短編集59(過去作品)
「あんみつを下さい」
といきなりの注文だったが、
「ありがとうございます」
とマスターが当然のごとくといった表情で、注文を聞いた。この店では当たり前のことのようだ、
曲に耳を傾けていると、次第に曲に対する心地よさの原因が何であるるか分かってきたようだった。
「木琴や鉄琴の音が目立つんですね」
とマスターに聞くと、マスターは頷いて、
「よくお分かりになりましたね。この店は父親から受け継いだんですが、父親が好きだった曲をずっと流しているんですよ。不思議とこの店に集まってくるお客様は、父親の代からの常連さんか、あるいは初めて来られた方でも、この時代に魅せられて入ってこられた方ばかりなんですよ。最初は偶然だと思っていても、帰りには、それなりに何かをお感じになって帰られる。そして、そのままこの店の常連になられるんですよ」
「私もこの店に来たのが初めてなのに、まるで以前に来たことがあるような気がしています」
「きっと小さい頃に来られた記憶かも知れませんね。お父さんか誰かに連れてこられたのではないですか?」
「そうかも知れませんね」
と答えていたが、小さい頃の記憶であれば、少し違う感覚である。店の大きさが狭く感じられるはずだからである。子供の小さな身体での記憶は幾分大きな店の記憶があるはずだ。だが、店の大きさに変わりはない。そう考えてくると、この店に来たのがまるで昨日のことのようだった。
子供の頃の記憶であれば、昨日のことのように思い出すというのもおかしなものだ。そんな思い出し方をするはずがない。ひょっとして、記憶すらも父親から遺伝したのではないだろうか。
それを考えると、この間旅行で感じたもの、そして今日公園で感じた飛行機の思い出、すべて昨日の記憶のようだ。
「どこかで見たことがある」
こう感じた時はすぐに昨日のことのように鮮明に思い出せそうになるのは共通していた。思い出せるわけがないのにである。それこそが遺伝として身体の中に備わった一つの記憶ではないだろうか。
記憶が勝手に表に出るのではなく、記憶を動かしているもう一人の自分が身体の中に存在している。記憶を制御していると言ってもいいだろう。
「雲の中に隠れてしまって消えてしまった飛行機の音だけが響いている感覚」
それこそが、父親の記憶を制御しているもう一人の自分が見え隠れしているのを予感させているに違いなかった。
「今度はいつ見ることができるんだろう」
レトロ調の喫茶店を見つけた時に確信したことだったが、そういえば、明美と一緒に出かけた時に行った旅行、当初の目的が父親の墓参りだったことも、何かの予感だったのかも知れない……。
( 完 )
作品名:短編集59(過去作品) 作家名:森本晃次