短編集57(過去作品)
「ああ、せっかく頑張ろうと考えて入ったんだけどね」
「もう少し頑張ればいいのに」
「ごめん、やっぱり集団には似合わないんだね」
悲しそうな表情が印象的だったが、それ以上の言葉が浮かんでこない。浮かんでこない時点で、
――やはり集団には似合わないんだ――
と感じた。しばらくすると、その女の子も雅夫の後を追うように退部してしまった。
雅夫は、しばらく一人で行動していたが、気がつけばその女の子は、そんな雅夫を近くから見ていた。しかし、決して姿を現すこともなかったが、雅夫が一人で絵を描いているところを横から見ていて、その表情を彼女は絵にしていた。その作品を出展し、彼女は入選を果たしたのだが、それからは、彼女が雅夫に興味を示すことはなかった。結果として、彼女にとって、雅夫は被写体でしかなかったのだ。
最初は、彼女の中に雅夫に対して恋心のようなものがあったことは否定できないだろう。しかし、自分の作品が評価され、自分の実力に芽生えた彼女から見て、雅夫に魅力が感じられなくなったようだ。
――女なんて、所詮そんなものさ――
雅夫はそう感じたが、嫉妬があったことは自分でも分かっている。一人でコツコツとこなしている姿を勝手に作品にされた悔しさよりも、そのことに気付かなかった自分に対しても悔しかった。
だが、自分に興味のあった女性が名声を手に入れたことで、すっかり変わってしまったことは確かにショックだった。
――少しは彼女のことが気になっていた証拠ではないか――
そのことに気付かなかったことも悔しい。芸術という意味でも、男としても二つ大切なものを失ったように思えてならなかった。
しかし、だからといって自分の性格を変えられるものではない。あくまでも自分は自分、人と集団行動ができるタイプではないし、したいとも思わない。
大学に入ると、しばらく人との交流もあったが、一人でコツコツとすることの素晴らしさを却って再認識した結果になった。
サークルには所属していたが、幽霊部員のような感じで、気が向いた時に現れる。ほとんどの部員がそうであったが、不思議なことに、そんな部員たちの方が、高校の頃の部活に比べれば、数段素晴らしい作品が集まってきていた。
――皆同じような感覚でいるのかも知れないな――
そう感じたのは、人物画を描く人が多かったからである。
それぞれにその人の特徴を描いていた。被写体がまったく知らない人であっても、作品を見ているだけで、どんな人なのか想像が付きそうであった。有名な画家の人物画にしてもそうであるが、見ていて人物像が見えてくるのは、素晴らしい作品だからであろう。
中には自分の肖像画を書いている人もいる。
――自画像は描けないな――
雅夫にとって、自画像は永遠のテーマだった。自分のことは自分が一番分かっているくせに、いざ自分を描こうとすると、これほど難しいことはない。
――描いているうちに、女性っぽくなってくるんだもんな――
と感じ、描くのをやめてしまってから、描いたことはない。
あれは、まだ高校の部活に所属していた頃だった。
しかし、雅夫の肖像画を描いてコンクールに入選した作品を見ると、雅夫が自分に感じたものとあまり似ていないように思える。女性っぽいところなどどこにもなく、男らしさが滲み出ている。だからこそ入選したのかも知れないと感じるほどだ。
しかし、作品には他の男性にない何かがあった。違和感のようなものを感じるが、それは雅夫が自分だと思って見ているからである。
――自分のようで自分でない――
人から見ると、自分で感じているのとはまた違ったイメージになってしまうものなのかも知れない。
もっとよく肖像画を見てみる。
その顔を見ていると、次第に心臓がドキドキしてくる。何かときめきのようなものを感じるのだ。
――人を惹きつける何かがこの作品にはあるのだろうか――
自分ではないような気持ちは次第に強くなってくる。
しかも作品を見ていると、自分が作品の男性に惚れてくるように思えてならない。
――これは自分なんだ――
という思いが強くなればなるほど、作品から目が離せなくなり、その原因が、男性としての魅力に取り付かれている自分にあることに気付かされる。
確かにこの作品は女性に評価が高いようだった。男性から見るとどこがいいのか分からないようだが、女性の大多数は、この作品に引き込まれるものがあるという話を聞かされていた。
――自分で自分に惚れるなんて――
その感覚は明らかに、女性が男性に抱くものだった。男性の自分にどうしてそんな感情が湧いてくるのか分からなかったが、そう考えると、作者である彼女が雅夫に興味をなくした理由がおぼろげながら分かってきた。
彼女は決して作品を作り上げることで雅夫に興味を失ったわけではない。
「私、自分で言うのも何なんだけど、この作品を素晴らしいと思うの。でも、そう感じれば感じるほど、切なさや虚しさを感じるようになるの。どうしてなのかしらね」
と話しているようだった。
「作品を作り上げたことで、虚脱感のようなものがあるんじゃないの? 結構根をつめて作ったんでしょう?」
「ええ、確かに集中して仕上げたんだけど、こんな作品を作り上げるつもりじゃなかったはずなんだけど、できてしまうと作品の素晴らしさを見ていて、次第に自分が作ってしまった作品が、自分の意志に反していることに気がついてきたようなのよ。何かが違っているというのかな? こんなつもりじゃなかったのにって感じたの」
「よく分からないわ」
「素晴らしい作品を得た代わりに、何か大切なものを失ってしまったように思うの。女性として大切な気持ちというべきなのかも知れないわ」
「あなた、彼を愛していたの?」
「そうかも知れない。でも、今はそれがどんな気持ちだったか分からないの。作品が出来上がってしまってすぐに忘れてしまったのよ」
「確かに彼は、どこかが変わったように思えるわね」
「ええ……」
こんな話があったことは、当然雅夫の知る由ではない。影でどんな話が行われていようと、雅夫にとって、出来上がってしまった作品から少なからず野影響を受けることは紛れもない事実だった。
大学を卒業し、就職してからも、時々、その作品のことは思い出していた。
特に一人で鏡を見た時など、嫌でも思い出すことがあった。
――なるべく鏡を見ないようにしよう――
と思うのだが、ネクタイの角度など、社会人としての身だしなみを考えると、なかなかそうも行かなかった。
それでも意識が強かったのは最初のうちだけで、次第にそれほど気にならなくなっていた。
――性格的に楽天的なのかな――
あまり細かいことを気にしない代わりに、一つ気になることがあれば尾を引く雅夫だった。今回がその例に漏れることはなかったが、社会人になって生活が一変してしまったことが幸か不幸か、あまり意識させることはなくなっていたようだ。
その頃になって、
――俺は女性っぽいところがあるんだ――
という思いが強くなってきた。
強くなってくると、作品のことがわだかまりとして残らなくなっていたのだ。
作品名:短編集57(過去作品) 作家名:森本晃次