ジャスティスへのレクイエム(第4部)
たとえば、インフレを解決しようと物価を操作すれば、行き過ぎて不況に陥ったりしてしまう。ちょうどいいところで止めようと無理をすると、今度は不況とインフレの複合が発生し、抜けられなくなってしまうかも知れない。
手探り状態で結果を模索していると、無理が必ず生じてきて、落としどころを見失ってしまう。落としどころが完璧でないと、この問題は解決しない。対策を取れば取るほど泥沼に放ってしまう可能性があるのが、経済問題なのだ。
この場合の貧富の差も同じことが言えるのかも知れない。要するに、両極端のどちらもを凌駕できるような対策など、そもそも存在しているのかすら見えてこない。そんな状態で果たして手を付けることができるかどうか、難しい問題だ。
だから、かつての歴史上の政治家たちが挑もうとして失脚してしまったという例を、いくつも見てきているシュルツには、迂闊に取り掛かることのできない問題だという意識は重々持っていた。
財務大臣を誰にするかが建国当時大きな問題であった。
アクアフリーズ国からの亡命政治家を登用するのも考えたが、それではこの国の現状を知らない人に任せることになる。それも難しく、かといってジョイコット国から連れてきた、元々貧富格差問題を研究していた人を大臣に据えるかということも考えたが、彼は政治家と言っても議員ではない。大臣にするのは無理があった。
「では、元々アクアフリーズ国から連れてきた人を大臣にして、副大臣をジョイコット国での研究者にするというのはどうかな?」
という意見をチャールズは持っていて、シュルツはその意見に従うことにした。
今までシュルツはいくつかチャールズの意見を取り込んだことがあった。だがそれは一部のことで、実際にチャールズが口にした意見のほとんどは握り潰されていた。
だが、今回は素直にチャールズの意見を受け入れたのは、ひょっとして自分の意識の衰えを感じていたからなのかも知れない。
チャールズとしても、こうも簡単にこんなに難しい問題を、シュルツが自分の意見を受け入れてくれたのか疑問だった。
――まさか、そんなことがあるなんて――
とチャールズは考えたが、答えは見つからなかった。
「年を縮めることはできないからね」
と、以前にシュルツが言っていた言葉だったが、その言葉を口にした前後から、シュルツは自分の考えに不安を覚えるようになった。
それが、同じ距離で見ているチャールズが、近くなったり遠くなったりと一定していないことに気付いたからだ。
――私の方が、きっと揺れ動いているからなんだろうな――
とシュルツは考えた。
しかし、チャールズの方も、いきなり国家元首にさせられて、国王としての教育しか受けてこなかったこともあって、最初からチャールズが大統領という地位を確保できるかどうか疑問だった。
シュルツはチャールズとの距離が一定していないことに気付き始めると、これまでの自分の決定権をゆっくりとチャールズに移行していった。
ゆっくりと静かに行ったのは、その行為が誰にも知られてはいけなかったからだ。チャールズはもちろんのこと、他の人に知られてしまうと、自分の権力の限界を見透かされたようで、今はまだ絶対的な国の実権者としての地位を脅かされるのは、よろしくないことだった。
それでもチャールズに権力が集中するのも問題があった。シュルツが次第に老いてくる状態で、歯止めを聞かせる人もおらず、下手をするとシュルツは自分の保身に走るかも知れないと自分で感じている時点で、精神的な怪しさを醸し出していた。
シュルツは自分の権力を限定的にしようと思っていた。全体的にまんべんなく影響力を保ってきたシュルツだったが、今のような状態で、あらゆる事態に権力を持ち続けることができるほど、自分に自信が持てないでいた。
シュルツは気付いていなかったが、この自信が持てない、不安が募っているという状態はまわりに対して緊張感を与えているようだった。
この緊張感は、実は悪いものではなかった。緊張感を持つことで、まわりにピリッとした空気を植え付けて、緊迫した空気を張りつめらせることができる。
必要以上な緊迫は問題外であるが、適度な緊迫は問題ない。むしろ緊迫することでお互いを鏡にして自分を見つめなおすことができるからだった。
一部の政治家の意識をいくら集中させても、民衆の一人一人の意識が変わらなければ、決していい方向には好転しないだろう。シュルツは緊迫感をまわりに与えることで、潜在している力を一人ずつ表に出させようとしていた。
「一人では何もできないけど、十人、百人と集まれば、容易に問題を解決することができる」
と、以前誰かが言った言葉を思い出していた。
この言葉は、誰かが言ったわけではなく、シュルツ本人が言った言葉だった。バリバリの頃のシュルツはいちいち格言を思い出すことはなかったが、最近は思い出すようになった。
それも、まさかその言葉の出所が自分であるということに気付いていないという一種滑稽な状態だったのだ。
「年というのは取れば取るほど、年に対して意識したくないという思いが強くなるけど、そのくせ、先が見えていることで、諦めの感情が背中合わせになってあるということを忘れてはいけないんだ」
と、最近になって、シュルツは感じるようになった。
「私がこんなことを考えるようになったなんて」
と感じていた。
その理由は、最近まで自分が二十歳代だという意識を持っていたからだ。今でもその意識が残っていて、そのくせ年相応の自分を想像している。両者が結びつくことはないだろうが、それだけに意識が希薄になっていく。
「物忘れが最近すごくて」
と年を取ると忘れっぽくなると思っていたが、実際には自分への思いが希薄になり、他人事のように感じるようになったからではないだろうか。
チャールズとシュルツの年齢差は、親子ほどである。何しろシュルツの娘が側室だったくらいだからだ。
シュルツは、この年になって、娘のマーガレットを気の毒に感じるようになっていた。
「本当なら普通に恋愛をして幸せな結婚ができたかも知れないのに」
という後悔の念があった。
クーデターが起こってから、何とかマリアと一緒にジョイコット国へ亡命させることに成功したが、その後のことはなかなか掌握できていなかった。まず最優先で守らなければいけないのは、亡命国王であるチャールズだった。
相手が国王だからという理由だけではなく、自分にとって盟友だと思っているチャールズは必ず自分が守るという思いがあったからだ。
実際にチャーリア国建国から、アレキサンダー国やアクアフリーズ国の内政干渉から、余計な時間を使わされてしまったという意識が強かった。
――この間に、本当なら国内を纏める時期だったにもかかわらず、他国からの侵略に緊張状態を保っていなければいけないというのは、本当にストレスだったんだ――
と、今の自分の衰えの遠因に、侵略を恐れるストレスが関係していたことに気付いたのは、かなり後になってのことだった。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第4部) 作家名:森本晃次