ジャスティスへのレクイエム(第3部)
アレキサンダー国というのは、立憲君主の国とはいえ、軍事政権の独裁国家であるため、なかなか自由が利かない国であった。しかし、科学技術の発展に関しては先端を行っていたと言ってもいいかも知れない。軍事兵器の開発に関しては、最優先で研究が続けられていたので、彼らに自由を与えないわけにも行かなかった。
科学技術に関して、彼らの門戸が開かれているのは国際的にも認められていた。そのおかげか、他国からの留学は比較的受け入れていて、政治家と科学者との間での社会認識には隔たりがあった。
だが、利害が一致しているということで、お互いに余計な口出しをすることもなく、結構うまくやれていた。そのおかげで国家予算も軍事の次に科学技術に使われていた。そのせいもあってか国民生活が圧迫されてはいたが、国民意識としては国防と平和を考えれば仕方のないことだと思っていた。
アレキサンダー国では、国の理念として、
「我が国は侵攻を許すようなことがないよう、防衛には力を入れ、世界平和の実現のために、軍事力の行使はいとわない」
という宣言で、国民には理解を求めていた。
半分は間違ってはいない。そのおかげか、この理念は国民に受け入れられた。国家予算の使い道については、国民は圧迫を受けているが、それも仕方のないことだと割り切っていたのだ。
アレキサンダー国はクーデターで成立した軍事政権である。元々は国王が支配する国家だったが、国民は別に国王から迫害を受けているという印象はなかった。情報操作がされていた影響もあり、
「どこの国もこんなものなんだ」
と思い込んでいたからである。
ただ、それでも他の王国に比べれば、さほど国王からの迫害はなかっただろう。アクアフリーズ王国と変わらないくらいの国家だったが、違うところは、アレキサンダー国の前身であるグレートバリア帝国が、地理的に絶えず隣国からの侵攻に備えなければいけなかったということだ。
国は徴兵制を敷いていた。国王の号令の下、兵は集められ、国境線の警備についていた。時々小競り合いのような紛争が起こっていたが、大きな戦闘にはなっていない。理由としては、侵攻してくる国もグレートバリア帝国だけに目全身全霊を向けて戦闘を開始してしまうと、反対側の防備が手薄になってしまい、いつ攻め込まれるか分からないという状況だったのだ。そういう意味では領土的野心を持っている国がひしめいていることで、いい意味での均衡が保たれていて、大きな戦闘にならなかったということなのかも知れない。
だが、それはあくまでも国家間の間で忖度が行われているからということで、どこかの均衡が崩れると、泥沼のバトルロイヤルが始まっていたかも知れない。
さすがにどの国もそんな状態に陥るようなバカげたことをしようとは思わないだろう。そのための均衡は、薄氷を踏む思いだったに違いない。
かつての大戦がそうだった。どこの国も一触即発の状態でありながら、自分から戦争の火ぶたを切るわけにはいかないことは意識していた。最後戦争に勝利したとしても、その後の協定で、戦争を始めてしまったということを理由にして不利な条約を結ばされないとも限らないからだ。
だが、戦争はいつどこでどのようにして起こるか分からない。起こってしまってからの予想もできるはずもなかった。そのために各国が考えたのは、他国との同盟だった。
軍事同盟を結ぶことで、相手よりも少しでも有利に戦争ができるという発想である。相手が一国なら挟撃もできるだろう。戦争前はこぞって同盟を結べる国を模索したものだった。
同じ政策の国家同志、あるいは地理的にどうしても必要な同盟、あるいは利害関係の一致している国同志、それぞれの陣営が次第に出来上がって行って、大陸はいくつかの同盟国に分かれて行った。
国家間の連携のおかげで、国境を強化したとしても、どちらからも戦闘を開始することはなかった。同盟が戦闘の抑止力になっていたのだ。
「これなら、何とかなるかも知れないな」
という楽天的な国家もあったが、ほとんどの国は一触即発の状態にビクビクしていたというのが本音であろう。
戦闘が始まれば、負けるわけにはいかない。当然軍事兵器の開発も急ピッチに行われ、倫理的に問題のある兵器も秘密裏に開発されていた。
国民はそんな状態をどこまで分かっていたのだろう。同盟がいくつも世界で結ばれているということは知らされていない。特に軍事国家では箝口令が敷かれ、報道の自由はあってないようなものだった。
国家には検閲庁が創設され、新聞や雑誌、放送に関しては、必ず検閲庁の許可がいる時代がやってきていた。それは戦闘が始まる前からだった。ほとんどの国では国家総動員令が敷かれ、戦時体制が当たり前になっていた。国民はそこまでくれば感情としては、国家に一任する気持ちになってしまうのだろう。逆らったとしても、損をするのは自分だけだからである。
誰も戦時体制に異議を唱えるものもいない。情報調査によって国民は世界の情勢に対して感覚がマヒしてきて、愛国心に芽生えることになる。
「平和のためなら、不自由な生活を強いられても仕方がない」
と言われるようになった。
それでも中には戦争反対の立場の人もいて、何とか世間に訴えようとしているが、それが検閲庁に引っかかると、国家治安のためということで、秘密警察が逮捕に向かい、あとは拷問によるとても口に出せない状況で、拘束されてしまうのがオチだった。
実際に戦闘が酷くなってくると、国民生活は最低となり、食料もまともに得られなくなってくる。そのうちに上空を敵の爆撃機が飛び交うようになり、爆弾が雨あられと降ってくる。
同盟を結んでいる国の中には、国民を欺くような国もあれば、同盟国を欺くとんでもない国も現れる。
同盟国以外の国、つまりは戦闘相手である国と水面下で極秘に交渉している国も出てきたりする。おおっぴらにはできないが、軍事協定を結ぶことで、相手体制の国が持っている兵器の情報が漏えいしたり、または、小規模な小競り合いではあるが、戦略的に重要な地域での紛争が、いつの間にか均衡が崩れてしまっていることもある。
戦争が続いてくると、戦争に国家も慣れてくる。そのうちに、
「各地域で繰り広げられている小競り合いを、どちらかが優勢になる必要はない」
として、均衡を保つことを命令としているところもあった。
相手国も同じように均衡を保とうとするので、消耗戦ではありながら、思ったよりも武器弾薬が消耗するということもない。
当然、兵士の被害も最小限に抑えられ、均衡を保つことで戦争が終わるとは思えないが、そのうちに休戦協定が結ばれることを、最先端の兵士は望んでいた。
そんな情勢をぶち破ったのは、国家間の協定を欺く輩だった。
彼らには国家の利益や世界の平和など関係なかった。自分たちが利益を得られればいいのだ。そんな連中には軍事力はなかったが、財力はあった。財力によって、兵士や下士官などはすぐに買収される。彼らは戦争が長引くことで国家や世界に対して不信感を募らせてしまい、精神的にも不満が飽和状態に達していたのだ。
国家にとって彼らの存在は知るところではなかった。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第3部) 作家名:森本晃次