短編集58(過去作品)
――どこかで見たような――
という気持ちに襲われたのはその時だった。
後ろの方から靴音が聞こえてきた。近づいてくるように思えるが、怖くて振り向くことができない。風邪で頭がボンヤリとしていることが却って幸いしていた。足早になっても、それほどきつさを感じなかったからだ。
しかし、宿に着いてからがいけない。部屋に入り、暖房を入れるが、暖房の調節があまりうまくいかず、暑くなりすぎてしまった。
ベッドに横になると、額から汗が吹き出してくる。
「風邪の時は汗を掻くことで、身体の中の悪い菌を出し切ってしまう方がいいんだ」
と子供の頃に父親が言っていた。
「水分を十分に摂って、汗を掻けば速やかに着替えさえすれば、いつの間にか熱も下がるというもんだ。何事もそうだが、無理に下げる必要はないんだ。熱が出るには出るだけの理由があるんだからな」
と話してくれた。
保健体育の時間、そのことが初めて理解できた。
「発熱とは、身体の中の細胞が、侵入してきた悪い菌と戦っている時に出てくるものだから、元来悪いことではないんだ。だから無理に熱を下げようとするんじゃなくって、熱を出して身体から悪い菌を汗として出し切る方がいいんだよ」
という先生の話を頷きながら聞いたものだった。
仰向けになって天井を見つめていると、遠近感が取れない自分に気付く。熱があって半分意識が朦朧としている中ではあるが、それでも天井を凝視できるのは、それだけ集中力が衰えていない証拠かも知れない。
いや、逆に熱がある時だから出てくる集中力というのもあるのではないだろうか。ろうそくだって消える寸前に大きく燃え上がるというではないか。徹夜明けだって最後の気力を振り絞ることができる。そんな心境であった。
だが、その反動は間違いなくすぐに自分に返ってくる。集中して見ていると、すぐにまた意識が朦朧としてきて、そのまま眠ってしまうことが分かってくる。
普段であれば、眠りに就くことの意識はない。意識が朦朧としている時ほど、眠りに就く瞬間を意識できるというのは、潜在意識が成せる業なのかも知れない。
朦朧とした意識と、夢の中の意識とは似通ったところがある。意識が朦朧としている時というのは意外と冷静になれる自分を感じることがある。それは自分の身体を離れたもう一人の自分の存在を意識しているからだろう。夢だってそうだったではないか、見ている自分と、主人公である自分の両方を意識できる世界、それが夢という不思議な世界だと認識している。
朦朧とした意識の中で、何を見つめているかを分かっているのは、もう一人の自分しかいないだろう。だからこそ冷静な目で自分を見ることができて、眠りに落ちていく自分を見ることができるのではなかろうか。夢に自分が出てくることも意識してのことである……。
きっと夢から覚めると、熱は下がっていて、朦朧とした意識を持っていたなど忘れているに違いない。したがって、朦朧としている時しか、起きている時のもう一人の自分は存在し得ない。仰向けになって遠のく意識の中で天井をじっと見つめているのも、もう一人の自分のささやかな抵抗なのかも知れない。
その時に見た夢の中に、乾いた靴音が響いていたように思う。夢の中で、音というものを本当に感じていたかと言われればいささか疑問であるが、音のない方が不自然なシチュエーションを頭に描いているからである。
夢から覚めると、耳鳴りがしていたが、意識がしっかりしてくるうちに、どこからともなくクラシックの音色が奏でられていることに気がついた。
――あれは確か昨日聞いた「夜想曲」――
まるでついさっきまで聞いていたような錯覚に陥る。
スッキリしたとまではお世辞にも言えなかった。意識の朦朧は相変わらずだが、頭痛や寒気はだいぶ治まってきた。
――治りかけているんだな――
後は安静にしていればいいだろう。
時計を見ればまだ夜中の二時だった。いわゆる、
――草木も眠る丑三つ時――
である。
頭がボーっとするのは薬が効いているせいだろう。ホテルに帰ってくる前に薬局で購入した時、
「眠くなる成分が入っていますから、すぐにお休みになることをお勧めします」
と白衣を身に纏った薬剤師さんからそう言われた。桜井はどちらかというと暗示に掛かりやすいタイプであるが、薬剤師さんの言葉通り、部屋に帰ってくる頃には睡魔との闘いでもあった。
起きてくると、なかなか意識がハッキリしてこない。今までそれがなぜか分からなかったのだが、その理由がその説きにハッキリと分かったような気がした。
――忘れかけていく夢を忘れないようにしようという無意識な抵抗なのかも知れないな――
と感じた。それは無意識であり、無駄な抵抗でもあった。無駄な抵抗だと分かっているから、起きてから意識がしっかりしてくるまでに時間が掛かることの理由が分からないでいるのだろう。
その日の夢がどんな内容だったのか、目が覚めるにしたがって忘れていくのは、その日に限ったことではないが、その日に限っては、忘れたくないという気持ちが普段よりも強かった。
――誰かの夢を見ていたような気がする――
それも最近、どこかで会った記憶がある人なのだが、どこで会ったのか、それが誰だったのかすら分からない。夢から覚めて覚えていないのはいつものことなのだが、普段であれば、意識がハッキリしてきてしばらくして思い出そうとすれば、誰が夢に出てきたかくらいは、記憶の奥から引き出すことができる。
その日はそれすらできない気がしたのだ。
旅先で枕が違えば眠れない性格の人がいるという。神経質な人なのだろうが、桜井にはそんな感じはなかった。
だが、それも旅行に出かける前にある程度の興奮状態が終わっているからである。前の日にいろいろな想像を膨らませ、そのおかげで、旅先で神経質になることはなかった。
学生時代など、出会いというハプニングを密かに楽しみにしていたものである。一人旅に出かけて、そこで女性と知り合えば、お互いに旅の恥は掻き捨て、何か期待できるものがあっても仕方がないものだ。
完全に下心丸見えだったこともあっただろう。男女数人で知り合った時、気がつけば自分ひとりが浮いてしまったことがあったのも覚えている。そんな時はたいてい、女性の中の一人に気になる女性がいて、その人を意識するあまり、まわりが見えなくなってしまっていたからだ。そういえばそんな夢も今までに何度か見たような気がしていた。
夢に見るのが何度か重なれば、いくら夢から覚めれば忘れてしまうとはいえ、パターンが脳裏から離れない。
――また同じ夢を見てしまった――
と起きてから感じ、完全に目が覚めるまで、一種の自己嫌悪に陥ってしまうことも一度や二度ではなかった。
旅先で出会った女性とハプニングに陥ったこともないことはなかった。
一人旅の時は、特急列車よりもむしろ鈍行を使うことが多い。
ローカル線に乗っていると、観光地が途中になければ、乗客は地元の人ばかりとなる。だが、その日は一人、いかにも旅行といった雰囲気の大きなバッグを持った女性が乗り合わせていた。
作品名:短編集58(過去作品) 作家名:森本晃次