短編集58(過去作品)
美弥子には実際に打算的な考えは何もない。だが、結果的に男が女に尽くしている。男とすれば屈辱的な状況に戸惑いながら、不思議な感覚に捉われていた。
それでも別れようとしなかったのは、あまりにも自然だったからかも知れない。男の方も屈辱的な境遇を自然なことだと心の中で割り切ってさえいれば、ごく自然な営みの中を漂っている快感に酔いしれてさえいればいいだけのことだった。
しかし、諍いというのは、小さな綻びから起こるもの。男にその気はなくとも、美弥子の方にイライラがあれば、男としても黙っていられない。少々のことは大目に見ようと思っていても、相手が理不尽であれば、男が逆上するのも仕方がないだろう。
男は美弥子を罵倒する。
美弥子は、
「どうしてそんなことを言われなければならないの?」
と反論する。反論は一気に売り言葉に買い言葉となって、次第に事が大きくなってしまう。
ここに至って、収拾は不可能だ。お互いに我慢してきたことが噴出したと思っているのだから、どうしようもない。
喧嘩両成敗というが、明らかに形勢は美弥子に不利だった。
理不尽なのは美弥子の方だということは誰が見ても明らかなのだが、いかんせん、男女の喧嘩に他人が口を挟めるわけもなく、仲裁に入る人もいない。お互いの理屈が次第に泥仕合となって、後は別れを迎えるだけだった。
美弥子には躁鬱症の気があった。
本人も自覚していることで、定期的にやってくる躁鬱症に対し、それなりに悩んでいた。
男との別れも躁鬱症の影響が少なからずある。男はたいてい、美弥子が躁鬱症であることを知らない。信じられないと言った方が、正解かも知れない。
躁鬱症の人が躁状態の時は、実に明るくて、抑えることができないくらいだ。もっとも抑える必要などない。楽しんでいる人と一緒にいれば楽しくなれるので、自分も一緒に楽しめばいいだけのことである。
もし、付き合う男性も躁鬱症であったら、きっと最初からうまく行かなかったに違いない。躁鬱症の人はほとんどがサイクルを持っていて、そのサイクルがキチッと自分に嵌る人などいないだろうと思っていたからだ。
だから美弥子は、まず相手の性格を探る時に、躁鬱症の気があるかどうかを模索する。躁鬱症の人には、それなりに匂いがあるのだ。
嗅覚を働かせて見つめていると、かなりの高い確率で躁鬱症かどうか見抜くことができる。それは美弥子の長所でもあっただろう。
当然付き合っている人に躁鬱症の人はいない。女の子にしてもそうだ。
――他の躁鬱症の人って、どんな感じなんだろう――
まわりにいないのだから、ピンと来ない。友達にいたりすれば、きっと喧嘩になることもあると考えて、本能的に避けているのは分かっていた。
他の人から見れば、美弥子は不思議に見えただろう。
わがままに見えるのは躁鬱症が少なからず影響しているが、嫌味のないわがままであった。
富豪の令嬢が、わがままを言う。これは嫌味がないといってもいい。なぜならわがままの定義が本人に分かっていないからだ。仕方のないことだが、それを教えるのは困難である。
きっと彼氏が現れて、彼に従順になれば分かってくることもあるだろう。だが、美弥子の場合はそうではなかった。彼氏が現れて、従順な気持ちになっているのに、なかなか自分のわがままが相手をどんな気分にさせるかが分からないのだ。
喧嘩になると止まらない。止まるはずがない。お互いの言い分をぶつけ合うのだから、磁石の同じ極同士が反発しあうのと似た感覚なのかも知れない。
――似た者同士――
男は一瞬考える。だが、すぐに否定してしまう。自分が躁鬱症でないことを分かっているからだ。
美弥子と別れた男が、彼女の友達とくっついて、ベッドの中で天井を眺めている。その時に、
――似た者同士――
という思いがあったことを今さらながらに思い出して、天井を見つめているのだ。
――似た者同士って、どういうことなんだろう――
分からない。躁鬱症でもない自分はどこが似ているというのだろう。少なくとも美弥子が自分と別れて他の男に抱かれているところは想像できない。想像してはいけない感覚に陥っている。
――まるで美弥子への淫らな想像は、彼女を冒涜しているかのようだ――
この考えは、富豪の令嬢のわがままの感覚に似ている。そう考えると、彼女のわがままも仕方がないように思える。
――俺はいったい何をやっているんだ――
美弥子と別れて、すぐに友達とくっつく。確かに彼女は自分のことを最初から好きでいてくれたのは分かっていたが、最初の感覚とは少し違う。
――お互いに美弥子への意識なくしては、付き合えない関係だったのかも知れない――
二人とも、美弥子への特別な感情が強くなっていることを自覚している。反発心がどこかぎこちなさを募っている。天井を見ながら考えていることは、美弥子のこと、横でしがみついてくる女にしても、美弥子への憎悪が爆発しているに違いない。ひょっとして、彼女に勝ったような感覚に陥っていたりするのではないだろうか。男は、自分たちのそんな関係を訝しいものに思えて仕方がない。
――この胸騒ぎは、気持ち悪いものだ――
と考えると、美弥子の気持ちが分かってきたような気がする。
――躁鬱症の鬱状態って、こんな感覚なのかも知れない――
もちろん、いきなり躁鬱症になるわけもないので、厳密には違うだろうが、美弥子に近づいたような感覚になることで、後悔の念が押し寄せてくる。
そんなことを知ってか知らずか、美弥子はいつも何かを模索している。
「三歩進んで二歩下がる」
という歌があったが、そんな感覚ではないだろうか。躁状態の時に進んだものが、鬱で引き戻される。それが嫌だった。
だが、実際には少し感覚が違う。躁鬱とは、それほどしっかりとした分かれ目などないはずだからである。
男は美弥子と別れたことを後悔することもあるが、すぐにそれを否定する。美弥子は自分が悪いのか、それとも運が悪いのか、自分が恨めしかった。運が悪いというのも、本当は自分自身が悪いに決まっているのだが、あまりにも不幸が続くと、感覚が鈍ってくる。
世の中をどうでもいいと思ってしまうこともあった。
深く考えすぎるのも美弥子の悪いくせで、そのため自分の頭の中がパンクしてしまうと、何をするか分からないところがあった。
不思議と男への恨みはなく、女への恨みが残る。女への恨みは自分を含めたところだ。そのために自暴自棄から、とんでもない行動を取るに至ったのだ。
自分の中にある羞恥心が麻痺していると思った。どうせなら、男に奉仕する仕事をすることで、自分の運命に逆らってみたいと考えた。
ついている仕事を辞め、住んでいる街を捨て、誰も知らないところで、自分だけの世界を築く。何と素晴らしいことではないか。それが美弥子にとってのささやかな自分の運命への逆襲であった。
伝があるわけでもないのに、気がつけば、お店で働いていた。入店の時の恥ずかしさと、自分ではなくなってしまう感覚がまるで夢のように通り過ぎ、自分ではなくなってしまったことを喜びさえした。
客は皆優しかった。普段できないような会話を楽しめた。
作品名:短編集58(過去作品) 作家名:森本晃次