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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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欠けた満月の日

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3.欠けた満月



 険しい山道をロードスターが走っていく。いつの間にかエルトン・ジョンの歌は終わり、車内はエンジン音で満たされている。タイヤは舗装されていない山道に乗り上げ、木の枝を踏みつける音が聞こえる。うっそうと繁る大木の枝がサイドガラスをかすめ、望は身をすくめる。言葉少なになった将斗は短くなったタバコを携帯灰皿に押しつけ、両手でハンドルを握る。

 道が凍っているところがあるのか、思いきりアクセルペダルを踏んで車を前進させる。木々の他なにも見えない山奥でエンジン音がうなりを上げる。

 がくんと車体が下がるのがわかったその時、急に視界が開けた。

 煌々と光るヘッドライトが前方を照らす。生い茂る木々を切り開いた空間に、山小屋らしき影が見える。

「降りるぞ」

 彼はエンジンを切った。ようやく耳鳴りが収まり、ほっとして望はシートベルトを外す。

 外は真っ暗闇だった。耳をちぎるような寒さに驚いてショートコートを羽織ると、木々をざわめかせる風の音がかけぬけた。車のヘッドライトが消えると、山小屋も闇に消える。車にロックをかける音と共に、辺りは闇に沈んだ。すぐそばに車体の冷たい感触だけがあり、将斗がどこにいるのか見えない。

 悪寒がした。空は雲に覆われ、月明かりもない。冬の夜の、冷気を含んだ風が頬をかすめる。どこからか水の流れる音が聞こえる。自分の吐く息だけが白く空中に浮いている。何か温かいものが肩に触れる――

「足元、気をつけろ」

 将斗は懐中電灯をつけた。足元が少し明るくなる。木々から滴り落ちる雫が彼の黒髪を濡らす。空いた手を差し出す。

 なんださっきの感触は将斗だったのか、と胸をなで下ろした。ビルがひしめき合う街で暮らす望は、黒よりも濃い暗闇を知らなかった。恐々と将斗の手を取る。ぐっと握り返す感触があり、その力強さに安堵する。

 雪で凍った土を踏みしめながら歩く。何度も転びそうになり、その度に将斗が腕を引く。雪に濡れた彼がこちらを見ている。望が歩き出すのを待っている。目指す山小屋が遥か遠くに感じられる。彼の手を握り、負けじと歩みを進める。

 山小屋だと思っていた建物は、苔蒸した古い日本家屋だった。玄関の上には軒がある。将斗は錆びた鍵を引き戸に差し込み、ぐっと力を入れる。

「あれ、おかしいな」

 そう言いながら、両手を引き戸の持ち手にかけて力を込める。しかし引き戸はうんともすんとも言わない。将斗は手のひらに息をはきかけると、再び持ち手に指を入れた。望も扉の装飾部分に手をかける。「せーの」と声を合わせようとした時、引き戸が勢いよくすべった。同時に将斗と望もひっくり返った。

 土を歩いていたときは転ばないように気をつけていたのに、あっけなく二人とも草まみれになってしまった。将斗の頭に落ち葉がついている。望は顔をぬぐう。手に泥がついていたので余計にひどい顔になる。

 目を合わせると、笑い声が弾けた。将斗はわざとらしく望に懐中電灯を向けて「ひでえ顔」と笑う。腹を抱えながら「先生だって髪に落ち葉ついてる」と返すと、彼は頭に手をやって、口を大きく開けて笑った。こんなに屈託なく笑い合うのは、凛子が生きていたとき以来だと思った。

 古い家屋の中に入ると、一枚板の大きな飾り棚があった。古いランプや木彫りの置物はどれもほこりを被っていた。将斗は下駄箱からもうひとつ懐中電灯を取り出すと、望に握らせた。

「それもって、待ってろ」

 そう言うなり、隣の一段低い土間に入った。何やら油の臭いがし、何か機械についたひもを引っ張るような音がした。そっとのぞくと、土間に屈んだ将斗が自家発電気を稼働させているようだった。

「こっちこい」

 部屋に上がりながら手招きをした。望も靴を脱いで上がり框に足をかける。家の中だというのに、外と同じ零下の寒さだ。

 将斗は細い懐中電灯を口にくわえ、天井からぶら下がっている裸電球に手を伸ばす。背伸びをして上についているスイッチをひねる。
 急な眩しさに目がくらみ、思わず目を閉じた。

 彼ははタオルを差し出すと、さっさとどこかへ行ってしまった。「汚れるよ」と言うと「いいから使え」と廊下に彼の声がこだまする。顔をぬぐって裸電球を見上げる。彼は土間から灯油のポリタンクを持ってきて、石油ストーブに流し込んだ。油の匂いがしたあと、ボッと点火の音が聞こえる。次第に暖かくなり、人心地がついた。かなり古いけれど、この家には人が暮らしていた気配がある。

 ゆっくり立ちあがり辺りを見渡した。十二畳ほどの部屋には古い茶箪笥と飾り棚があり、大きなちゃぶ台が鎮座している。居間のようだがテレビや電話はない。床に予備校の参考書が山積みにされれいる。タバコのケースも転がっている。壁には昭和時代の古いカレンダーが掛けられたままになっているが、その隣に画鋲で止めてある風景画は色褪せておらず比較的新しいもののようだった。

「先生、ここに住んでるの?」

 鉛筆で描かれた白黒の風景画を見ながら言った。すると将斗が両手にマグカップを持ってやってきた。

「いや、今は月に一度かな。大学を卒業したあとは仕事がなくて、籠ってたこともあったけどな」
「ここにいたんだね……。その時は……何してたの」
「ひたすら、これかな」

 将斗はマグカップを持ったままじっとどこかを見つめる。視線の先には紙の束や物が散在していて、どれのことを言っているのかわからない。望はマグカップを受け取って風景画を見上げる。
 どこまでも続く田畑の向こうに山の嶺が描かれている。鉛筆の黒い線しかないのに、郷里の懐かしさや思いやり、温かみを感じる絵だった。

「どれのこと?」
「これだって」
「これ? お父さんの絵?」
「いや、描いたの俺だけど」

 将斗は畳に座ってコーヒーを口にする。さらりと言ったその言葉を、望は頭の中で何度も半数する。

「.......ええっ! 絵、描くの? 知らなかったんだけど!」
「そりゃ言ってないから」
「お兄ちゃんは知ってるの?」
「......言ってない、かな」

 将斗が低い声でそうつぶやく。望はマグカップを手にしたまま、ぐるりと部屋を見渡した。目をこらすと部屋の隅や、続きの間にも絵画が置かれている。薄っぺらい紙に描かれたものから、四方が1メートル近くある油絵もある。薄暗闇に懐中電灯を照らすと、北の間、東の間、西の間、台所や閉め切った縁側にまで絵や画材が打ち捨てられている。読み終わった雑誌をそこらに置くような無造作さだった。

「すごいね……」

 マグカップをちゃぶ台に置いて、床に置かれた絵をひとつずつ見ていく。どれも緑を基調とした長閑な田園風景だった。「あんな田舎には絶対帰らない」と言っていた将斗の意外な一面を見た気がした。

「どれも同じで飽きるだろ」

 すぐうしろに立っていた将斗が自嘲気味に言う。望は首を振る。

「ううん。ひとつずつ違って、あったかい感じがする」
「まあこの辺は……最近のやつかな」
作品名:欠けた満月の日 作家名:わたなべめぐみ