短編集57(過去作品)
雑学の本を読んで、ウンチクを勉強してみたこともあったが、いざ女の子に話しかけて見ると、相手が興味を持って聞いてくれることはない。話の内容が面白くないのか、それとも話術がぎこちないのか、その時は分からなかった。
後から考えてみると、どちらもあっただろう。いくら話が面白くとも、話術が伴わないこともあっただろうし、話術がうまくなっても話がぎこちなかったりすると、相手は困惑してしまう。困惑すれば不安になり、場の雰囲気が悪くなれば、息苦しくなってしまうのは必至である。
三十歳近くになるまで数人の女性と付き合ってきたが、彼女たちのタイプは違っていた。いつも相手からふられるばかりで、自分からさよならをしたことはなかった。自分からさよならをする方が精神的にきついのが本能的に分かっていたからかも知れない。中には別れたいと思っていても、
――相手から言ってくれないかな――
と思っていたことがあるのも事実である。
最初に好きになった女性、それは小学生の頃に同じクラスだった女の子である。
まだ女性というものを意識し始める前だったが、どこか一緒にいると心が休まって、今でいう「癒し」に当たる気分にさせてくれた。暖かい風に乗って、花粉のほのかな香りが漂ってくるようなそんな気分になれたのだ。
女性への興味が出てきたのは中学に入ってからだった。
真面目な生徒だった敏行は、不良と目されていた連中から、聞きたくもないのに、卑猥な話を聞かされたものだった。授業中、先生の目を盗んで耳元でいやらしい話をささやかれると、心の中では、
「聞きたくない」
と思っていても、身体が反応してしまう。それを見ながら不良たちは楽しんでいるのだ。
「お前、勃起してるんじゃないのか?」
などと囁かれると、恥ずかしさで顔を上げられなくなる。真っ赤な顔を見られたくないからだ。それを見ながらほくそえんでいる連中のいやらしさが、さらに自分を苛めているのを感じると、自分が許せなくなってくる。それほど、真面目な少年だったのだ。
だが、聞きたくなくとも耳に入ってくると気になってくる。寝ても覚めても、エッチなことが頭から離れなくなると、身体が勝手に反応するのも成長期には仕方のないことだろう。
自分をそんな風に変えてしまったのは、悪友だと思えば、却って自己嫌悪も少なかったのかも知れない。確かに自己嫌悪に悩んだ時期もあったが、自分の身体が反応するのは、余計なことを教えた友達のせいにできるので、余計に抑えが利かなくなっていた。
しかし、身体の反応と、彼女がほしいと感じたこととは、同じ感情の中にあるものではなかった。
彼女がほしいと感じてきたのは、やはり寂しさからではなかっただろうか。身体が欲するのは寂しさからというよりも本能によるものが大きい。それでも中学生くらいだと、寂しさもそれほど深刻なものではない。ただ、友達が女性を連れて歩いているのを見ていると、羨ましく感じる。そこから始まったのかも知れない。
元々が寂しさに慣れていた。友達も多い方ではなく、却って集団の中にいると、その他大勢になることを嫌っていた。どうしても目立ちたいという気持ちが強いから、表から見ている集団は、狭く感じられてしまう。だから、寂しくとも集団に入るよりもマシだと思うようになっていた。
最初に彼女がほしいと思ってから寂しさが解消されることはなかった。彼女がほしいと思う感覚は、寂しさからなのだろうが、もし彼女ができたとしても、それは本当に寂しさが解消されたことにはならないのではないかと思うようになっていった。
寂しさが定期的にやってくるのを感じるようになってから、彼女がほしいと感じるのも定期的なものだということが分かってきたのだ。
人恋しさというのが、彼女がほしいという思いからと、寂しさから来る時とさまざまである。人恋しさは女性に対してであるが、次第にその間隔が短くなってくるのを感じていた。
高校になる頃には、寂しさから、そして彼女がほしいという思いが交錯し、どちらの重いからなのか自分でも分からなくなってしまった時期があった。そんな時期に人と知り合えるはずもなく、中途半端な気持ちでどこかを彷徨っているような感じになっていた。
高校に入ると初めて彼女ができた。
真面目だけがとりえだと思っていた敏行にふさわしい彼女であった。
「私みたいに面白くない女性で本当にいいの?」
と言っていたが、
「僕だって、真面目だけがとりえのようなものですからね」
他の人の前では恥ずかしくて「真面目」などという言葉をいえないが、それがいえる相手だったのだ。
彼女も、
「私も真面目なだけがとりえなのよ」
と言ってはにかんでいたが、その表情に少し違和感があったのを見逃さなかった。だが、それが何を意味するのかまではまったく分からなかった。
彼女には、実はもう一人気になる男性がいたようだ。むしろ、その人の方が気になっていたようで、時々虚ろな視線を見せていた。そんなことは分からなかったので、敏行は却ってそんな虚ろな表情に新鮮さを感じていた。
相手の男に対して、彼女は敏行に対する感情とまったく違うものを持っていた。淫靡なイメージを感じる男性に対して、自分もなるべく淫靡になりたいと思っていたようである。
はっきり言って、彼女は二重人格だった。それは敏行にも言えることで、それはお互い様だったのだが、ハッキリと違っているのは、敏行は一人が決まれば、まわりを見なくなるという性格であるということだ。それが真面目の真面目たるゆえんである。
彼女も敏行に対しては真面目だった。
真面目というよりも何も知らないという雰囲気を前面に押し出していて、それに対して敏行が彼女のために雰囲気作りをしているという感じになっていただろう。
女性のために自分から行動するのが恋人同士だと思っていたので、違和感などなかった。むしろ、話題性を豊富にするために雑学の本を読んだりする時間が貴重で、贅沢に思えていた。
一つの楽しい時間を有意義に過ごすための準備に使う時間を、敏行は贅沢な時間だと思っている。それが趣味であったり、自分の嗜好にあった時間であれば最高であった。相手のために使うだけではなく、自分のためになる時間。これを贅沢といわず、いつ贅沢をいうのであろう。そんなことを考えていた。
彼女の心の中にもう一人の男性がいることに気付いたのはいつだっただろう。付き合い始めてしばらくしてからだった。
――僕って、鈍感なんだよね――
と感じたくらいだったので、かなりの間気付かないでいた。
しかし、不思議と嫉妬はなかった。それまでは、好きな女性が他の男性に靡いたりしたら、きっと嫉妬に狂うかも知れないと思っていただけに、少し拍子抜けしたようだった。
だが、実際に好きだと思っている人の心が他人にあると思った時、怒りがこみ上げてくるのを感じたが、ある一時を境に、急激に冷めていく気持ちもあった。
――覚めていくわけではなく、冷めていく――
そんな感覚だった。
冷めていくのであれば、まだ気持ちはある。しかし、それが覚めてしまえば、気持ちがなくなってきた証拠かも知れない。
「覚めたという感覚はなかったな」
作品名:短編集57(過去作品) 作家名:森本晃次