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短編集58(過去作品)

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 街灯にはガス塔が使われているが、見た目ガス塔で、実際には電気なのかも知れない。だが、明るさの調度は昔のままになっていて、情緒は十分に伝わってくる。足元も適度な大きさの正方形の石がいくつも敷き詰められていて、まるで路面電車の走っている敷石を思い出すことができる。
 路面電車といえば、最近は少なくなってきたが、熊本に行った時に乗ったのが印象的だった。熊本に限らないのだろうが、大都会の中のメイン道路の、さらに真ん中を車と違う道路法規ということもあり堂々としているように感じられる。雄大に見えるといっても過言ではないだろう。
 だが、都会のど真ん中を走っている割りには、どこか情緒を感じることができると思っていたが、なるほど、敷石に情緒を感じていたと思えば、納得できる。今から思えばきっとそうだったに違いない。
 街灯は蛍光灯のような白さではない。少しオレンジ色を含んだ色で、暖かさを感じさせるのだが、如何せん明かり自体に力がないので、暖まるまではいかない。
 喫茶店までは角を二つほど曲がる程度で行けるのだと聞いていた。時間にして、普通に歩けば十分と掛からないという話だったのだが、思ったよりも時間が掛かったように思えた。
――ゆっくり歩いているからかも知れない――
 街灯が暗いせいか、正面がぼやけて見える。いや、よく見ると街灯が暗いからだけではないようだ。
――霧が掛かっているようだ――
 もし白い街灯であれば、霧がでてくればすぐに分かったかも知れない。街灯が当たっていない場所を見ることで、漆黒の闇との違いを無意識に見ているはずなので、その時に霧がかかっていれば分かったはずだ。
 漆黒の闇と街灯の間を見るようになったのは、漆黒の闇を怖いと思っている証拠であった。闇を怖いと思う反面、明るさとの境を見ることで、素k女子でも恐怖を和らげたいと思っている。
――本当に怖いのは、闇を感じようとしない自分の気持ちの中にあるんだ――
 と、その時に感じていた。
 ロンドンという街には行ったことがないが、霧で有名な街らしい。大都市が霧に咽ぶ状況というのを想像すると、どうしても現在をイメージすることは難しい。歴史に情緒を感じながら想像していると、山の上にいるかのように耳がツーンとしてきて、耳鳴りがしているかのような錯覚を帯びてしまう。
 その日の金沢もまさにそんな感じだった。霧が濃いということは、空気が十分に湿気を帯びていて、空気すら濃くなっているように思えるからだ。少し茎を吸い込むと咳が出てしまうのではないかと思えるほどの霧を、いまだかつて感じたことはなかった。
 喫茶店まで来るまでは何ともなかった。店に入って店内を見渡すと客は誰もおらず、店主がカウンターで洗物をしていた。
 木造で情緒を感じさせる店であったが、カウンターの中にいるのは、定年を迎えて老後の人生を送っていることを十分に想像させるほどの白髪の老人だった。髭も生えていて、髭すら白いので、かなりの歳に見えるが、髭や髪の毛の白さが目立つせいか、目は黒々として、ぎらぎらしたものを感じた。
――思ったよりも若いのかも知れないな――
 と思ってカウンターに座り、
「コーヒーをお願いします」
 と注文すると、返事もなくサイフォンでコーヒーを作り始めた。
 このくらいのおじさんなら愛想がないのも仕方がないのかも知れないが、情緒のある喫茶店と聞いて、女性がエプロンをしてカウンターに座っていることを最初に想像してしまっていた自分が浅はかだったことを桜井は悟った。
――そんなにうまくいくわけもないか――
 と思わず苦笑いをしたが、マスターに聞こえているかどうかは分からない。
 お互いに一言も発しなかったが、店内に流れているクラシックのメロディが雰囲気を和らげてくれる。それが「夜想曲」ではなかっただろうか。その時は曲は知っていても、タイトルと一致しないという程度しかクラシックの知識はなかった。
 元々疲れがあったのか、「夜想曲」のメロディを聴いているうちに睡魔が襲ってきた。身体に力が入らないことを感じてくると、瞼に重たさを感じてくるのだったが、すると、暖かいはずの部屋で次第に寒気を感じてきた。
――やばい、風邪かも知れない――
 速やかに宿に帰って寝るに限る。旅先で体調を崩すのは、家で崩すよりも数倍きついことは分かっていた。
 それなのに、旅行に出かけると、不思議と体調を崩すことが多かった。特に修学旅行では、中学の時も、高校の時も、旅行に慣れてきた頃に夕方から発熱することがあった。
 しかもそれをすっかり忘れてしまっていたのである。
 元来出張であっても、旅行は楽しいものだという考えが桜井にはある。一番モチベーションの高いのは、旅行に出かける前の晩、小学生の頃などは、興奮して眠れないくらいだった。
 家族で行く旅行であっても、友達と行く旅行であっても、出かける前の興奮に大差はなかった。しかし成長していくにしたがって、家族での旅行が減って、友達と出かけることが多くなった。しかも大学に入ってからは、一人旅がほとんどで、旅行先で友達を作る快感を覚えたというのが本音だった。
 修学旅行で熱を出して一人部屋で寝ていた時、とても寂しいものを感じた。本当は集団でわいわい言いながらの就寝はあまり好きではないので、一人で寝られることを最初は喜んだくらいだったが、崩してしまった身体が、そう感じることを許してくれない。熱がある時というのは、人恋しくなるのだということを、修学旅行の時に初めて感じた。
 しかし、一人旅をするようになって、熱を出さなくなった。旅行に出かけてもほとんどは自由で、すべて自分で計画できる。しかも旅行前に計画してのものではなく、旅先で知り合った人によって、予定を自在に変えることもあった。
 したがって旅行前に高ぶっていた神経は、一人旅をするようになると、それほどでもなくなり、テンションを保ったまま旅行を続けることができる。
――熱を出していたのは、下がりかけているテンションのせいだったのかも知れないな――
 帰りたくないという思いが体調を崩していたと考えれば、修学旅行の途中で熱が出るという理屈も分からなくない。最初が最高のテンションで、次第に下がってくる中で、どこかから下はマイナス思考になっている。帰ることを考えてしまうからだろう。
「子供でもないのに、たかが旅行で」
 という人もいるかも知れないが、普段毎日を平凡に暮らしていて、それで満足なんだと思い込もうと無理にしている人がそう考えるに違いないと思っていた。
 出張に出かければ、その日の夜は本来楽しいものなのかも知れない。しかし、あまり呑めない桜井にとって接待は、時として厳しいものになってしまう。
 酒は呑めないが呑むのは嫌いではない。時々一人で家の近くの居酒屋に出かけては、自分のペースで呑むことも少なくない。それは酒を呑むということよりも、自分の空間が持てることへの憧れから来ているものである。
 馴染みの喫茶店を大学時代から持っている。就職して大学の近くに立ち寄ることもなくなったので、今では会社の近くを馴染みとしているが、それも自分の居場所を探しているからに他ならない。
 早々と喫茶店を出てホテルへの道を向った。
作品名:短編集58(過去作品) 作家名:森本晃次