短編集59(過去作品)
服従
服従
酒井真理子は優しい女子高生だった。あまり目立つことがなかったが、友達の間からは、
「いつもニコニコ、笑顔が可愛い」
と言われていた。
笑顔が可愛い娘は、同性からも好かれるのか、彼女のことを悪く言う人は、まずいなかった。
小柄なのもあまり目立たない性格に比例して控えめに見える。あまり余計なことを話すタイプではなく、人の話をニコニコ聞いている雰囲気が一番印象深い女の子である。
それでも友達は少ない方ではなかった。真理子の方から友達になろうとしなくとも、自然と友達ができてくるのは、彼女の特徴で、悪いことではない。望んでいる友達ではないのに、仲良くなればなるほど、まわりが気にしてくれる得な性格と言えるのではないだろうか。
友達が多くなれば、いろいろな性格の人と話をすることも増えてくる。性格的にまったく合わないような相手の意見もしっかり聞いているので、嫌われることもない。だが、ただ聞いているだけではなく、しっかりとしたビジョンを持っていることもあり、話を聞いた後で、一言付け加えるだけで、
「ありがとう。まるで目からウロコが落ちた心境」
と、期待していなかった答えまで導き出してくれる。だから、友達が自然と増えてくるのだった。
それは男子生徒に対しても同じだった。
対等に話をすることで、臆することもなく相手の話を聞いてあげられる。さすがに男性と女性とでは肉体的にも生理的にも違うので、ストレートな意見を言えるわけでもないが、
「真理子が相手だと、何でも話せるから、それだけでもいいのさ」
という、ありがたい意見もあった。
しかし、男子生徒のほとんどが、真理子を女性として見ていない。高校生くらいになると、女性への興味が異常に高く。一緒にいるだけで、ドキドキしたりしてくるものだが、真理子に対しては平常心で話ができる。
女性として見られていないというのは寂しいものだが、真理子はそれでもよかった。きっとしばらくすれば女性としての魅力が出てくることを信じているからで、ただ発育が遅いだけだと思っていたからだ。
いや、真理子のような女性を好きだという男性がきっとどこかにいて、そんな男性のことを真理子も好きになるに違いないという考えが強い。こっちの考えの方が真理子らしいだろう。
真理子は早起きだった。
朝は五時ごろから起きてきて、顔を洗って着替えると、毎日の日課が待っている。それは犬の散歩だった。
寒い日でも毎日続けていた。少々くらいの雨でも欠かさなかったが、さすがに雨が強いと散歩はしなかった。
最初は惰性だったかも知れない。だが、一旦生活のリズムに組み込まれてしまうと、散歩しないと自分のリズムが狂ってしまう。一日が始まった気がしないのだ。精神的な部分が大きいのだろうが、散歩させたことで一日の最初の仕事を終えたという満足感を得ることができるからだ。
満足感が生活の中で大きなウエイトを占めていた。一つ一つのことをこなすことで、一日が充実していたという満足感を味わいたいのは真理子だけではあるまい。早起きすることで少しでも多くの満足感が得られればそれでいい。
中学時代はあまり明るい性格ではなかった。目の前に迫って来ている高校受験に正直ビビッていた時期が続いていた。人生の中で最初に自分を試されるものだという気持ちが強く。受験に失敗すれば、待っているのは惨めな思いだけであることを必要以上に意識していたのだ。
まわりも無言のプレッシャーだった。
母親も父親も神経質になってしまって、物音を立てるのを控えてみたり、それまで怒っていたことにあまり起こらなくなったりと、歴然と態度が変わった。豹変とはまさにこのことだった。
なるべく集中させてあげたいという気持ちは実にありがたいのだが、そのプレッシャーがどれほどのものかは、感じたことのあるものでなければ決して分からない。もし失敗すれば、せっかくの心配りを踏みにじることになるからだ。皆がどこまで感じているか分からないが、プレッシャーを感じる時期というのは、最悪のことを考えてしまう。それが辛かった。
――私って、ここまでプレッシャーを感じる方だったのかしら――
どちらかというと、あまりまわりを気にする方ではなかった。
小学生の頃から、まわりのことをあまりにも気にしないために、よく怒られていた。
「もう少しまわりに気を遣いなさい」
親から言われ、先生からも同じようなことを言われていたが、それだけに親は、
――あまりプレッシャーを感じる娘ではないんだわ――
と思っていたのかも知れない。
だが、中学に上がることになると、少しずつ身体が大人に近づいてくるのを感じた。
――大人になってくるんだわ――
少し怖い感じもあった。あまりにも急激な成長は予期していなかったことだったからである。もちろん、小学生の頃に女子だけを集めて聞かされてはいたが、まだ変調が起こっていないだけにピンと来るものではない。それでも、変わって行く中で戸惑いを感じながらも小学生の頃に聞いた話を思い出していた。もし思い出すことがなければと思うと、少しゾッとする気がする。
成長してくると見えてこなかったものが見えてくるようになる。小学生の頃に聞いた話も、最初はピンと来なかったが、実際にその時になると、しっかり覚えているものである。今まで見ているのに見えていなかったことが、次第に見えるようになってくるのも、そんな身体の変化に対応して気持ちも少しずつ変化してきているのかも知れない。
成長というのは、身体だけではなく、精神面での成長も大きいということをその時に知った。身体の成長と精神的な成長、どちらが早く加速がするかということは、個人差がある。真理子はどちらなのだろう。
どちらかというと、まわりの人よりも成長という意味では、肉体的にも精神的にも遅い方である。相変わらず背も低いし、なかなか大人に近づいたような精神状態にもなれない。受験の時に必要以上の不安に駆られたのは、成長過程である自分の不安定さを感じていたからだ。
人生最初のヤマ場であった受験も何とかクリアした。先生からも、
「お前は絶対大丈夫だ」
と言われていたが、絶対というのはありえない。ついつい反対のことを考えてしまうのも真理子の性格のひとつだった。
高校生になってからも、日課の散歩はやめなかった。日課というのは、最初は嫌なイメージが強いが、途中から楽しみの方が増えてくる。最初は義務感に襲われ、惰性で続けていると思いがちなのだが、途中から、やらないと満足感が得られない。散歩で一日の最初の満足感が得られるのだ。
だが、そのうちに今度は満足感よりも、やらないことへの不安が強くなる。散歩をしていない自分を想像することができなくなるのだ。習慣というのは、恐ろしいもので、そんな気持ちの積み重ねなのではないだろうか。
中学二年生の頃に母親が連れてきた時は、まだ赤ん坊だったが、今では二歳になっていて、十分な大人である。
犬の種類は柴犬。昔からオーソドックスに人気がある犬の一種である。
じっと顔を見つめていると、犬もこちらを見つめている。真理子はそんな表情が好きだった。
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次