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ジャスティスへのレクイエム(第3部)

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 というウワサが民主国家の間に広がっていった。
 民主国家の言論は自由である。中にはデマもたくさんあったが、デマであっても多数派であれば、それが真実として社会に君臨してしまうこともある。チャーリア国を一番の亡命国だとして上ったウワサは、最初はデマであったが、次第に信憑性を帯びてきた。
 実際に亡命者が増えてきて、彼らの言動が元いた国に広まり、ウワサとなって行ったのだ。
 次第にチャーリア国には亡命外人が増えていった。元々彼らは民主国家にいても、最低限の生活をしていた連中である。民主国家の建前として、
「教育を受けることが国民の義務」
 として決まっていたが、実際には百パーセントではなかった。
 百パーセントから程遠い人間が教育を受けることもなく、当然モラルもマナーも身についていない。
 未開人のように本能で生きてきた連中だった。もちろん、一人では生きていけるはずもなく、多数でグループを作って、何とか生活ができていたのだ。
 自由国家である母国では彼らをあからさまに差別や攻撃することはできない。国外に逃亡してくれることは、
「余計な連中の粛清」
 という意味でありがたいことだった。
 他の体制の国のように存在を秘密裏に消してしまうというようなことはできない。してしまえばその国はその時点で民主国家ではなくなってしまうのだ。それくらいのモラルはさすがに民主国家にもあったのだ。
 最近では民主国家から亡命した連中を、民主国家が世界各国に派遣している諜報部員によって監視させている。今までと違い、
「場合によっては暗殺も辞さない」
 と言われていることもある。
 亡命者に紛れて、民主国家の国家機密をスパイして、それを母国に持ち帰ろうとする組織の存在が次第に脚光を浴びてくるようになると、民主国家は疑心暗鬼に陥ってしまう。
 国家機密がバレてしまうと、他の国から攻められる可能性が出てくる。その際に国家機密である軍の情報が丸裸にされてしまう可能性があるからだ。そうなると、
「戦争をする前からすでに負けていた」
 ということになりかねないからだ。
 完膚なきまでにやられてしまうと、WPCからの和平調停では不利でしかない。一つでも起死回生の何かがなければ、
「勝者の理論」
 で片づけられてしまう。
 そのため、国外に逃れた連中で、素性がハッキリとしない人間に対して監視の目を向けるのは当たり前のことだった。
 だが、これは民主国家の理念に反していることになる。
 確かに自分たちの国を守るための防衛意識からすれば当然のことなのだが、自由主義という意味からすれば、国外に逃れた人とはいえその動向の自由を奪うようなマネは体制との間に矛盾を生じることになる。
 亡命者はそのことを知ってか知らずか、亡命した国で最初は細々と暮らしているのだが、次第に同じような立場の人間が、次々に亡命してくる。
 何しろ世界広しと言えども、民主国家から差別で逃れてきた人を受け入れてくれる国はほとんどないからだった。
 元々民主国家にいた連中である。いくら体制に不満があったからといえ、その体制が生まれたことから決まっていたことなので、身体に染みついている。
「多数決は正しいことだ」
 という言葉に反発をしながら、何かを決める時は、
「多数決しかない」
 という発想しかなかったりする。
 まわりに同じ立場の人間がほとんどいないことから矛盾に悩まされていたこともあって、それまで同様、新しい国でも、
「長いものには巻かれる」
 という思いを基本においていたのだ。
 しかし、まわりに人数が増えてくると、多数決のありがたみをやっと感じることができるようになる。それまでになかった明るさが彼らに芽生え、亡命者同志で熱い輪を作り、まわりの迷惑を考えることもなく、騒音や喧騒をまわりに与えてしまった。
 それまで亡命者に対して比較的同情を持っていた人も、
「あいつら、図に乗りやがって」
 と、次第に嫌悪を抱くようになる。
 チャーリア国の国民は愛国心を強く持っていた。その中には自分たちの民族への誇りや自信が、他の国に比べれば大きなものだった。
 そんなチャーリア国民にとって亡命してきた連中は、
「目の上のタンコブ」
 に見えてきた。
 それまで強いと思っていた愛国心だが、そこには他国人への差別はなかった。だが、最近の目に余る状況に、他民族への憎悪が生まれてきた。しかも、よくよく観察していると、そんな連中を外から見ている目があることに気が付いた。
 外人連中を「他民族」という意識で見るようになったことで、遠い目で見ていることに気付くと、彼らを監視している目を感じるようになってきた。
「やつらは、母国の連中からも警戒されているんだ」
 と感じると、連中への嫌悪に拍車をかけるようになった。
 すると自分たちの国がやつらによって、
「武力に訴えない形の侵略を受けている」
 というイメージを誰もが抱くようになってきた。
 その国民感情を国家は知ってか知らずか、民主国家からの亡命者を相変わらず受け入れていた。そんな国民感情の異変に気付いた時にはすでに遅く、次第に企業や地域における団体の中で、集団ぐるみでの差別が公然と行われるようになってきた。
 国民は、民主国家に対して最初から毛嫌いしていたと思っていたが、同じ毛嫌いでも途中から変わったことに気付かなかった。
 途中で変わった時期がいつだったのかというと国民が、
「武力に訴えない形の侵略を受けている」
 という意識を持った時だということに、シュルツは気付いていなかった。
 第二次戦争が終結してしばらく経った。休戦協定が結ばれた背景に、第三国の介入があったことを知っている人は少なかったかも知れない。第三国というのはアルガン国で、チャーリア国の建国にアルガン国が関わっていたことは知られていても、それまでに結ばれた密約などは、誰にも知られていなかった。
 委任統治国であるジョイコット国に以前軍を終結させたことがあったが、現在は神器をジョイコット国に保管していた。ジョイコット国はチャーリア国が何かを隠すにはちょうどいい国で、彼らに対してはある程度の自由を与えていて、彼らはそのおかげでチャーリア国やアルガン国に対して、
「自分たちを解放してくれる国」
 として受け入れていた。
 しかし実際には植民地に近い形で支配していた。今の世の中、おおっぴらに植民地支配などできる時代ではない。そんなことをすれば国際社会から反発を受け、国家として孤立してしまうのは必至だった。
 だが、目に見えない形で植民地支配は続いている。表向きは独立国家としての体裁は整っているが、条約の中はというと、明らかな不平等条約である。
 領事裁判権や治外法権の問題は当然のことながら、関税も国際法で認められているギリギリのラインをキープしていた。相手の国が真の独立を果たしたとすれば、確実に数年で経済が疲弊してしまい、国家としての体裁は崩れ去り、どこかに吸収されるか、滅亡の危機でしかないのだ。
「滅亡や吸収されるくらいなら、どこかの属国として生き残った方がいい」
 という考えを持つ貼って途上国が増えてきた。