様だった。学校でも男性がそばにいることはなく、すべてが女子の学校だった。先生も女性の先生ばかりで、王女や王室に限らず、国家の要職に就いている人の娘が通う学校は専門にあった。
そんな学校があるのは普通であり、どこの国も同じだと思っていた。学校ではあまり他国のことを深く習うことはなかった。歴史に関してもあくまでも自分たちの国中心の考え方で、隣国と言えど、詳しいことは学校で教えてもらえなかった。
隣国に留学が決まってからすぐに、マリアは急遽隣国について勉強しなければいけなくなった。その先生を引き受けたのが執事の彼だったのだが、彼は一度子供の頃、数年間だけアクアフリーズ国で生活をしていた。
両親から離れての生活だったが、国家から派遣されたというVIP待遇だったので、何ら不自由はなかったが、それもいずれマリアがアクアフリーズ国に留学することが決まっていたことから逆算して、その時期の滞在となった。
言葉も文化も習慣も、彼はその数年間でしっかりとマスターした。だが、実際にはアクアフリーズ国には表と裏の面があって、そのことに気付いてはいたが、表立って言葉にすることはなかった。いくら王家の執事で、国家のVIP待遇だとはいえ、いつ暗殺されるか分からないような事態に陥らないとも限らなかった。
そんな執事は、母国に戻ると、今度は自国の王家に対しての英才教育を受けた。自国の歴史、王家の歴史。すべてを叩きこまれたと言ってもいいだろう。マリアが今まで育ってきて知ることのなかったことを、執事の彼が知ることで、全面亭なサポートができるというわけだ。
つまりはマリアにしてみれば、自分の知らないことをすべて知っている執事は、執事という立場ではあるが、心の底では尊敬している。信頼と尊敬が彼への気持ちとなって、どちらかというと自分の感情を奥に隠すタイプのマリアは気持ちを顔に出すこともなかったことだろう。
だが、その信頼と尊敬は絶対だった。口や態度では自分が主であり、彼は従者だった。しかし心と言動や行動とに矛盾を生じている。その中途半端な感情が、見えていなかったが確かに存在していたよく分からない感情に変化していった。
――これって、恋なのかしら?
と感じるようになったのは、マリアがマーガレットと出会ってからだった。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第4部) 作家名:森本晃次