短編集59(過去作品)
人の意見に逆らうのは意外と面白い。他人をアッといわせてみたり、人の期待を裏切ってみて、忘れた頃に成果を上げるのも楽しいものだ。天邪鬼と言われることが褒め言葉だと思っていた。
実際にまわりからは孤立を深めていく。だが、孤立を深めることで何か自分が損をするわけではないので、孤立が困るわけではない。いつかは孤独で困ることもあるかも知れないが、今は別に問題ない。この性格は一体どこから来たのだろう?
高校、大学と、ずっと孤独感と向かい合ってきた。大学時代だけは唯一友達が数人いた。中には自分のことを親友のように言ってくれて、いろいろな相談を受けることもあった。何しろ他人と接することがほとんどなかったので、アドバイスもどうしていいのか分からなかったが、適当に自分の意見を言うだけで相手は真剣に聞いてくれる。嬉しい気持ちもあるが、無責任な意見なので、気持ちは複雑だった。それでも意見は的を得ていたようで、アドバイスを聞いて実行すると、かなりの確率で事態が好転するようだった。
「やっぱり持つべきものは親友だよな」
と言ってくれるが、当の村田自身は、自分から人にアドバイスを求めることはしなかった。
今まで自分ひとりで物事を解決してきた自負もある。孤独が味方をしてくれるという考えもある。
社会人になると、今度はまったく勝手が違う。完全に孤独な世界であった。仕事上では話をしても、あくまで仕事上のこと、プライベートな話など持ち込める雰囲気でもなければ、個人の意見があまり尊重されるわけではない。
大学卒業前は最高学年、しかし会社に入れば新入社員、新人である。優しい先輩ばかりではない。新人と思って舐めて掛かる人もいる。
今までと勝手が違うのも当たり前で、特に集団の中の輪の中でだけ目立っていた人は最初は苦しいものだ。
最初だけ乗り切ればいいのだろうが、出鼻をくじかれたまま立ち直れない人もいたりして、想像以上に学生時代との違いを思い知らされた。
孤独と隣り合わせだった村田は、冷静に見ることができる。自分を客観的に見ることもできるので、他人と自分を比べると、それほど苦しむこともなかった。新人の間は、とりあえず覚えることが先決で、任された仕事を忠実にこなしていればいいだけだった。
――頭が混乱してしまうと、パニックに陥ってしまって先に進まない――
まわりを見ていると感じることだった。そしてそれだけは避けたいことだった。
気がつけば会社では中間管理職の立場になっていて、課長というポストを与えられていた。
最初に係長に就任した時は手放しで嬉しかった。
だが、部下ができると、それだけ責任が生まれ、何よりも自分がやっていた仕事を任せなければならない。それが辛かった。
「俺がやった方が、断然早いのにな」
という気持ちもあり、何よりも自分が身体で覚えたノウハウを教えなければならないことが理不尽だった。
教えないと、なかなか効率よく仕事ができない連中だった。彼らの自主性に任せていれば、いつまで経っても仕事を覚えないと思えてならない。
――今まで、ずっと輪の中にいた温室育ちなんだろうな――
と冷めた目でしか見れなかった。
おおよそ管理職には向いていない性格なのかも知れない。人に仕事をやらせることが自分の仕事の一つで、
――やりやすい環境を整えてやるという縁の下の力持ちが上司だとすれば、出世などしなくてもいい――
とさえ考えた。
だが、実際にやってみると、それなりに面白いところもある。
自分が培ってきたノウハウを資料にまとめていくのも面白い。
――こんなところにも苦労したんだっけ――
と、自分を振り返ることができるからだ。
しかもストレートにまとめるのではなく、誰にでも分かるような資料と思えばなかなか難しいものだ。当然資料にも個性がついてくる。人にできないマニュアルを自分の個性で作成していると思えば、やる気が出てきた。
そのうちに人を使うのが面白くなってきた。思うように自分の課の仕事が目に見えて進んでくると、その業績は自分の成果として会社が認めてくれる。やりがいがあるというものだ。
そういえば、子供の頃に父親から言われたことがある。
「お前はお父さんくらいの年になると、きっと世の中が楽しくなってくるんだろうな。見えていなかったものが見えてくるというのは面白いぞ」
と話していた。その時の父親の表情が何とも言えず忘れられない。含み笑いをしていたように見えるが、今から思えばあれは、遠くを見るような目だったように思う。
――お父さんは一体どこを見つめていたんだろう――
最近、ふとしたことで考えるようになった。
父親に自分が似てきたと思うようになってきた。それまでは考えたことがなかったのが不思議である。だが、父親との一番の違いは、まだこの年で村田が独身でいるということだ。
年齢的にも三十歳代後半、とっくに結婚してもいい年齢である。
結婚する機会がなかったわけではない。学生時代に女性と付き合ったことのなかった村田が、社会人になって第一線での仕事が順調で、仕事が一番楽しい頃があった。管理職になってから感じるのは、仕事の楽しさではない、面白さであった。
楽しい時期というのは、他でも何かの副産物を呼ぶようだ。精神的に余裕が出てきたのがいいのかも知れない。まわりをじっくり見れるようになってくると、まわりもこちらを見るようになるようだ。
じっと見つめていると、相手が自分の視線に気付くのと同じ心理である。内向的になっていると完全に気配を消しているかのようで、誰も気付かない。まるで道に転がっている石ころのごとくである。
学生時代はそれが功を奏した。一人で誰からも構われることがない自由を満喫していたのだ。
――社会人になると、どうして違ってくるのだろう――
第一線の仕事は、一つの歯車でしかない。上からの指示の元、自分の仕事を行い、次にまわす。大きく見れば流れ作業の一つである。学生時代であれば、あまり好きになれないものである。
――仕事というよりも作業だな――
金が絡むと精神的に違うのか、仕事の報酬を考えればやりがいが出てくるのも当然である。だが、それよりも何よりも一番のやりがいは、自分が行った仕事が、すぐに形になって現れることだった。それが第一線の醍醐味であり、楽しさでもあったのだ。
きっと第一線の部隊としては、村田の働きは上司にも認められていたので、結構まわりからも注目を受けていたのかも知れない。それまでに感じたことのない視線を感じる。痛いほどの視線を感じることもあったが、悪い気がしない。
――もう、石ころではなくなったのだ――
この気持ちが一番強かった。
女性からの視線が新鮮だった。孤独を一番だと考えていた自分がまるでウソのようで、女性の視線を感じると、まるで中学時代に戻ったかのような新鮮な気持ちになれる。
かといって、中学時代に戻りたいとは思わない。進んできた時間の中で、精神的に新鮮であればそれでいいのだ。まわりの視線を素直に受け入れることができる。
そんな中で一人の女性と知り合うことができた。いつも会社には電車出勤だったのだが、同じ電車で毎日同じ車両に乗っていた。
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次