ジャスティスへのレクイエム(第2部)
そういう意味では民主国家よりも立憲君主の国の方が、国民感情は先を進んでいると言えるのではないだろうか。
アレキサンダー国は、そんな背景から生まれた国家だ。そして、新アクアフリーズ国も同じで、元々の国家元首を追い出すことで自分たちが自由になれたと思っていた。
ただ、この場合の自由というのは民主国家でいうところの自由とは違うもので、主義理論の裏付けからつけられたものではなく、自分たちの力、つまりはクーデターによって獲得したものだという自負があった。
そういう意味では、アクアフリーズ国の国民は、シュルツやチャールズを嫌っていた。憎んでいたというところまではないが、自分たちで手に入れた自由を正当化するには、シュルツとチャールズを嫌うのが一番の効果だったのだ。
アクアフリーズ国がチャーリア国に侵攻するのは、自分たちが力で手に入れた自由を、確固たるものとするためのハードルの一つだと思っていた。
その思いを一番組んでいて、利用しようとしたのがアレキサンダー国だったのだ。
彼らは、自分たちと同じく、国家元首に反旗を翻して国家を独立させた。
その感情は自分たちと同じもので、民主主義への毛嫌いと、絶対君主による搾取にもいい加減ウンザリしていたこともあり、クーデターを起こした。しかも自分たちと同じタイミングで起こしたということは、アレキサンダー国に国家感情も近かったということだろう。
だから、アレキサンダー国としても、その深層心理までは分からないが、十分に自分たちが利用するだけの価値がアクアフリーズ国にはあると思ったのだ。
言葉巧みにいかにも自分たちが同志であるかのように誘い掛け、相手がその気になってきたところで、チャーリア国への先鋒を務めさせる。下手をすれば、アクアフリーズ国はアレキサンダー国の捨て石になりかねかなかった。
しかも、アクアフリーズ国軍とチャーリア軍とでは、同士討ちのようなものだ。お互いに手を緩めるかも知れない。アレキサンダー国としては、アクアフリーズ国にチャーリア軍を殲滅させてほしいなどと最初から期待しているわけではない。あくまでも先鋒としての役割を果たしてくれればそれでよかったのだ。
つまりは、時間稼ぎであった。
一番の理由は時間稼ぎだが、相手がアクアフリーズ国だということで、チャーリア国も怯むかも知れない。最初に戦意を喪失させるような心理的な戦法を取ることが、自軍に一切の被害のないうちに行われるということは、アレキサンダー国にとっては、これ以上の緒戦での成果はないだろう。
実際にチャーリア国では、
「まさか、先鋒を母国がしてくるとは思ってもみなかった」
と感じたことだろう。
アクアフリーズ国がどの段階で、アレキサンダー国側に立って宣戦してくるのは分かっていたが、それはアレキサンダー国が優勢に立った時だと思っていた。そういう意味でもまず最初に、
「アレキサンダー国の出鼻をくじいて、早い段階で講和に持ち込めるようにすることが大切だ」
ということで、作戦がいくつか練られていた。
それなのに、まさか最初に母国と相対することになるというのは、ショックであった。
ただ、アクアフリーズ国の最初の侵攻を想像していたのはシュルツだった。彼だけは他の人と違って、いろいろな可能性を考えるだけの頭があったということだろう。
しかし、他の軍首脳や政府首脳は、
「アクアフリーズ国もバカではないと思います。自分たちがアレキサンダー国に利用されているということは百も承知だと思うので、最初に攻めてくるようなリスクを負うことはないと思います」
と考えていた。
シュルツも、もちろんその考えが第一だったが、自分たちが国家を追われた時のことを思い出すと、アクアフリーズ国がどれほど自分たちを嫌っていたのかを分かっているつもりだった。
シュルツは、
「アクアフリーズ国ほど、民主国家を憎んでいる国もない」
と思っていたようだ。
アクアフリーズ国が、絶対王政の時代。一部の政治家が権力を握るなどということはなかった。権力は国王に集中していたからなのだが、国王に権力が集中していたとしても、そこから搾取があったというわけではない。
確かに封建制度のように、支配階級と支配される階級との間にケースバイケースの契約が成立していて、国家が国民の生活や生命を保障するという代わりに、国家財政や支配階級への朝貢は見返りだったのだ。
そこに搾取が存在すれば、クーデターがいつ起こっても仕方がないという考えが、代々の国王にはあり、
「国民を搾取してはいけない」
というのが、支配階級である国王一族の伝統だった。
アレキサンダー国は、確かにアクアフリーズ国の国民感情は分かっていた。しかし、その感情に同情したり、同志だとして国家協力をするという意識は毛頭なかった。
「利用するだけ利用する」
という、自分勝手な理論でアクアフリーズ国に近づいたのだ。
アクアフリーズ国が完全にアレキサンダー国を信用していたわけではない。そしてチャーリア国への侵攻も、完全なる敵として見ていたからではない。気持ちとしては中途半端であった。
どちらかというとアクアフリーズ国は、考え方はシュルツに近かった。だが、国家体制としては、あくまでも立憲君主ということで、アレキサンダー国に近い。どこから見てもアクアフリーズ国はアレキサンダー国とは同盟国であるかのように見えたであろう。
当然、いくつかの条約は結ばれていて、その中には軍事協定も存在する。積極的に近づいてきたのはアレキサンダー国で、口では当たり前のことを当たり前に言っているだけなのだが、アクアフリーズ国にはそれが新鮮に感じた。
それまでが絶対王政で、国家について考えるなどなかった政府高官であったり軍の幕僚たちにとって、自らクーデターをたくらんで実行したアレキサンダー国の言葉は、手探り状態だったアクアフリーズ国にとっては、道しるべのようなものだった。
「憲法の成立には我々も協力しますよ」
と、アクアフリーズ国にとって、クーデター成立後の政府にとっての一番の難関は、立憲君主国として絶対不可欠な憲法の制定だった。
絶対王制を敷いている国など、当時であっても、世界的には数少なかった。未開地の小国や、逆に地下資源が豊富で、裕福な国家は王政を敷いていることが多かったが、そんな国は独立を考えることはなかった。世界の列強と渡り合えるような国で、他国と同じように世界に進出していかなければ生き残れないような国での王政というのは、あまり例のあるものではなかったのだ。
そんな国家が成立できたのは、歴代の国王が優秀だったことと、シュルツのような参謀が、歴代優秀だったことが一番の理由だろう。他の国からも、
「アクアフリーズ王国は、攻め込むよりも、いかに同盟を結んでこちらの陣営に入れるかがカギになる」
として、独立国家としてのメンツを保たさせてくれる状態のまま、一国家として同盟を結びたい国というのは、時代が変わっても、減ることはなかった。
アクアフリーズ国は立憲君主国として生まれ変わったが、今の国家元首は国民に選ばれた大統領である。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第2部) 作家名:森本晃次