ジャスティスへのレクイエム(第2部)
したがって、国会には多数決で大統領、首相、それぞれに弾劾を言い渡す権利を有していた。
それでも国会、行政である内閣、最高裁判所を司る司法のそれぞれを総括しているのは大統領であった。
また大統領は直接軍を統帥していた。軍は政府が動かしているわけではなく、大統領令がなければ動くことはできない。
政府が決定したことで、大統領の聖断を仰がなければいけないことが発生した場合は、御前会議が開かれる。たとえば他国との条約締結であったり、宣戦布告や戦時体制への移行などの非常事態であれば、そこは政府が大統領の聖断を仰ぐ必要があった。
この場合、大統領が勝手に大統領令を発するわけにはいかない。宣戦布告にしても、条約締結にしても、国会や政府の容認があっての大統領裁可になるのだ。それもしっかりと憲法に記されていた。
もし、この仕組みがなければ、今までの絶対王政の時代と何ら変わりのないものとなってしまう。確かに大統領にはかなりの権力が与えられているのだが万能ではないということだ。
国際社会の中には立憲君主の国はまだまだあった。また大統領と首相の両方がいる国もたくさん存在する。
しかし、アクアフリーズ国の場合は独特だった。今までにある立憲君主国の内情や歴史を調べたうえで決められた憲法である。ただ、国家としての建前を早急に示す必要があった。その理由は自分たちがクーデター政権だということだった。
そのため、中途半端な憲法になってしまったかも知れないという思いは、憲法草案に携わった人々の中にくすぶっている思いだった。
「なぜ立憲君主国として成立させたんですか? 国民が主権の民主主義でもよかったのでは?」
という疑問は国民の間で結構な人が思っているようだ。
しかも、政府内でも同じことを思っている人もいる。実際にこの国は君主国ではあるが、国民の自由はある程度認められている。その自由の度合いに関していえば、民主主義国と個人の自由では変わらないかも知れない。
ただ、それは表から見えることであって、実際には結構制約があった。実際に国民として生活してみなければ分からないことだが、国民はそこまで不自由には思っていないようだ。
ここの政府も国民も、民主主義には疑問を抱いていた。そういう意味では立憲君主というのも悪くはないと思いながらも、それとは別に民主主義にしなかったことを不思議に思っているのだ。
民主主義というと、自由だという発想が大きく感じられる。主権は国民にあり、自由に発言もできて、就職もできる。結婚も自由にできて、差別がないかのような錯覚を与えるものであった。
「だから、他の君主国は革命を起こせば民主化を訴えるんだ」
と思っていたが、アクアフリーズ国の国民は、もう少し冷めた目で見ていた。
ただ、それも絶対王政の時代に、民主主義の悪いところを教育の中で行っていたからであって、そんなプロパガンダが存在したのが絶対王政の時代だった。
君主が国王で、私法は他の国と同じように存在していたが、肝心の憲法が存在していなかった国だから当然と言えるだろう。
民主主義というと、まず思い浮かぶのは、
「多数決による決議」
というものだった。
多数決というと聞こえがいいが、それでは少数派の意見というのはどうなってしまうのだろう? あまりにも簡単に決定してしまうと、少数派の意見は忘れられてしまうと思うであろう。だが、多数決で決まった多数派は、
「決を採る前に、十分な話し合いがもたれているから、多数派が勝ったんだ。正当な手続きの上に成り立っているんだから、誰にも文句は言わせない」
というだろう。
確かに多数派の言う通り正当な手続きであろう。しかも十分な話し合いというのも本当のことなのかも知れない。だが、いったん決してしまうと、少数派の意見は握りつぶされたわけで、結果として負けたのであれば、それは忘れられても仕方のないこと。本当は覚えておかなければいけないことだったのかも知れない。教訓として忘れてはいけないことなのかも知れない。そのことを多数決は多数派の言い訳とともに、正当性の中に覆い隠してしまうのだ。
つまりは、
――臭いものには蓋をする――
という理論であった。
民主主義の国の中には多数決は、子供たちの間でもお決まりになり、じゃんけんで数の多い方が勝ったとしても、それも正当な多数決の結果と認識されるようになった。
「じゃんけんが正当な多数決だなんて」
アクアフリーズ国の国民は、誰もがその発想を信じられないと思っていた。民主主義であるその国も、今から数十年前にはじゃんけんで決めたことを正当化する風潮なんてなかったはずであった。
「じゃんけんは、話し合いで決しなかった場合の最後の手段」
と考えられていたが、今の民主主義は、時間の短縮を視野に入れている国も多く、
「じゃんけんも致し方ない」
と思われるようになった。
時間の短縮が民主主義の常とう手段として頭角を現し始めたのは、次の発想が民主主義の弊害として現れ始めたからだった。その発想が、
「貧富の差」
だったのだ。
貧富の差の原因となったのは、自由だった。
自由という言葉は聞こえはいいが、その言葉の後ろに競争という言葉が付けば、もっとリアルなものとなる。これは多数決と同じ発想になるのだが、二つに分類できるものとして、
「多数派と少数派」
と、さらに、
「強者と弱者」
とがあるだろう。
多数派と少数派の決着は多数決でつけるのが民主主義だが、自由競争では法律として縛りとなるものは存在しても、あくまでも原則は自由競争、したがって強者が勝つというのは当然の摂理であり、生き残るために強者同士が談合し、さらなる強者を生み出すことで弱者は切り捨てられる。その中で強者同士で甘い汁を吸いたいがための忖度や秘密会合が持たれたりして、弱肉強食の時代が訪れる。
確かに自由競争というと聞こえはいい。法律にのっとった中での競争という言葉にはなっているが、それも形ばかりである。結局は一部の政治家や財閥、勝ち組が生き残るという図式に変わりはないのだ。
それが民主主義の限界であり、限界を感じた民族は、強力な指導者の存在を待ちわびることになる。
元々絶対王政の国が民主化を目指して独立した国も少なくはなかったが、立憲君主の国へと変貌を遂げた国も少なくない。前者は植民地であり、宗主国の支配の下に生存していた国が独立する場合が多かった。
しかし、立憲君主国となった後者は、植民地だったわけではなく、クーデターによって国家を変貌させた国である。そのほとんどは軍事政権を立てて軍政を敷いた中で、国家元首に憲法の下で、強力な権力を与えることにした。
もちろん、国民の選挙によって選ばれた国家元首であり、それは憲法に記された原則でもあった。国家による支配力は強くなるが、それでも民主国家よりもよほどいいと思っている民族によるクーデターだった。
民主国家の人にはクーデターで成立した立憲君主国の考えは理解できない。しかし、立憲君主国の人には民主主義を受け入れることはできないが、理解しているつもりだった。
「理解しているが納得できない」
それが民主国家であった。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第2部) 作家名:森本晃次