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短編集59(過去作品)

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「禁煙の人たちが煙を嫌がるのと同じくらいか、それ以上に、俺たちは印象を悪くしてくれる一部のマナー違反の連中を許せないのさ。何も考えていないのと一緒だからな」
 確かにそうだ。わざとしているのだとすれば、これは別の意味で問題だが、大半は何も考えていない連中だろう。一言で言って、和人は何も考えていないために、人に迷惑を掛けている連中が許せないのだ。
――なんであんな連中のためにストレスを溜めなければならないんだ――
「ストレスだと感じなければいいんだ:
 と言われるかも知れないが、感じるものは仕方がない。
 それにしても一体いつ頃からストレスだと感じるようになったのだろう。
 和人は合理的に考える方だった。合理的というのは得てして自分中心の考え方になってしまうことを感じていた。中学の時に友達の家に泊まろうという皆の意見を悪くないと考えたのも合理的な考えだった。
 皆が泊まるというのだから、一人くらい増えても問題ないはずである。合理的というか現実的な考え方である。
 しかも相手が迷惑ではないと言っているのだから、素直に
「はい、そうですか」
 と言っていればそれだけで済むのではないだろうか。却ってそこで一人だけ帰らされる方が相手にも他の友達に対しても余計な気を遣わせるように思えてならなかった。
――それほど俺が信じられないのかな――
 自分が泊まることで、何か相手に迷惑を掛けてしまうことを懸念してのことではないかと勘ぐってしまう。
「うちはお友達が泊まれるくらいの部屋はあるんですから、気にしなくてもいいんですけどね」
 と友達のお母さんが言っていたが、それが本音であろう。
 もし、自分が泊まることで、後から何かお返しをしなければならず、それが億劫だと思っているとすれば、子供心に許せない気持ちが芽生えてくる。
 マナー違反の人たちに対してのストレスに近いものがある。だが、マナー違反の連中に対しての怒りは合理的に、さらに現実的に考える人間としては、矛盾した考えなのかも知れない。
 マナー違反を許せない考えは、どちらかというと、父親の考えに近いだろう。マナー違反を許せない考えになってきたのは、和人が三十歳近くになってからだった。
 それまでだと、あまり気にしていなかったことだったのだが、社会人になってから、目に見えないストレスを感じるようになったからかも知れない。
 それまでストレスというと、何かハッキリとしたものだった。
 大学時代、卒業や就職の時に、なかなか就職も決まらず、卒業も微妙だった状態の時は、さすがに自分の中にストレスを感じた。生まれて初めて、自分ではどうにもならない大きなことにぶつかった気がしたくらいだ。
 それまでは、何とかなってきた。勉強をすればその成果が現われる。しなければ成果にならない。だから勉強をする。
 そんな理論が頭の中で繰り返されていた。
 だが、就職はそう簡単に行くものではない。自分が考えているように相手が感じてくれるわけもなく、特に面接などではわざと意地悪な質問もあったりした。
「意地悪な質問をされる時の方がまだいいかも知れないな」
「どうしてだい?」
「簡単な質問の中は、皆同じ答えが多いだろう。世間一般の答えというやつさ。しかも受ける方も少しでも印象をよくしようと思いながらも、悪くしてはいけないと思うことで、無難に答えてしまう。もっとも簡単な質問にそこまで神経質になる学生もいないだろうけどね。でも、向こうはそんな受け答えから少しでも違いや光るものを探そうとしているんだ。相手もいくら仕事とはいえ、一人一人一生懸命に面接しているということだろうね」
 就職活動中に友達になったやつが言っていたが、その言葉を今でも思い出すことができる。就職してからストレスが溜まってくると思い出す言葉でもあった。
 学生時代と就職してからではまったく生活も変わってくるだろうし、考え方も変えなければならないことは分かっていた。だが、就職活動中はそんなことを考えている余裕などあるはずもない。
 さらに就職活動中の夢を今でも見ることがあるが、そんな時に彼の言葉も一緒に思い出すのだ。
 自分は働いているという意識があるのに、なぜか、卒業しなければならないという不思議な状況に追い込まれた夢である。夢では矛盾を感じていないはずもないと思うのだが、それよりも現実の世界で起こったことを細切れに展開することも夢の特徴なのかも知れないと感じていた。
 社会人になってから、
――意識のないストレス――
 を感じるようになっていた。
 学生時代と違い、就職すると努力がそのまますぐに結果になって現れるということは稀にしかないことに気付く。簡単なことでもコツコツとした積み重ねが大切だったりすることも分かってきた。
 そのどちらもがストレスとなる。簡単なことをコツコツこなすのがストレスになるなど考えたこともなかった。これが学生時代であれば、楽しさの中に紛れ込ませることができるので、コツコツを楽しさに変えることもできるが、仕事をしている上では、そうも行かない。
 一番の違いは、
――一人では何もできない――
 ということを知ったことであろう。すべての流れが決まっていて、そのためにいろいろな部署が存在する。無数にある業務の流れが縦横無尽に結びついて、まるで見えないクモの巣が張られているようにさえ思える。無数にある糸の中の一部を、自分の仕事にしているのだ。
 だからこそ、すぐに結果が見えてこないのも当たり前である。自分も誰かから仕事を引き継ぎ、自分の仕事をこなして、誰かに渡す。まるでベルトコンベアに乗っている機械のパーツを組み込んでいくような気持ちである。
 仕事だけをしていたのでは、ストレスは溜まる一方であった。かといって、趣味をするにも思い浮かばない。
 会社の人たちの中には、サークルを作って、休日にはソフトボールの試合をしたり、釣りに出かけたりしている人はいるが、部署内での有志を募ってのことだった。
 和人の部署にはなぜかそういうことを考える人は誰もいなかった。和人自身も自分からサークルを立ち上げるほどバイタリティに満ちているわけではないし、車を持っているわけではないので、発起人としては少し役不足であった。
 個人でできるストレス解消とすれば、休日に街に出て、本屋に寄ったり、一人喫茶店で本を読みながらコーヒーを飲んだり、あとは、公園をゆっくり散歩するくらいだろうか。
 二十歳代も後半になると、女性との出会いも夢見るようになった。
 学生時代からあまり女の子に縁がなかった。
「思い切って声を掛けるくらいの勇気がないと、なかなか出会いはないぞ」
 と学生時代から言われていた。
 合コンにも何度か参加したことはあったが、どうも自分から話しかけることができなかった。最初は話をするくらいできるだろうと思って参加したはずなのに、最初、話をすることができないと、ずっと誰とも話をできないで終わってしまう。
 その日だけではない。次の日も、さらに次の日もである。
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次