短編集57(過去作品)
事務所を閉めて表に出た。幸いにも同じフロアの他の会社の電気がついていることで、恐怖は事務所を閉めた時点で解消された。ここから先はいつもの帰宅と同じであった。
駅まで歩いて十五分、国道の歩道を一直線に歩けば駅まで行ける。途中に児童公園があって、ビルの谷間の夜の公園は不気味なものがあった。駅までの道のりで唯一気味の悪い場所だった。
そこは、まだ新入社員の頃、同じ部署への配属は誰もいなかったこともあって、昼食はいつも一人で摂っていた。会社の近くにある喫茶店や食堂は、昼はいつもいっぱいで、入店するのも億劫だった。それで、コンビニで弁当を買って、公園に出かけて食べていたものだ。
――なんか情けないな――
と思いながらではあったが、それも同じようなサラリーマンの姿を見ているからだった。きっとまわりからも自分を見ながら、
――なんか情けないな――
と感じていると思うと、急におかしくなって、情けなさが自然と消えていくのだった。
公園を抜けて駅まで到着すると、普段よりも賑やかだった。いつもよりも人も多く、ネオンサインも煌びやかに感じた。ネオンサインが煌びやかなので、人が多いと感じたのであろう。逆の発想が余計に大げさに見せたのかも知れない。
空気が乾燥しているのが分かった。煌びやかなネオンサインを見ていると、田舎での星空を思い出す。
「空気が乾燥しているから、星が瞬いて見えるんだよ」
と、おじいさんに教えてもらった。スモッグや公害が社会問題になっている都会に比べれば、田舎の空気は実に澄んでいる。
風の冷たさを先ほどよりも余計に感じる。大通りや公園と違い、駅前はビルが密集していて、しかもネオンサインがまるで眠らぬ街をイメージしているかのように煌びやかな中で、感じる風の冷たさ、
――明るいと暖かいものだ――
という先入観に支配されているからに違いないが、その思いが強いと、風の冷たさをまともに感じるのだろう。
賑やかすぎて、疲れた身体には毒に見える。定時に終わって遊んでいるのとでは訳が違い、こちらは仕事をしてきたのだという意識がある。急いで駅のコンコースへと入った。
コンコースにもホームにも人が普段よりも多く感じられた。忘年会時期だということは分かっていたが、ホームから見る街のネオンサインや、電飾に彩られたクリスマスイルミネーションが、いよいよ冬の到来を告げている。
電車に乗ってから後は、疲れがどっと出て、気がつけば部屋に帰り着いていた。これもいつものことだったが、部屋に帰り着くと汗を掻いている。掻いた汗が気持ち悪くてシャワーを浴びるが、シャワーが終わってベッドに横になると、本を読みたくなる。
疲れているのに、目が冴えてすぐには寝付けない。これも毎日のことで、本はその時々で読むのが違っているが、あまり難しい本は読まないようにしている。
最近ではミステリーが多い。旅行が好きなので、トラベルミステリーを読んでいる。一ヶ月前くらいから読み始めた作家の本を気に入ってしまい、昼休みに本屋に寄っては、その作家の本を物色していた。
本棚には、何列にもその作家の本があり、フェアーが組めるほどの執筆量である。一週間に一回本屋に寄るので、三冊くらい買いだめしておくようにしていた。
読みやすい内容で、最後まで読んでしまわないと気が済まない衝動に駆られるのを、必死に堪えながら眠るのは、最初嫌だったが、途中からそれも快感になってきた。どちらかというと性格的に急いてしまう方なので、ゆっくりした気分になれるのに読書はうってつけだった。
最初は恋愛小説を読もうと、何冊か読んでみた。
だが、恋愛小説はどうやら自分に合わないことに気がついた。青春小説のような恋愛を思い浮かべていたが、実際の恋愛小説はそんな甘いものではなく、不倫、浮気、性欲といったキーワードが男女の間で繰り広げられ、主人公がまわりのキーワードに惑わされながら自分を見つけていくというものが多かった。
「これって、経験者が読む分にはいいけど、経験のない人間にはドロドロしたものにしか見えず、あまり気持ちのいいものではないな」
と感じた。要するに重たいのだ。
それから読書をするには、軽い内容の小説がいい。
ドラマでいうなら、昼の奥様ドラマよりも、ゴールデンタイムの二時間枠のサスペンスドラマの方がいいという感じである。
サスペンスドラマは、サスペンスや殺人事件という背景の中に、旅先やその土地の文化芸能を織り込んで、人情を感じさせる内容のものが多い。本当のミステリーファンには物足りないかも知れないが、あまり考え込まずに見ることができるという点でいいのだろう。
読書は、だいたい一時間くらいであろうか。その間にかなり読めてしまう。
しかし、やはり急いてしまう性格が残っているせいか、少しずつストーリーに慣れてくると先を読みたい一心で、セリフばかりを拾い読みしてしまうことがある。それでも情景が浮かんでくるような小説がミステリーには多く、中にはセリフが多いのもあったりする。それだけに一日一時間でも、二日か三日で一冊読めてしまうのだった。
別にノルマを決めているわけではないが、だいたいの量を読むと眠くなるが、それが時間的にもページ的にもいつも同じである。
それはどんなに疲れている時でも、少々体力に余裕がある時でも同じである。
部屋の電気を豆電球にして、枕元に置いてあるスタンドの明かりで本を読んでいる。決して目にいいわけではない。それでも横になってしまうと、身体を起こすのがきついので、どうしても枕元の明かりに頼ってしまう。
そろそろ寝る時間だと思うと、あくびが絶えない。一度あくびをしてしまうと、堰を切ったようにあくびが漏れてくる。本を枕元に無造作に置くと、後は電気を消して目を瞑るだけだった。
睡魔は一気にやってくる。
その日によっての身体の角度が決まっているが、目を瞑って真っ暗な部屋で身体を何度か傾けると、その日の角度が決まってくる。
――今日は仰向けか――
と感じるとともに、眠りに就いてくるのが分かった。
眠りに就くまでが分かる時と分からない時がある。それは疲れ方の度合いで分かるのだ。あまり疲れていない時は、眠りに就くまでの過程が大体理解できている。かなり疲れている時は、
「気がつけば起きた」
と言ってもいいくらいに、熟睡している。しかし、そんな中でも、眠ってしまう瞬間だけが分かる時があるのだ。笑い話のようだが、
「自分のいびきに驚いて、寝つきが邪魔された」
という時がある。疲れているに違いないのだが、そんな時は何か心配事がある時だった。
また寝るのがもったいないと思う時もある。寝てしまって、夢を見るのが怖いと感じる時もある。その時々の精神状態によって、眠りに就く瞬間もさまざまだ。
起きる時も同じである。
普段、精神的に辛い時に、一番楽しいのは、寝る前であり、一番苦しいのは起きた時でもあった。夢と現実の狭間で襲ってくる睡魔に何も考えることなく身を委ねられる時が一番幸せなのかも知れない。
本を読んでいて眠くなるのも、自然に襲ってくる睡魔と同じものだと思っている。本を読んで眠くなるのも、生理現象に似たものだと思っているからだ。
作品名:短編集57(過去作品) 作家名:森本晃次