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短編集59(過去作品)

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ひこうき雲の記憶



                 ひこうき雲の記憶


 暑かった夏も峠を越え、風が吹けば涼しさを感じることができるほどになっていた。灼熱の太陽が降り注いだ時期がまるでウソのように、日陰に入ると心地よい。
 だが、まだまだ歩いていると汗が吹き出してくるのは日差しだけは夏の余韻を残していて、歩いていると喉の渇きが耐えられなくなってくる。
 空を見上げるとウロコ雲が浮かんでいる。ついこの間までは雲ひとつないほどの快晴で、容赦ない日差しに打ちひしがれた気分になっていた。しかし今ではウロコ雲を見ているだけで、少しは心地よさを感じられるようになっただけでも、まだ精神的にも楽である。
 九月も中旬になれば、もう少し涼しいものだと思っていたが、昨今の夏は異常である。梅雨明けも遅くなっていることを考えれば、残暑が長いのも頷ける。それにしてもいつまで続くのか、体力的にも勘弁してほしいところではある。
 夏の間にうるさいほどだったセミの声もすっかりなりを潜めている。梅雨明けする前の雨が降らなくなった瞬間からわめき始めたセミである。寿命から考えると、もう鳴き声が聞こえなくなるのは分かっていた。
 セミの声が聞こえなくなっただけでも、気分的に涼しさが戻ってきたように感じる。もっとも、本当に暑い時期は、セミの声を気にしている余裕のないほどに暑苦しく、真面目な話、暑さに参っていたというのが本音であった。
 夏から秋へと季節が変わっていく瞬間を、今まではそんなに気にしたことはない。
「早くこの暑さ、何とかならないものか」
 と考えているのは、夏に入ってしばらくだけで、一ヶ月以上も経つと、暑さに慣れてくるのか、そんなことも考えなくなってしまう。セミの声も気にならないほど、感覚が麻痺してしまっているといっても過言ではないだろう。
 春から夏にかけての時と勝手が違う。寒かった時期から、ある時期、いきなり暑くなる。日差しが強くなり、油断すると日焼けで悩まされてしまう時期である。
 五月の最初の時期、世はゴールデンウィークと呼んでいる時期に一度暑さが強まってくる。それが次第に落ち着いてくると、今度は気がつけば梅雨に入っている。
 梅雨というのは天気と同じで曖昧な時期である。いつ入ったのか、そしていつ抜けたのかがハッキリとしない。気象台の発表が唯一の判断だが、それも時々後になって変更になったりするので、これほど曖昧なものもないだろう。
 特に今年の夏は暑かった。
 夏に入る前に、気象予報士の話で、
「今年の夏は猛暑になるでしょう」
 と言っていた。複数の気象予報士の話だったので信憑性を感じていたが、実際に梅雨の時期に、日照時間が歴史的に少なかったことから、前言撤回する気象予報士もいたりした。
「場合によっては冷夏になりうる要素も出てきました」
 と言い出したのである。
 確かに夏は暑くないと困るのだが、それでも程度が知れている。あまり暑さでの影響を仕事で受けることのない人間は、やはり冷夏の方がマシだと考えるに違いない。
 村田勝彦もそうだった。
――仕事で歩くことも多いので、暑い夏は勘弁してほしい――
 そんな気持ちが心の奥にあった。同僚とも、ビールを呑みながら、そんな会話をしたこともあったりした。
「だけど、ビールは暑い時期の方がいいよな」
 あまり酒が強くない村田であったが、最初の一口だけは同感だった。それにしても居酒屋というところは、どうしてここまでエネルギッシュなのだろう。表がどんなに暑くとも、声の大きさや会話の迫力は衰えることを知らない。
 酔っ払った勢いというものだろうか。そんな雰囲気をいつもどこか他人事のように見ているのは、自分があまり酒に強くないという意識だけではない。雰囲気自体に馴染めない気持ちもある。
 あまり目立つことのなかったこれまでの人生、賑やかなことには無縁だった。これからもそんな人生を歩んでいくのは分かっているつもりなので、どうしても賑やかな場所は場違いに思えてしまって、見ている目も、他人事に見えてしまうのだ。
 それはそれで仕方がないこと、無理に自分から馴染めない雰囲気に入っていこうとは思わない。ある意味、他人事のようにまわりを客観的に見ることは今までにも何度もあったことだ。
――群れに染まりたくない――
 という気持ちが芽生えたのは、意外と小さい頃からだった。
 小学生の頃には、そんな思いが芽生えていた。
 自由奔放という意識は、父親からの教育だった。あまり人に詮索することをせず、自分の子供にも、
「協調性は大切だけど、自分の中にある自由な発想は伸ばさないとな。それが個性というものだからな」
 小さい頃にどこまでその言葉を理解したか分からないが、話を聞いているだけで、
――もっともだ――
 と思うようになっていた。
 誰にも邪魔されない自分の領域を持つこと、それは人から染まってしまうと簡単に崩れてしまうものに思えた。
「個性」という言葉、ずっと好きである。あまり個性が強いとまわりとの協調性がなくなるから、強い個性を治そうとする先生もいた。だが、そんなことは小さい頃からの意識が植え込まれた村田にとっては、余計なお世話である。
 事あるごとにその先生に反抗し、最初はまだ先生も自分の教育方針に忠実であったが、そのうちに根負けしてしまった。一切村田には構わなくなっていったのだ。
 村田は人に迷惑を掛けることを一番嫌っていた。だから、先生から叱られるようなこともまったくない。次第に先生との距離が深くなり、クラスでも孤立してしまっていた。だが、村田はそれでもよかった。
「自分の意志を曲げてまで集団に入りたいとは思わないさ。それならまだ孤独の方がいい」
 と半分開き直ったように嘯いているが、本音であることに違いはない。
 村田には才能があった。将来ものになるかどうかまったく分からないが、絵画には造詣が深かった。中学に入って美術の時間など、先生もビックリするほどの絵を描きあげてくる。
「彼は色彩の感覚がずば抜けて素晴らしい」
 美術の先生の意見だった。
 だが、それも村田に言わせれば、
「これが俺の個性なんです」
 と答える。先生も、
「自分で個性を把握できる人間は、表現力が素晴らしいものさ。君には表現力という意味で、まだまだこれから上達していきそうな気がするね」
 美術部への入部も誘われたが、丁重に断った。先生も納得してくれていたようなので、最初から断られることを分かっていたのかも知れない。お互いに敬意を表していたのだ。
 殻に閉じこもるわけではなく、ただ一人で適当に絵を描いていたいと思う。休みの日などに適当に出かけていって、スケッチしたりするのが中学時代の趣味だった。
 最初は鉛筆スケッチを楽しんでいた。色がなくとも濃さを表わすことができる。色があるよりもモノクロの方が想像性豊かになって面白かったのだ。本当なら、
「色彩感覚がずば抜けて素晴らしい」
 という褒め言葉を貰ったのだから、油絵あたりに興味を示してもいいのだろうが、素直に油絵にいかないところが実に自分らしいと苦笑する村田だった。
 天邪鬼な性格だと思い始めたのはその頃だった。
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次