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短編集59(過去作品)

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 という返事が返ってきているに違いない。友達によっては、電話を代わってもらい、親同士が話をすることもあった。見ていて、爽快な感じがする。
 最後はなぜかいつも和人だった。
「友達の家に泊まってこようと思うんだけど、いい?」
 と電話口で言うと、一瞬電話の向こうから返事がない。気配も感じられないくらいだ。きっと考えているんだろうが、返ってきた返事は、
「何をバカなことを言っているんだ。帰ってきなさい」
 という言葉だった。
「皆泊まるって言ってるんだけど」
 と言っても、
「皆は皆。お前は相手の家庭に迷惑を掛けていることに気付かないのか」
 と言われて、話が進まない。仕方なく友達のお母さんから話をしてもらうが、それでも息子は帰らせるという返事しか返ってこない。
「仕方ないわね」
 友達のお母さんから、そう言われてしまっては、どうしようもない。ここは帰るしかない。
――どうしてなんだ――
 自問自答を繰り返す。
――俺が何か悪いことをしたのか――
 いや、何も悪いことをしていないのに、悪いことをしたように感じなければならないのは、実に惨めである。
 一番それが嫌だった。
 悪いこともしていないのに、バツの悪さを感じなければならず、バツの悪さが自分を惨めにする。
 帰り道、自分の意志とは関係なく、止め処もなく目から涙が零れ落ちる。悔しさと惨めさ、その思いだけがその時の和人を支配していた。
――なんでこんなことになるんだ――
 誰を恨んでいいのか分からない。その時は分からず屋の親を恨むしかなかった。どんな言い訳をされようとも、その時の惨めさには変えがたいに違いない。その思いがトラウマになってしまっていた。
 家に帰ると、父親は情けないといって、話をしようとしない。母親はというと、
「あなたが泊まってくるなんていうから、お父さん情けないって寝てしまったわよ。お母さんもどうすることもできないわ」
 と言っていたが、結局母親も父親の意見に賛成なのだ。しっかりとした自分の意見を持っていない母親へも嫌悪を感じ、
――いったいこの家庭はどうなっているんだ――
 と感じさせられる瞬間だった。
「ちゃんとしないと、お父さんに言うわよ」
 このセリフは耳にタコができるほど聞かされた。
「私は自分の意見を言っちゃいけないの」
 と言っているのと同じである。自分の気持ちを封印することほど情けないことはないという思いは、成長期である中学生の和人にとっては切実な思いでもあった。
――こんな大人にはなりたくないな――
 といつも思っていたが、友達の家から強制送還させられることの惨めさで、いつもその思いを確信させられる。
「相手の家庭に迷惑じゃないか」
 と父親は言うが、
「皆泊まるって言ってるんだから、三人が四人になるだけじゃないか。皆帰るって言っているのに、僕だけが泊まるというのなら迷惑だろうけど」
 というが、
「それはへ理屈だ」
 後から思えば、確かにその言い方はそんな問題ではないのかも知れないが、事実としては皆泊まるのだから自分だけ帰ってきたとしても、体勢には何ら影響はない。
 一つ言えることは、和人の親が、正月は家族だけで過ごすものだという固定観念に捉われているのは間違いない。家庭にはいろいろあって、中にはワイワイ過ごすことが楽しみな家庭があっていいはずだ。
――中学生の自分が分かるのに、大人が分からないなんて、何とも情けない――
 口に出して言えるわけもなく、結局惨めさと、理解できない理屈に苛まれ、それがトラウマとなって残り、自分の中にトラウマを残した両親への憤りがずっと消えることはなかった。
 だが、そんな父親も、和人が成長してくるにしたがって、温和な性格になってきた。
 どこが変わったのか分からないが、何よりも和人の性格を認めるようになったことだけは大きな進歩であろう。中学を卒業するまでは、明らかに子供相手の会話で、上からの押し付けという感が拭えなかったが、高校生になる頃には、一人の人格を持った人間を相手に話していると思わせるところが嬉しかった。
 もっとも、それだけ和人に成長が見えるのかも知れない。
 高校生になると、大人の仲間入りに近い感覚が明らかに和人の中で生まれてきているようだった。まわりの友達は変わらないが、高校に入ると皆急に大人の感覚に見えてくる。これでは自分も大人の感覚にならざる終えないのも当然というものだ。
 どこが大人なのかと聞かれると難しい感覚ではあるが、きっと相手の話をしっかりと聞く耳を皆が持ってきたことにあるに違いない。
 中学の頃までは、自分に意見があれば、人の話を遮ってでも話そうと思う気持ちが強かった。かくいうそれが一番強かったのは和人かも知れない。だからこそ、
――俺は目立ちたがり屋なんだな――
 と思うようになっていた。
 一人でいると不安になっていた。
 誰かがそばにいないと不安だったのは中学までで、高校に入れば、自分をしっかりと見つめなおすことができるようになっていた。
――別に一人で悩むこともない――
 皆同じことを考えてそれを自分で解決してきたんだということが、何かのきっかけで分かってきた。
――こんなことを言うと笑われるに違いない――
 この気持ちは、目立ちたがりだった中学時代に余計なことを言って、場をシラけさせてしまったことが分かってから感じるようになった。嫌われたくないから話そうとしない。そのために孤独感を感じ、こんな思いで苦しむのは自分だけだと思うようになってしまっていた。
 その思いが払拭されるようになると、自分が大人に一歩近づいたことを表わしている。
 人から掛けられる迷惑に敏感になっていった。マナーを守らない人を見ると、大人でも子供でも許せない気持ちになってくる。
 電車に乗っていてもそうだ。
 特に電車内が禁煙と決まってから、いろいろな場所でのマナーが重要視されるようになってきた。
 さすがに電車内で喫煙する人を見ることはないが、禁止されている携帯電話での通話は相変わらず行われている。
「ごめんね、電車の中だから後から掛けなおすね」
 と言って、すぐに電話を切る人はまだいい。本当ならば、電話に出ること自体がいけないことなのだろうが、まだ許せる範囲である。
 掛かってきた電話をなかなか切ろうとしない人、中には自分から掛けるやつなど言語道断である。
 さらに、優先席付近では携帯電話の電源を切らなければならないのに、そこで通話しているけしからんやつもいる。
 見ていてこれほど不愉快なものはない。
 喫煙者のマナーについてもそうだったのだが、マナー違反をしている連中を許せない最大の理由は、違反をしている連中に分かるわけはないだろう。
 マナー違反をしている連中を見ると、ついつい喫煙者全員がマナー違反をしているような錯覚に陥り、タバコの煙を感じただけで不愉快な思いになることがある。喫煙者とも話したことがあるが、
「そうなんだよな、マナー違反の連中のおかげで、俺たちまでマナー違反しているように見られるのは心外だよな」
 と真剣に嫌がっていた。
「どうしても、そう見えちゃうんだよ」
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次