欠けた満月の日
6.終わりと始まり
将斗と会えなくなってから半年が過ぎた。皆既月食の夜、大怪我を負った将斗は救急病院に搬送され、そのまま入院した。意識を取り戻すまでずっと付き添うつもりだった。
けれど将斗は一週間が経ったある日、忽然と姿を消した。
担当医の話によると、意識を取り戻してすぐ他の病院へ転院したということだった。どこの病院かとかなりしつこく聞いたが、本人から言わないように言われているとのことだった。
また逃げられた――そう思う一方で、元気で生きているなら構わないとも思った。遠くにいても、他人だと思っていた頃とは違う絆のようなものが、あるような気がした。
不慣れな運転で記憶をたどり、彼の実家を訪れたこともあったが将斗はいなかった。代わりに彼の父親と村田がいた。二人とも将斗がどこにいるかは知らないと言っていた。けれどいつかきっとここに戻ってくるだろうと村田は言った。
「ここが、マサ坊の故郷だからのう」
視界一面に生い茂る木々を見ながら、望ではなく父親に言った。焦げ茶色の癖のある髪をしているけれど、兄の朔也にはあまり似ていないと思った。微笑む時、少しだけ口の端を上げるしぐさが将斗にそっくりだった。
***
季節が本格的に秋に変わる頃、一通の手紙が届いた。望は春に内定していた会社を辞退し、教員採用試験を受けた。今はその結果を待っている。結果発表は十月の終わり頃でインターネット上での発表だとわかっているのに、毎日のようにポストをのぞいてしまう。
郵便物はほとんどがダイレクトメール、もしくは父宛の郵便物だ。
夜の七時頃に帰宅した望は、一通の葉書を見つけた。宛名は坂木望、送り主の名がない。見覚えのあるその筆圧の強い字に心臓が暴れ始める。
震える手で葉書を裏返す。
「おー望、おかえりー」
薄闇のむこうで手をふったのは兄だった。望は「見てこれ!」と声を上げて駆けよる。
兄と寄り添うようにして、外灯の下で葉書を見た。
小さな葉書いっぱいに描かれた月食の夜の水彩画――
望は息を飲んだ。手前に生い茂る草、眼下に広がる夜景、遥か奥まで連なる山の峰々、紺碧の空を彩る白い星の光、東の空に浮かぶ欠けた満月。
言葉を失っていると、兄が表に返した。特徴的な角のある字を見てつぶやく。
「あいつ……元気にしてるのかな」
兄は将斗の消息を知らないと言った。それをそのまま信じることはなかったけれど、知らないと言うならそれでいいと思った。二人の間に芽生えた友情も消えてはいないと感じていた。
「ねえお兄ちゃん……今でも『Rins Song』を歌うことある?」
何気ない問いかけに兄は目を丸くした。それからやんわりと微笑んだ。大人になっても変わらないやわらかい髪、透き通るような薄い瞳、白い頬。
「……いいや、あれは凛子ちゃんの歌だから」
そう言って照れくさそうに笑った。兄が口にした名前は、暖かくやわらかく望の胸に響いた。兄は葉書を裏返した。カーステレオで『Rins Song』を聞いた、あの夜の月食が藍闇の空に浮かんでいる。
望は夜空を見上げた。つられて朔也も顔を上げた。都会の夜空には弱々しく光る星があり、東の空からはゆっくりと月が昇ってくる頃だった。
雲間から月が姿を見せた。まあるい円を描く満月は都会の空になじむように淡く輝いていた。
葉書を夜空にかざした。月がふたつ、望を見守っていた。
将斗もきっとどこかで、この月を見ている。
(終わり)