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ジャスティスへのレクイエム(第4部)

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 影のように生活してきた人間を、ジャクソンはたくさん知っている。もっともそれは今の立場になってから知る機会が増えたからであって、子供の頃から影に徹していた人をまっすぐに見ることができなかった自分を意識していた。
――いや、目を背けていたくらいだった――
 と感じるが、子供の頃というのは見たくないものを見なくてもいい唯一の頃だったのかも知れない。
 子供の頃のジャクソンは、正義感に燃えた男の子だった。絶えず表に出ることを考えていた彼には、マーガレットやマリアがいつも眩しく見えていた。
 執事を見ていて、彼の存在を尊敬に値すると思っていたが、
――俺はあんな風にはなりたくない――
 といつも思っていた。
 自分が日陰に甘んじるなどありえないと考えていたからだった。
 また、ジャクソンは実直な性格で、曲がったことが嫌いでもあった。そんな彼を変えたのはマーガレットの存在だった。マーガレットはいくら亡命国王とはいえ、かつての国王であるチャールズの側室である。そんな彼女に恋をして、一緒に暮らしているというのだから、実直な性格のジャクソンにしてみれば、まるで自分に対しての裏切り行為にも感じられた。
 彼は必至でその思いを打ち消そうとしていた。普段から冷静沈着なジャクソンが、マーガレットと暮らし始めてから、どこか情緒不安定なところがあった。
 会話に一貫性がなかったり、人の話をまともに聞いていなかったりと、彼を知る人にとっては、信じられないような変貌ぶりだった。
 まわりの人はジャクソンがマーガレットと一緒に暮らしているのは知っていた。しかしそれは亡命先での側室の運命を少しでも和らげるための偽装同棲のようなものだと、まわりは解釈していたのだ。
 マーガレットとジャクソンの関係は、誰も知らないと言ってもいいだろう。マリアでさえ、二人が愛し合っているなどということを信じられないと思っていた。
 ジャクソンはマーガレットと暮らし始めて、今まで感じたことのなかった癒しを感じるようになった。
「俺も人並みの感情があるんだな」
 と自分に言い聞かせていたが、その思いはマーガレットにも伝わっているようで、彼を見るマーガレットの目はさらに細くなっている。
 そんな時、マーガレットの前にスパイの彼女が現れた。
「お久しぶりね。マーガレット」
 最初に声を掛けてきたのは、スパイの彼女だった。
 最初は誰なのかまったくわからなかったマーガレットだが、彼女がこぶしを握ったその後で、親指と小指を伸ばしたポーズをしたことで、
「あら、メルシーじゃないの。確か小学生の頃、一緒だった」
「ええ、それ以来ね」
「確かあなたは、小学校卒業して少しして海外に引っ越していったわよね?」
 というマーガレットに、
「ええ、よく覚えていたわね」
「ええ、海外に引っ越していく人なんて、そうはいなかったので、私には印象が深かったわ」
 というマーガレットの言葉を聞いて、
――そういう印象でしか私のことを覚えていないんだわ――
 と感じたが、ずっと影の存在であったメルシーには、そう言われる方がありがたかったのだ。
「今の私は改名して、ナンシーと名乗っているわ。だからナンシーと呼んでね」
 とメルシーは言った。
 彼女は普段はナンシーという名前で行動しているが、影となってスパイを重ねる時は、本名のメルシーを使う。それだけ本名であるメルシーを影の中に押し込んでおきたかったのかも知れない。
「分かったわ。ナンシーね」
「ええ」
「マーガレットはどうしたの? 確かあなたはアクアフリーズ国で王宮に入ったというウワサを聞いたことがあったわ」
 マーガレットが王宮に入ったということは、学生時代の友達には話をしていたので、別に非公開にしていたわけではない。ただ、国王の側室になっているということは誰も知らないだろう。
――木を隠すには森の中――
 ということわざがあるが、一つのウソは、それ以外の真実で隠すのが一番いいというわけである。
「ええ、あなたも知っているかも知れないけど、あれから軍事クーデターが起こって、私たちは亡命を余儀なくされたの」
 というと、
「それで、このジョイコット国に逃れてきたというわけね」
「ええ、そうよ」
 マーガレットは、いきなり声を掛けてきた、小学生の頃の記憶しかない相手が自分のことをどこまで知っているのかに興味があった。
 ずっと忘れていた相手の顔を覚えているわけもなかったマーガレットに比べ、十年以上も経ってから、しかも、幼少の頃と変わり果てている自分をすぐに分かったというのもおかしなことだった。
――前から私のことを意識していたのかも知れないわ――
 と思ったが、それならそれでどうして声を掛けてくるのが今のタイミングなのか、不思議だった。
――今声を掛けるだけの、何か理由があるのかも知れないわ――
 とマーガレットは感じた。
 マーガレットはメルシーにいろいろと感じるところがあったが、今このタイミングであれこれ聞くことはできなかった。相手が何を企んでいるのか分からないが、もし何か企みが本当にあるのだとすれば、今はそのことを悟っていると、相手に分かられるのは得策ではないと考えたのだ。
 マーガレットはメルシーとの再会を偶発的なものではあるが、今回で終わるはずはないと思っていた。敢えてお互いに連絡先を交換することはなかったが、アイコンタクトのようなものを感じた。
 それはお互いに、これが最後だとは思えないというもので、変なところで意識の共有を感じたマーガレットだった。
――ふふふ、これでマーガレットのことは意識し続ける必要はないわ――
 とメルシーは感じた。
 メルシーには自分なりの計画があった。それはスパイとしての計画ではなく、むしろスパイではない自分が考えた計画であった。
――スパイの私にはきっとできないことなんだわ――
 と感じていたが、メルシーは決して二重人格者ではなかった。
 スパイとしてのメルシーは、最後まで自分の性格を押し通したスパイだった。まわりの人が普段のメルシーとスパイのメルシーの両方を知っているとすれば、
「まさか、あの二人が同一人物だなんて」
 と思うに違いない。
 だが、それは見る人の立場が同じ立場だからである。角度がついてしまうと、見えない部分が目立つため、さらに角度をつけてでも見えやすくしようとするはずである。それがメルシーの人格掌握実の一つでもある。相手に錯覚を植え付けるというのも一つの方法だからだ。
 メルシーは、子供の頃から鏡を見るのが嫌いだった。だが、スパイになってからは毎日のように鏡を見る。
 それは、そこに写っている人が、知っている自分とはまったく違う人になっているからだ。
――これが本当の私なんだ――
 と、鏡の中の自分に言い聞かせる。
 すると、
「いいえ、違うわよ。私はあなたであって、あなたではないのよ「」
 と返事が返ってくる。
 メルシーは、
「そうだったわね。あなたはメルシー。ナンシーではないのよね」