ジャスティスへのレクイエム(第4部)
「大丈夫よ」
シュルツが娘の誘拐事件を知っているかどうか知らないが、マーガレットの誘拐事件というのがメルシーによる狂言誘拐だった。
何の意図があったのかマーガレットには分からなかったが、メルシーからは狂言誘拐の話を持ちかけられ、その話に乗った。
「大げさになる前に解決することになっているから」
と言われて話に乗ったが、その影響は影を大きく動かしたのだが、表にはまったく出てきていない。大きな密約がそこにはあった。
実はマーガレットのチャーリア国への「帰国」は、その一環でもあった。ジャクソンがこの誘拐計画に関わっていたわけではないが、マーガレットを帰国させるというメルシーの計画を、曲がりなりにも達成させたのだった。
ジャクソンのような百戦錬磨の男性を、意識させないで誘導できるメルシーという女性は、どれほどの人間であるかということだが、それを実際に把握している人間は、この世には存在していない。
唯一存在していたのはメルシーの父親だけだが、彼はクーデターの犠牲になってこの世を去っている。
彼の死がどれほどの損失であったのかということを知る人はどこにもおらず、メルシーがスパイとしていかんなく実力を発揮できる理由を分かる人もいないということだった。
マーガレットとシュルツが親子対面をすることで、ジョイコット国とチャーリア国との間に密約が結ばれることになる。
内容を知っている人はごくわずかであり、ここに登場している人物の中で、当事者であるシュルツ以外は、誰もその内容を知ることはなかった。
それぞれの国家での最高国家機密に属していて、それを知ろうとすることは、極刑にも値することでもあった。
この密約は、チャールズもジョイコット国の大統領も知らない。シュルツ自身も、ジョイコット国の誰と結んだ密約なのか分からない。この密約は少し変わっているのだ。
この密約は、一種の「遺言書」のようなものだった。
どちらかの国が滅亡してしまった時、初めて効力を発揮するというもので、それだけはチャールズだけは知っていた。
「私は知らない方がいいということかい?」
とチャールズはシュルツに訊ねた。
「ええ、知らないに越したことはありません。何しろこれは『遺言書』のようなものなんですからね」
とシュルツが答えると、本当は知りたくて仕方のない気持ちを抑えるようにして、
「しょうがないな。シュルツ長官の言うとおりにしよう」
と、チャールズは引き下がった。
これまでシュルツの言い分を無視したことのないチャールズは、何が怖いと言って、シュルツの提言することに逆らうことであった。
「ありがとうございます。チャールズ様にそう言っていただけると、嬉しく思います」
シュルツのおなじみの答えであるが、チャールズには決して皮肉には聞こえない。
――シュルツの苦悩している菅谷など見たこともないので、見たいとも思わない。もしそう思うことがあるとすれば、その時に私がシュルツを救ってあげられる時ではないだろうか?
と感じていた。
そしてそんな時が来ないことを一番祈っているのはチャールズ自身であった。
「国際社会にしても、自国の中での社会にしても、まるで我々の縮図を見ているような気がするよ」
とチャールズがいうと、
「まさしくその通りですね」
とシュルツが返した。
密約は、シュルツの思いとともに、シェルターの奥深くの金庫の中に収められることになったのだ。
この密約の存在をどうしてマスコミが知ってしまったのか分からなかったが、マスコミが報道した密約は、実はもう一つの方だった。実際には密約は二つ存在したのだ。
「木を隠すには森の中って言いますからね」
と、実際に密約を交わしたシュルツとジョイコット国の密使は、お互いにほくそ笑んでいた。
「こっちの密約は、それぞれの国が攻撃された時、お互いに参戦するという、同盟を結ぶだけのものですからね。別に知られたからと言って困るものではない。逆に木を隠すための森だと考えれば、発覚させるためのものであって、囮と言ってもいい」
「まったくその通りです。でも、実際の密約の方も、そんなに重要ではないような気がするんですが、いかがなんでしょうか?」
と、ジョイコット国の密使がそういうと、
「そうでもないですよ。私にとっては、重要に感じます。お互いにという意味では、少し立場の違う密約になっているかも知れませんね」
密約が結ばれてからというもの、しばらくの間、両国の間では友好な関係が結ばれていた。
チャーリア国が建国してからというもの、こんなに平和な時期はなかったかも知れない。そのことを痛感しているのはチャールズであり、チャールズの中には、かつての国王であった頃の自分が、いまさらながらに思い出されていた。
――マリアと幸せな生活だったな――
思い出されるのはマリアのことだった。
なぜかマーガレットのことは思い出すことはなかった。
――実際に一緒にいて楽しかったのはマーガレットの方だったはずなのに、どうしてなのか、マーガレットの顔さえ今では思い出せないようになってしまった――
と、チャールズは感じていた。
チャールズは自分が忘れっぽくなってしまっていることに最近になって気付いた。
「あれは昨日のことだったのか、一昨日のことだったのか、それすら覚えていない」
と、まわりの人に愚痴のようにこぼしていた。
だが、このことをシュルツに話したことはなかった。もしシュルツに話すと、
「大統領としては、大きな問題ですね」
と言いかねないと思ったからだ。
チャーリア国を建国してすぐくらいは、大統領という職に不満があった。
「俺は国王でなければ嫌だ」
と不満を漏らしたが、実際にはそうではなく、権力というものの傘に入ることを嫌ったのだ。
国王も確かに権力の傘の下にいるのだろうが、元々が世襲であり、自分が望んだものではないのに与えられたものだった。
しかし、大統領ともなると、国民から選ばれることになる。権力というものを国民から与えられたということで、権力を行使する相手からの信任があってこその地位である。国王であったチャールズには、その矛盾が信じられなかった。
自分が国王でなければ嫌だと言ったのは、決して我儘からではない。国王としての地位と大統領としての地位とは、最初から比べることのできない次元の違うものに思えたからだ。
それでも、首相にシュルツが就任してくれたから、何とかやってこれた。大統領だけに権力が集中することはチャールズの望むところではない。そのことをシュルツも分かっていたのだろう。
チャーリア国はジョイコット国と同盟を結ぶことで、まわりのアクアフリーズ国であったり、アレキサンダー国と言った、因縁のある国から守られる気がしていた。
実際にアレキサンダー国がアクアフリーズ国を煽動し、先制攻撃を仕掛けてきた時も、ジョイコット国の存在が大きかった。チャーリア国にとってジョイコット国の存在は運命共同体のように思えたのだ。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第4部) 作家名:森本晃次