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短編集59(過去作品)

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 名前を「ポン太」という。名づけたのは真理子で、いつも下を出している表情に感じた愛嬌から、思いついた名前である。
「ポン太、行くよ」
 と言うと、尻尾の振りが最高になり、じっと真理子の顔を見上げている。
 朝の五時になると、最近ではポン太も分かっていて、声を掛ける前から犬小屋の前でソワソワしている。散歩用のヒモを手に持つのを、今か今かと待っているようだ。
 夏の時期は、そろそろ明るくなるくらいで、部屋から明かりが漏れている家もあまりない。六時前くらいになれば、少しずつ明かりがつく家も増えてくるだろうが、真理子の住んでいるあたりは、比較的少ないかも知れない。
 散歩しているとすれ違う人も少ない。同じような犬の散歩の人とすれ違う程度で、まだサラリーマンの通勤には早い時間帯である。
 犬を散歩させていると、最初の頃は大変だった。犬同士で引き合ってしまうのだ。吠えあうこともしょっちゅうで、寄っていこうとする犬の手綱を引き締めるのに必死になっていたものだ。
 それでも最近は分かってきているのか、叫びあって引き合うこともあまりなくなった。お互いに知っているので、近づこうとするところを無下に引き離すことはしない。犬同士の挨拶を交わす時間を与えてあげた。
 相手の尻尾にまわりこみ、匂いを嗅いでいる。人間同士であれば、これほど恥ずかしいものではないのだろうが、これこそが犬の習性、見ていると滑稽に感じられる。相手がどんなに大きな犬であっても関係ない。慣れてしまえば、犬同士の間にどんな気持ちが湧いてくるのか、人間の「慣れ」に置き換えるのは難しいことのように思えてならない。
 犬の行動ばかりを優先させていては、いつまで経っても散歩が終わらない。途中でしっかりと引っ張るだけの気持ちがなければ、飼い主としても失格ではないだろうか。
 迷っているのならば、飼い主が道筋を立ててあげる。これが散歩だけでなくペットを飼う上での極意だと思っている。
 犬の散歩は、町内の番地二つ分くらいであろうか。角を線で結ぶと一つの区画になるが、縦横で二つ分くらいの区画、つまり、合計で四つの区画が犬の散歩コースとなる。
 少し広いかも知れないが、時間にして四十分くらい。これが長いのか短いのかは、真理子には分からなかった。
 歩いていると、犬の息が上がってくる。何しろ散歩させているのが、高校生の女の子、必死に先を目指したい犬は走り出したくてウズウズしているのを、飼い主のペースでヒモを引っ張っているのだから、当然といえば当然である。
 しかも途中には坂道もあり、小さな丘のようになっているこのあたりは、一世代前の住宅街である。
 真理子が生まれたのは今の家だった。
 駅前に住んでいたのだが、区画整理の憂き目に遭い、立ち退きを迫られていた。祖父と祖母も最初は一緒に立ち退きに応じて一緒に住んでいたらしいのだが、旅行先の事故であえなく亡くなってしまったとのこと。したがって真理子には父方の親は知らないのだ。
 母方の親のところには時々遊びに出かけている。向こうから尋ねてくることはなく、控えめな性格であった。
 家は昔に建てたものが健在で、古い家ではあるが、どこか懐かしさを感じる。住んだこともないくせに、以前に住んでいたような錯覚に襲われるのも、不思議なものだった。
 真理子にとって、生まれた家が故郷でもある。小さかった頃とあまり変わっていないのに、まるで街全体が狭く感じられるのは、きっと真理子がそれだけ大きくなったからに違いないが、どうしてもそれだけではないように思えてならない。
 家にしてもそうだ。
 以前はもっと大きな部屋だったと思っていたのが、今では見下ろすほどになっている。
――小柄なくせに不思議なものね――
 自分でも不思議なのだが、家にいて、変わらぬ光景を眺めている時だけは、小柄な自分が大きくなったような錯覚に陥るのだった。
 犬の成長にもビックリさせられている。
 ずっと一緒に暮らしていれば、成長の断片を切って見ることができるわけではないので、あまり成長に気付かないものだと思っていた。しかし、ポン太の成長はしっかりと意識することができる。大きくなった顔を見つめていると、顔の輪郭などほとんど変わった意識がないのに、目の鋭さが加わってきているのが分かる。
――大人になってきているんだわ――
 と感じるようになるのだ。
「ワン」
 見つめ合っていると、急にポン太が一声吠えることで、我に返ることがある。その時にお約束として頭を撫でてあげるのだが、その時の表情が何とも気持ちよさそうな恍惚の表情を浮かべている。
――頭を撫でてあげるだけで、ここまでの硬骨な表情になれるんだ。いくらでも撫でてあげたものだわ――
 と感じる。
 ポン太が首筋を舐めてくれると気持ちがいい。犬の舌が濡れているのも気持ちよさのひとつで、拭うのをしばし待ってしまう。散歩の前には必ず首筋を舐めてくれて、
「うんうん、そんなに楽しいかい」
 と声を掛けてあげると、これ以上ないというほどに尻尾を振って喜んでいる。
 犬が喜ぶと飼い主も嬉しくなるもので、引っ張られながら自分が操ってる優越感にも浸れる。一緒に散歩している時にそんなことは感じないが、昼間にでも散歩のことをふいに思い出すと、優越感がよみがえってくるのだった。
 学校ではこれといって目立たないのも要因の一つである。悪い方に目立たないのでいいことなのかも知れないが、一抹の寂しさを感じる。それでも、自分が成長期にいることは分かっているので、焦りもない。
――そのうちに注目を集めるようにもなるさ――
 と思うようになっていた。
 ポン太が夏になると、急にバテやすくなってきた。成長期なので、身体に変調が起きているのかも知れないと感じるのは、自分に置き換えて考えるからであろうか。特に女性の場合、男性と違ってからだの構造も複雑であろうし、何よりも子供が生めるのは女性だけだ。精神的にも男性とは違っていても当たり前である。
 時々散歩をしていて、ポン太からいたわってもらっているように思えることがある。
「オス犬のくせに、人間の女性を気遣うなんて生意気な」
 と、半分本心ではないことを口にする。
 犬に気を遣ってもらっていると思うと少し癪な気もするが、ポン太だったら許せるのであった。赤ん坊の時からずっと見てきている。食事を与えるのは専業主婦をしている母親の仕事なのだが、それ以外は真理子の仕事である。
 散歩にしてもシャワーを使うにしても真理子の仕事、受験の間のシャワーは母親の仕事だったが、
「ポン太が真理子の方がいいんだって」
 うまく任を譲ったのだが、真理子も押し付けられた気分はしない。シャワーも散歩の一環だと考えれば悪い気もしない。
 休みの日にしかシャワーを使ってあげられないが、何とも嬉しそうな表情をしている。
「気持ちいいよ」
 と言わんばかりの表情は、猫なで声で分かっている。
――犬なのに、猫なで声か――
 思わず苦笑いをしてしまうが、犬も猫も愛玩ペット、似たところがあっても当然というものである。
 散歩をしながら歩いている犬の姿を見ると滑稽である。
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次