ジャスティスへのレクイエム(第2部)
「ギャップというのはプロセスであって、ジレンマは結果だと私は思っています。ギャップはまわりから見えるものではないですが、ジレンマは結果として現れるものだと思うと、他人からも見えるんじゃないかって感じるんですよ。ただ、ジレンマが見えたとしても、その正体が分かるわけではないでしょうけどね」
「科学者のジレンマって何なんでしょうね?」
「狭義の意味でも、広義の意味でも存在していると思います。狭義の意味では自分の研究の中で研究結果と自分の想像とがかけ離れている時、つまりは直接ギャップから生まれたものですね。でも広義の意味で捉えれば、現在抱えている研究に結果が出た後に、次の研究までの間に陥ってしまう脱力感があるんですが、それを私はジレンマだって思っています。一種の鬱状態のようなものだと思っていますが、そんな時は誰とも会いたいとは思わないし、何をやっても煩わしいと思うようになるんですよ」
それを聞いたシュルツ長官は、
「なるほど、科学者や研究者を堅物のように感じている人がいますが、このジレンマだけを見て、科学者が堅物だと感じているのかも知れませんね」
「ええ、私もそう思います。でも、このジレンマは科学者だけにあるものではないと思っています。政治家であっても、実業家であっても、同じことではないかと思っています」
と、ニコライは言った。
「ニコライさんは、それを悩みとして感じたことはありますか? 研究者としてまわりからの目を気にされているんでしょうか?」
というシュルツに対して、
「もちろん、まわりの目が気にならないわけではないですが、研究に差し障りがあることはありません。もっとも、そんなことをいちいち気にしていては、研究なんかできませんからね」
とニコライは答えた。
「それはそうでしょうね。我々政治家も一緒です。特に上に立つものは、いちいち気にしていては何もできなくなってしまいますからね。何しろ我々が決めた法律や規則というのは、万人が満足のいくものなんてことはありえないんですよ。そんなものを作れるのであれば、いちいち閣議に掛けたりしません。しかも、万人が満足いくようなものが作れる世界というのは、皆が同じ考えということで、まるで洗脳された世界にいるようで、血が通っていないロボットの世界のようじゃありませんか」
シュルツは普段ここまで自分の気持ちを曝け出した話をすることはなかった。
一番気心が知れているのはチャールズだが、チャールズとは何事にも劣ることのない絶対的な主従の関係が伴っている。気心が知れながらも絶対的な相手に対して、本音を言えるわけなどないではないか。
「ロボットのような世界ですか……。私たち科学者は、心のどこかにロボット開発という夢を持っています。表に出すことはないですが、たぶん、ロボット開発を考えたことのない科学者はいないと思いますよ」
とニコライが答えた。
「ロボット開発こそ、ジレンマですよね。今の科学の研究で、共通して開発されている中にロボット開発は伴っていると思います。ロボットというのは、人間と同じ気持ちを持つことができるかどうかが一番の難点だと聞いたことがあります」
というシュルツに対して、
「ロボット開発こそが、実は一番のジレンマを抱えているものなんです。なぜならロボットは人間よりも頑丈で強いものですからね。しかも命令に対して銃実に守るという回路は持っていますが、人間の中にある柔軟な発想力や対応力はありませんからね」
とニコライは答えた。
そのニコライの表情が紅潮していることを看過したシュルツは、ニコライにさらなる興味を持ったようだ。
「ロボット開発にも造詣が深いんですか?」
ニコライは基本的に兵器研究に従事していたが、それ以外の研究にも興味がないわけではなかった。特にロボット関係には以前から興味を持っていた。その気持ちは子供の頃に見ていた特撮ものの影響が大きかった。ただ、その時の印象としては、
――ロボットって、怖いものなんだ――
というものだった。
子供の頃のニコライは、実は怖がりで、妖怪の話や死後の世界の話など、他の友達が話をしているのを聞いていないふりをして、聞き耳を立てていた。怖がりなくせに興味だけを持っているのはニコライだけに限ったことではないが、ニコライ本人は、
――こんな性格は僕だけなんだ――
と思い、萎縮してしまっていた。
これが、そもそも怖がりだと言えることでもあるのだろうが、そのことをニコライ少年に分かるはずもなかった。
大人になって科学者を目指すようになって、ある時急に気付くことになったのだが、怖がりな自分こそ、科学者に向いているかも知れないということを、その時一緒に感じていた。
科学者に最初になりたいと思ったのは、もっと単純な理由だった。
――他の人が目指さないものを目指したい――
という思いからで、本当は子供の頃に誰もが憧れたことで、大人になると簡単に諦めてしまうものを考えた時、最初に思い浮かんだのが、科学者だった。
「お前が科学者?」
学校で聞かれた時に、先生から言われた言葉だった。
「はい」
と胸を張って答えたニコライに、先生は失笑した。
それを見て、ニコライは自分を奮い立たせるというわけではなく、相手の浅はかな発想に軽蔑の念を込めてこちらも失笑した。
こんなやり取りはよく見る光景だが、先生側にはよくあることだが、ニコライの方の失笑は相手を見下す失笑で、他の人のように照れくささや、見下された目に対して萎縮した態度による失笑ではなかった。
ニコライはその時のことを思い出しながら、シュルツを前にしていた。
「ええ、ロボット開発は私が科学者になった時からの夢のようなものですからね」
というと、
「じゃあ、どうして兵器開発の専門家のようになったんです? ロボット開発をおおっぴらにしなかった理由は何かあるのかな?」
と聞かれて、
「ロボット工学というのは実に奥の深いものです。いろいろな研究の中からロボット開発のノウハウを取り入れるというのは大切なことだと思っています」
と答えた。
しかし、この答えは相手が素人の時の答え方で、本心から見ると、考え方はかけ離れていた。
「ロボット工学には、侵してはならない原則があると聞いたことがあります。もちろんご存じですよね?」
ロボットには三原則が存在し、その三原則こそがロボット工学の研究を難しくするのだが、逆に入口であることに変わりはない。その原則がなけれあ、ロボット工学などという発想は、そもそも存在しないものだった。
「ええ、知っていますよ。人間が考えた人間側を守るための原則ですよね。ただ、そこにはたくさんの矛盾が孕んでいて、前提として人間の役に立つものでなければロボットではないというものがあります。ただ、そのために、ロボットは人間を傷つけてはいけないという大前提がある。そして最後にロボットは誰からも守ってもらえないので、自分は自分で守るという原則が存在する。それが段階を経優先順位を明らかにしているにも関わらず、そこにはどうしても矛盾が伴ってしまう。これがロボット工学の発展を遅らせている大きな原因なんでしょうね」
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第2部) 作家名:森本晃次