ジャスティスへのレクイエム(第3部)
たとえば、国民の五十分の一の難民であれば、国家予算の五分の一で、難民が百分の一であれば、国家予算の十分の一であったりという段階的な公募だった。
さらに難民の受け入れに対しても時期を分割しての受け入れを許可することで、難民を受け入れてもいいという国が少しずつ増えてきた。
急進国にとっては補助金を国のインフラに回したりして、重工業を充実させ、国の発展を加速させるところもあった。しかも難民がそのまま低い賃金で雇える労働力だと考えると、これほど効率のいいことはない。そのことに気付いた国は急成長を遂げた。
しかし、そのことに気付かず、補助金を難民のためだけに使っていると、結局国土が増えたわけでもないのに、補助金では足らない難民の生活費を結局国家予算から捻出しなければならなくなる。そんなことは愚の骨頂だった。
それでもWPCの決定には逆らえない。何とか国家を発展途上と呼ばれるところまで持ってきて、WPCにも加盟させてもらえることで、知名度も上がったことで、貿易も潤ってきた。そんな国が国家の威信を大事にするか、国際社会への体裁だけを重要視するかの選択を迫られていたのだ。
その差が次第にハッキリしてくると、
「同じように難民を受け入れたのに、どうして他の国は潤って経済発展までしているのに、自国はこんなに困窮しているんだ」
と言って、混沌としている国もあった。
当然のことながらそこから嫉妬や妬みが生まれてくる。その矛先がどこに向くのか、向けることのできない怒りを抑え込むしかなかった。
しかし国民はどうだろう?
国内には難民が溢れ、自分たちの生活だけでも精一杯の状態で、街は急に増えた人口で混乱が生じてくる。その不満は国家に向けられるのも無理もないことだ。
難民の中には受け入れてもらった恩も忘れて、
「この国は難民である自分たちを差別している」
と言い出した。
どちらの言い分もしょうがないところもあるのだろうが、そもそも国家が優柔不断だからこういう結果になったと元々の国民も難民も考えるようになった。
当然、あちこちで難民と原住民との間での紛争は絶えなかった。難民は武器は持たなかったが、ゲリラ戦は心得ていた。武器なしでも一般市民を追い詰めることくらいはできたであろう。一般市民は恐怖に駆られ、次第に街は無法状態になっていく。
警察が出動すると、今度は混乱に拍車がかかる。しかし、行政としては警察の力にすがるしかなかった。ゲリラ戦を展開する難民たちに業を煮やした警察は武力を抑えようとして難民を攻撃する。
場所によっては、多数の死者も出たことだろう。その死者の数は次第に増えてくる。国が問題にして乗り出してくると、さらに混乱は全国に広がり、収拾がつかなくなる。
「WPCに提訴しましょう」
という政府閣僚の意見もあったが、
「元々の原因を作ったのはWPCじゃないか。WPCなんかあてにならんよ」
という意見の方が強かった。
しかし、混乱はさらに拍車をかけ、国会や首相官邸までも攻撃対象となった。その頃には難民たちは十分な武器を持っていた。各地での暴動から出動してきた警察から武器を奪い、その勢いで警察内部の武器を奪取した。彼らが国会や首相官邸を襲撃するということは、これはもう暴動ではなく、クーデターであった。
結果的にはクーデターは成功しなかった。
難民たちは最後の詰めが甘かった。
クーデターは一気に決めてしまわなければ成功することはない。彼らにはそれが分かっていなかった。確かに武器は所持していて、攻撃力もゲリラ戦にも長けていた。だが、それは局地戦では圧倒的な強さを発揮するが、組織的な戦闘に関してはずぶの素人同様である。
国家には軍がついている。軍というと戦争屋であり、戦術、戦略含めて長けている。長期戦になればなるほど軍に有利であり、難民どもは次第に長期戦に引き込まれていき、気が付けば鎮圧されていたという結果になった。
その時に、国家緊急事態宣言、つまり戒厳令が敷かれていた。戒厳令が敷かれた時点で、クーデター側には勝ち目はなかった。最初から勝負はついていたと言ってもいいだろう。
これが難民を受け入れて難民対策がすべて後手後手に回ってしまったことで国家が混乱し、最後にはクーデターまで起こさせて、起こした方が鎮圧されるという判で押したような結果をもたらすことになった事実である。
難民たちは当然、国外退去を宣告された。ゲリラの首謀者は極刑に処せられ、街の広場には彼らの処刑が晒された。
「何てむごいんだ」
と国民は思ったに違いない。
しかし、こうでもしなければ、また同じことが起こらないとも限らない。中には自分たちが難民になってしまった時のことを想像して背筋が凍る思いをした人もいるだろう。
その時、WPCはどうだろう?
自分たちが考えた政策がたくさんの国家を混乱させた結果、さらに難民も国外退去、これは確実にWPCは非難されることだろう。
中にはWPCに抗議して脱退をほのめかす国もいた。実際に脱退した国もいて、
「これはWPC存続の危機ではないか?」
と言われるようにもなっていた。
そのうちに難民たちは、自分たちの安住の地を求めて、彷徨うことになる。
彼らの支えは宗教だった。
彼らの向かう先には宗教の聖地である土地があり。ただそこには他の民族が国家を形成し生活している。
しかもそこには豊富な地下資源が眠っているので、彼らとしてもその地を侵されるのはありえないことだと思っていた。
地下資源を狙っての侵略ではなかったが、彼らには地下資源を狙われていると思い込んでいた。
「我々は聖地を目指しているだけなんです」
という難民の長老の話も、彼らには通用しない。
難民は国境付近に難民キャンプを張り、そこで様子を見ているつもりだった。しかし、そんな目の上のタンコブに対して先住国家が取った攻撃は、
「先制攻撃」
だったのだ。
ふいをつかれた難民キャンプは総崩れになり、多くの死者を出したが、かろうじて難民キャンプを再度立て直すことができた。
先制攻撃に対しての国際的な非難は大きかった。
「彼らは宗教的な意図でそこにいるだけなのに、何もしていない難民に対していきなりの先制攻撃はありえない」
というものだった。
WPCも似たような声明をだし、難民を擁護する。
先住国家はここまで来ると彼らにとってのプライドから孤立を仕方のないことだと考え、
「我々は自分たちの権益を守ろうとしただけだ」
という声明を出した。
それでもWPCからは、その声明を擁護する発言は何も出てこなかった。業を煮やした先住国家はWPCから脱退した。
この頃、WPC脱退国がかなりの数に上っていた。全部で十か国ほどが脱退し、中には先進十カ国の中に入っている国も二つ含まれていた。
彼らにとっては別に今起こっている問題に直接被害を受けることはなかったのだが、先制攻撃を受けた難民が信仰している宗教を彼らも信仰している関係で、無視ができなかったのだ。
「WPCからの脱退はあまりにもやりすぎでは?」
という意見もあったが、そもそもこの国の政府首脳は、献身的な宗教信者だったのだ。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第3部) 作家名:森本晃次