欠けた満月の日
声は切れ切れなのに、口の端に笑みを浮かべて言う。望は彼の背中に腕を回して支えた。冷えきった将斗の体を暖めたいと思ったけれど、ショートコートを羽織っただけの望もかなり冷えている。
どこからか暖かい空気が流れてきてホッと体を緩めると、村田の声が聞こえた。
「マサ坊、こっちこい。連れ合いさん、手伝ってやってくれ」
言われるままに将斗の靴を脱がせ、居間に入った。望が座った座布団が、そのままの位置におかれていた。石油ストーブは村田がつけたらしい。古いカレンダー、壁に張られた風景画。今ならこの絵があの山頂から見下ろした風景だとわかる。将斗の脇を支えながら奥の部屋へ進む。ひきずっている将斗の足に血がついているのか、歩いた畳が赤黒くなっている。
四方が襖続きになっている部屋に将斗を寝かせた。布団が血で汚れることを将斗は気にしたが「今はそんなことはええ」と村田が肩を押した。
「山のふもとまで下りて、ここまでの道案内をしてくるわい」
そう言って立ち上がったので望も「私も行きます。携帯電話、ふもとならつながりますよね」と答えた。手伝えることがあるならなんでもしたかった。
すると将斗が手をつかんだ。驚いて望は振り返る。
「おまえに……話さないといけないことが……」
声に力がなくかすれている。手についた血は乾いて剥がれ落ちる。眉をしかめた将斗が望を見ている。
「連れ合いさん、ここにおったってくれ。すぐ戻る」
そう言って村田はあわただしく家を出た。将斗はじっと望の手を握っている。立ち上がろうとして中腰だった望は畳に正座する。
「……話したいことって?」
裸電球の灯る和室で望は口を開く。きつく握っていた彼の手の力が抜ける。ゆっくりと目を閉じる。
「……ずっと言わなきゃって思ってた……」
「聞くよ。なんでも」
熱の戻らない将斗の手を握り返した。彼はうっすらと目を開けた。黒い瞳が望を見つめる。彼の手がわずかに動く。真っすぐに望を見る。
「……俺と朔太郎は……逆だった」
静まりかえった部屋の中に将斗の声が響いた。
言葉の意味がわからず、望はじっと彼の目を見つめた。将斗は揺るがず望を見ていた。懐かしい感じのするその真っ黒な瞳の中に、吸い込まれるような心地がした。