ジャスティスへのレクイエム(第3部)
「最前線の兵士は士気も高く、意気揚々としております」
という報告を受けた軍部は、その言葉をそのまま信じていたのだ。
少し前までは、兵士は国家の理念に賛成で、徴兵制にも不満を漏らすことはなかったので、信用するのも当然のことだった。
そのため、国家は兵士も最前線の部隊も信用していた。もっともこの信用がなければ、戦争の継続はないだろう。そういう意味では戦争を継続させる遠因を作ったのは、兵士個人個人の意識だったと言っても過言ではない。
ただ、戦争が長引いてくると、それまで同盟国との間の温度にほとんど差がなかったものが、次第に温度差が目立つようになってくる。少し離れて見れば一目瞭然に違いないのだが、当事者であれば誰もそのことに気付くことはないだろう。
国家というのは、
「国民があってこその国家だ」
と今は言われているが、当時はそうでもなかった。
特に帝国や王国が多かったこともあって、国家の主権は国王や皇帝にあり、国民はそれに従うのが当たり前だった。
国家から土地を与えられ、平和を保障される代わりに国民は国家のために自らを捧げるという封建的な考え方は、今は昔となってしまったのだろう。
そんな国家に対して国民の感覚は変わることはなかった。それだけ国家元首である皇帝や国王の権威は絶大だったからだ。何かを言おうものなら処断されるという恐怖もあっただろうが、これが当たり前だと思う風潮が大きったのだと、現在の歴史学者の共通した考えだ。
そういう意味で、国民を解放するという名目で行われているクーデターも、解放される当の国民は無関心だったりする。国民とすれば、解放されようがされまいがどちらでもよかった。そこに自分たちの現在の生活が脅かされることさえなければである。
クーデターというのは、国民にとっては余計なことだったのかも知れない。どんな体制になるか分からない状態で、せっかく曲がりなりにも平和な状態を混乱に陥れるクーデターは国民にとって、
「ありがた迷惑」
だったのだ。
時代は大戦を経由して、独立国家が形成される世の中になってきたが、この時も国民にとって国家の独立はどうでもいいことだった。つまりは国家が独立するというと、民族の独立と同意語でもあった。
「民族の独立という言い訳をすることで、自分たちの国を作りたいという一部の勢力がこの時代に台頭しただけのことだ」
という歴史学者もいる。
ただ、この時代の国民感情は複雑なものだったに違いない。国としては疲弊してしまい、国民も何も考えられないほどに未来に希望が持てない時代を迎えたのだ。それでも国民が何も考えていなかったとは言えないだろう。
国民の協力がなければ国家だけでは国も復興は賄えない。当然、独立などというのは夢のまた夢。できるはずのないことだろう。
ジョイコット国は、まだそこまでも言っていない未開地の国だった。
彼らには自由が当たり前だという時代があり、それが宗主国であるチャーリア国によって支配されることになる。
それでも国民にはどうでもいいことであった。ただ、世界には先進国と発展途上国と呼ばれるもの、そして自分たちのような後進国があるという構造を知った。
今までは後進国であったが、チャーリア国の介入によって、発展途上国と呼ばれるくらいにまで発展した。後進国と発展途上国との間には大きな差があった。
「発展途上国となれば、WPCの管轄となり、統治権がしっかりと明確にされなければいけない。この場合は宗主国であるチャーリア国に統治権があり、統治権を侵犯する第三国が現れれば、宗主国はWPCに提訴して、その侵犯に対応することができる」
という規定がある。
つまり、ジョイコット国はWPCから国としての承認を受けているという前提で、国家としての体裁が彼らだけでは成り立たないことから、統治が必要と判断され、その統治権を持っているのがチャーリア国ということになる。いわゆるWPCが委任統治というわけである。
したがって、そこにはWPCが規定した、
「統治権に関わる法律」
が存在している。
これは一般の国際法とは違い、チャーリア国とジョイコット国との間で結ばれた条約に値する。
世界には委任統治の国はいくつか存在しているが、その統治に対する考え方も同じことで、それぞれの主従関係のある国同士で結ばれた条約を元に統治が行われている。
ただ、問題は宗主国、あるいは属国が戦争に巻き込まれた時のことである。この際の法律は、条約が通用しない。臨時、緊急という意味合いが強くなる関係で、戦時国際法が最優先されるのである。
戦時国際法というのは、当然どの国にも同じ条約になっている。元々は先進国に対して考えられた国際法なので、未開の国に当て嵌めるのは、最初から無理であった。そのため、大戦前は、戦時国際法よりも条約が生きていたのだが、条約というのは、あくまでも当事者国によって都合よく作られたものなので、結局は宗主国有利に使われてしまうのが必至だった。
そう考えれば、今の戦時国際法を使用するということは、どこの国にも明確で分かりやすいものとなる。それまでは属国に対しての宗主国の力が絶対だったが、ここでその関係を崩せるかも知れないと考える戦時研究家も出てきた。
それを軍部が察知し、属国となっている被統治国に対して、わざと戦闘を仕掛けることもあるようだ。
ただ、それも小競り合い程度のものであり、宗主国が出てこようとすると、すぐに引いてしまうことで、宗主国に対して手を出させないようにしているのだ。
ジョイコット国の首脳には、どこかの国が我々を戦闘に導こうとしているのではないかと疑っていた。狙いをチャーリア国だと考えると、浮かんでくるのはアクアフリーズ国がアレキサンダー国であった。
直接的な関係として第一に考えられるのは、アクアフリーズ国である。アレキサンダー国はそこまでチャーリア国に対して直接的な関係を持っていない。確かにこの間は神器の関係があって戦闘となったが、その大義名分もなくなってしまった今は、チャーリア国に対して影響を持っている必要はないだろうと考えられた。
元々のチャーリア国とアクアフリーズ国の戦闘は、ジョイコット国が企んだことでもあったが、そのことを知っているのは誰もいないはずだった。しかも、もうすでに戦闘は終了している。いまさらその時のことを持ち出してジョイコット国を戦闘に巻き込むというのもおかしなことだった。
ジョイコット国はアクアフリーズ国に嫌疑を感じていた。本当であれば宗主国であるチャーリア国と敵対関係にあるアクアフリーズ国を応援すべき立場なのかも知れないが、ジョイコット国にとってはまだ自分たちを属国として見ているチャーリア国の存在は必要だったのだ。
かといって、アクアフリーズ国の存在も不可欠であった。いくらチャーリア国が必要だと言っても、無理なことを押し付けられるような立場には容認できない。今はまだそんなことはないが、宗主国というのはどんなことを言い出すか分からないのが宗主国だと思っている。そう思うと、チャーリア国は決して普段できる国ではなく、絶えず警戒の必要があったのだ。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第3部) 作家名:森本晃次