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ジャスティスへのレクイエム(第3部)

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 それでも国家の悲願として独立が望まれている。ただそれは国民が望んでいることではなかった。国民は自分たちを支配しているのがどこの国であっても関係ないと思っている。ジョイコット国であろうが、侵攻してきたチャーリア国であっても関係がない。つまりは彼らには愛国心というものがまったくないのだ。
 その分、言われれば奴隷のごとく働く、それが当たり前だと思っているというある意味気の毒な民族だ。
 だが、
「ひょっとすると彼らこそ幸せなのかも知れない」
 と感じる者もいる。
 それがジョイコット国の政府内部にいることで、彼は国民に対して同情的だった。
 しかし、彼以外の政府のい人間は、自国民を完全に軽視している。まったくの未開の時は、自分たちも同じように奴隷のごとく身分だったにも関わらず、自分たちが支配する立場に立つと、それまでのことを完全に忘れているのだ。ただ一つ覚えていることというのは、
――自分たちが何も考えていなかった――
 ということだ。
 政府に身を投じるようになって、国民を支配する立場になると、今度は自分だけのこと以外にも国民のことも考えなければいけなくなる。それなのに、国民はせっかく考えてもらっている政府の人間に対して何も感じていない。それはまるで豆腐の角で頭を打ち付けるようなものだった。
 中には、クーデターを考えている政府の人間もいた。だが、彼は何に対してのクーデターなのか分かっていない。
「体制を変えなければいけない」
 と漠然と考えているようなのだが、明確なビジョンはおろか、何に対してのクーデターを起こせばいいのかすら分かっていない。彼らの政治感覚というのは、その程度なのだ。
 政府を何とも思わない国民というのは、先進国においてもあることだ。だが、それはいろいろなことを知ったうえで、政府に対して憤りを感じ、その結果、無関心になってしまうということである。彼らにとっては一度一周してから、もう一度元の場所に戻ってきたかのような感覚ではないだろうか。
 ジョイコット国のような国民も、かつては自分たちの先祖がたどった流れであり、またしても巡ってくる感覚なのかも知れない。そのことを感じている人は学者の中にはいるかも知れないが、一般市民や政府の人間には理解できないことだろう。
 それでも、クーデターを考えている人がいるというのは、スパイ連中から見れば、一目瞭然の相手だった。彼らがこれからどのような考えを持つかは別にして、今のうちに仲間に引き入れておくことは間違っていないと彼らは考えた。
 ジョイコット国のような国は、チャーリア国の属国とはいえ、建前は独立国である。他の国との条約は普通に結んでいた。最初の頃はさすがにチャーリア国が干渉してきたが、そのうちに何も言わなくなった。ジョイコット国のような小国のために、列強の国々と関係が悪化することを恐れたのだ。下手をすれば母国との貿易や条約に対しても悪影響を及ぼすと考えたからで、ジョイコット国が他国と不平等条約を結ばされることになってしまっても、見て見ぬふりをしていた。
 かつて歴史の中で、かつての大戦前のこと、植民地時代が訪れた初期の頃、鞘腫国と属国という関係は存在していた。それは植民地とは違い、いきなり攻め込んで属国にした経緯があった。
 植民地時代というのは、武力に訴えるのは最後の手段だった。
 大航海時代にそれまで知られていなかった世界の未開の地に足を踏み入れた時、武力で支配することも簡単にできたのだろうが、それよりも、まず宗教団体をその国に潜入させて、彼らを心理的に誘惑することで、国内を乱した。それにより国によっては内乱が起こったりして、その隙につけこんで占領してしまえば、占領軍の被害は格段に少なくて済む。しかも、占領軍を解放軍として迎える機運が働けば、それ以降の占領対策も簡単だというものだ。
 要するに、占領するまでよりも占領してからの方が、よほど難しいということである。これは戦争と同じで、戦争も、
「始めるよりも終わらせる方がはるかに難しい」
 と言われているが、その通りだと占領軍は考えたことだろう。
 植民地はそうやって全世界に広がっていった。植民地の一番の目的は貿易である。自国の資源には限りがある。国土の小さな国であれば当然のことで、同じ大陸で凌ぎを削るとしても、それは陣地争いに興じるだけの果てしない戦争は消耗戦でしかなくなってしまう。領土を得たとしても、過度の消耗があっては、せっかくの勝利も期待していたほどではないだろう。
 ジョイコット国がチャーリア国の属国になったのは、ジョイコット国がこのままいけば、誰にも関心を持たれることもなく、滅亡するのが必至だったからだ。
 大戦が終わり、ほとんどの国は疲弊してしまい、自国の復興だけで大変だった。そんな時、植民地では独立の機運が活発になり、宗主国との戦争になる。またしても戦争から逃れられない国家は、次第に嫌気が指してくる。そうなると、戦争を欲しない国民がクーデターを起こす国も出てきて、またしても体制維持のために、世界は混乱してしまう。
 そんな時に台頭してきたいくつかの体制。そのどれかに属さなければ、先進国としては生き残れないという風潮が芽生え、それが続いて今のような世の中になったのだ。
 植民地という言葉も、宗主国、即刻などという言葉も、それぞれ古いと目されている。だが、歴史は巡ってくるものである。
 ある学者の提唱する学説に、
「もう二十年もしないうちに植民地時代が復活する」
 という意見があった。
 最初に提唱された時は、ほとんどの学者がその論文をバカげた話だとして相手にしなかったが、そのうちに一人の政治家が、この意見をWPCで訴えたことで、一躍注目を受けることになった。
 それが実はニコライだったのだ。
 彼は科学者だったが、歴史学の方にも造詣が深く、歴史学や国際法の研究もしていた。その時は兵器開発のゲスト、言い方を変えれば参考人としてWPCに招かれたのだが、その時に彼は満を持して、歴史学の話を始めた。
 最初から根回しはできていたようだ。
 その後ろにいたのがシュルツであるということを知っている人は少ないだろう。
 もっとも、この植民地回帰説は、シュルツの考えが元になっていた。シュルツが一人漠然と考えていることだったのだが、誰かに話をしなければ気が収まらなくなったシュルツは、歴史学者の権威としてのニコライの下を訪ねた。
「私の考えは少し奇抜だろうか?」
 とシュルツがいうろ、