ジャスティスへのレクイエム(第3部)
「大丈夫です。元々今日彼が訪れてこなくても、そのうちにこちらから招いて話をするつもりだったんだ。その頃にはもう少し戦況はハッキリとしてきているだろうから、もっとハッキリとした命令になったんでしょうけどね」
とシュルツは笑った。
この笑いは、先ほどニコライの前で見せた笑いとは違い、ホッとしているように思えた。シュルツとしては、今のような笑いを決してニコライの前で見せてはいけないと思っていたようだ。
「ニコライはうまくやってくれるかな?」
とチャールズがいうと、
「大丈夫ですよ。チャールズ様も分かっておられるでしょう?」
というと、
「ああ、もちろんさ」
と笑顔でチャールズは答えた。
シュルツとチャールズの関係であるが、チャールズがシュルツに全面的な期待を寄せているのは今まで通りであるが、シュルツもチャールズに、
――私には敵わない――
と思っている部分があった。
それは、人を見る目であった。
シュルツには人心掌握術や戦術などの実践に関しての能力は誰よりも長けているが、人を見る目だけはチャールズには敵わなかった。
これは実は、
「王家の遺伝」
だったのだ。
アクアフリーズ王国で、万世一系の君主として千年以上も続いてきた王室がチャールズの家系だった。何か一つは他の人にはない長けた部分がなければ千年以上も君主として続くわけはなかっただろう。
確かに長い歴史の中で何度かクーデターが起こり、王家存続の危機があったのも事実であったが、それでも乗り越えてきたのだ。その時々で彼らを助ける勢力が存在し、王家を存続させたのだが、それも何か長けた能力がなければありえることではない。
以前まではもっとたくさん能力が遺伝されていたようだが、今では、
「人を見る目」
だけが遺伝されていた。
クーデターを成功させてしまった今としては、国王としての地位もなければ、アクアフリーズ国を追われる結果になってしまったが、その能力が消えたわけではない。新たな国の国家元首としてその能力をいかんなく発揮できることを、ずっとそばにいて助けてきたシュルツは感無量に感じていることだろう。
――この人のために私は――
そう思ってここまで来れたことを幸せに感じているほどだった。
だからこそ、シュルツはクーデターが起こった後でも、チャールズを国家元首として支えていけるのだ。他の王国では国家元首が下剋上に遭った時、その側近に裏切られることは珍しいことではない。むしろ一番の側近がクーデターの首謀者であったりするくらいである。
シュルツは、チャールズの人を見る目という力を、国内だけではなく、国外に対しても宣伝していくつもりでいた。
国家元首が、しかも立憲君主国の元首が、なかなか自ら国際会議に出向くことはない。国家元首の会議であればそれも仕方のないことであろうが、外相会議の様相を呈している会議であっても、シュルツと一緒に同行することが多かった。
「国のナンバーワンとナンバーツーが国際会議とはいえ、しばらく不在になるというのはどういうものか」
と他の国から言われていたが、それでもチャールズは構わなかった。
「どうせ私が国に留まっていたとしても、実質的にはシュルツが行ってくれているんだから、私は人形のようなものですよ」
と、立憲君主の国家元首の言葉とは思えないような発言が口から出るが、なぜかそれをシュルツは咎めることをしない。
「チャールズ様は、他の国家元首とは違ったところがあることを、諸外国の首脳に思わせることが必要なんですよ」
というのがシュルツの考えであった。
シュルツはあくまでも国家運営には、二人の力が必要だと思っていた。それは自国に限ったことではなく、他の国でも同じことだ。一人に権力が集中してしまっては、独裁国家としてレッテルを貼られてしまい、対外的に致命的に陥りかねない。しかも、集中した権力に胡坐を掻くのが国家元首というもので、ウソでもファシズムの元首になったかのように考え、次第にまわりが見えなくなってしまうだろう。疑心暗鬼に陥ることで誰も信用できなくなり、その言動や行動が不安定になる。そのため、国家元首としての体裁はおろか、まわりから孤立してしまい、その目を他に向けるために、無意味な戦争を侵してしまいかねない。
「独裁だけは、絶対にダメなんだ」
とシュルツは絶えず言っている。
絶対王政の時代でも、国王だけに権力が集中しているわけではなかった。国王一人で突っ走ることはできず、国家元首の陰には絶えず相談役が控えていた。
「国家の存亡は、国王ではなく、その影の相談役が握っている」
とアクアフリーズ王国では言われ続けていた。
実はこれは民主国家よりも民主的だったのかも知れない。
民主国家では国家の方針決定までにたくさんの段階を踏む必要があった。公明正大を謳っていて、しかも自由がその理念にあるのだから仕方のないことだが、それが必要以上に時間をかけてしまう。それは懸案を風化させてしまうことに繋がったり、人民の気持ちを遠ざけることにもなった。
「こんなにじれったいなんて」
と国民は考えていたことだろう。
しかも、最終的な決定は多数決だ。
あれだけ時間をかけても最後には多数決という一瞬で決まることで決するのだから、国民が嫌になるのも当然だ。
もっと、権威のある国家元首を望むのは当たり前のことで、しかも民主国家というのは陰で何があっているのか分かったものではない。
「一部の特権階級の人や、政治家などが利得を貪る世界」
それが民主国家であった。
政府がやっていることといえば、国民から徴収した税金を福祉や経済発展に使うこともなく、いい加減な使途不明金が山ほどあることで、いつの間にか国家は借金を抱えていることになる。
「血を流しながら働いているようなものだ」
と国民は思っていることだろう。
だが、それでも国民は何も言わない。「自由」や「平和」という言葉が、民主国家を締め付ける。
「我々が政府でいるから、自由や平和が守られる」
と言われれば、国民は抗うことができない。
それだけプロパガンダが強い影響をもたらすのか、昔であれば独裁国家が利用したプロパガンダを、今は民主国家が利用している。しかも、独裁国家のように挙国一致のような力強さがあるわけではなく、国民のための演説であるかのようで、実は脅迫に満ちた宣伝を、ただ抗うことがなく信じているかのように誰もが無表情で受け止めている。そんな光景を誰も異常だとは思わないのだろうか。
そういう意味では、チャールズの人を見る目がある力は、国民に意識を与えるわけではないが、彼が国家元首であることへの疑問を誰にも感じさせないという見えない力に繋がっているのだ。
民主国家をチャールズもシュルツも軽蔑している。ただ、別に軽視しているわけではなく、
「これからの我々の前に立ちはだかってくるのは、民主国家なのかも知れませんね」
と、シュルツはチャールズに言っている。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第3部) 作家名:森本晃次