短編集57(過去作品)
そんな話はなぜか本人である雅夫に伝わってきた。頭をかしげながらも意識していた雅夫も、
――やはりおねえさんと知り合ったことで、かなり自分が変わったのかも知れないな――
本来であれば、男らしい男がもてるはずなので、そんな男性を目指したいと思うのだろうが、母性本能をくすぐるタイプでも悪くないと思うようになっていた。どこか釈然としないところもあるのだが、自分の中で納得できないこととしてハッキリと分かっているわけではないので、それはそれで別に悪いことではないように思えた。
雅夫を意識している女性のほとんどは、大人しい女性たちである。性格がハッキリしている女性はむしろ雅夫のことを毛嫌いしているタイプの女性が多いようだった。
雅夫も女性に対して、
「誰でもいい」
という感覚があるわけではない。
まずは、相手に好かれていることが前提条件で、好かれていなければ自分から好きになることはないというのが、雅夫の考えだ。
――やはり自分から相手を好きにさせるほどの積極性がないんだ――
と思う反面、
――相手がこちらを好きでいてくれれば、相手の目から気持ちを感じることができるので、こちらの気持ちも伝えやすい――
と考えていた。
これも理屈っぽい考えであるが、それよりも男女の関係は、気持ちを分かり合えることが最優先だという考えでいるからだと思っている。
きっと、その考えは雅夫以外にもたくさんの人が感じているに違いない。だが、成長期であるがゆえに、まずは身体が反応してしまって、視覚に訴えてみたり、嗅覚の刺激を求めたりする。身体の反応を求めてしまうことは本能なので仕方がないが、その感覚は小学生の頃のおねえさんで雅夫は感じていたことだった。
雅夫は小学生の頃は背が高い部類にいたのだが、中学に入ると、背の高さが目立たなくなっていた。それだけまわりの男の成長が急激で、雅夫が成長していないわけではないのに、成長していないように見えてしまうほどであった。
――やっとまわりが追いついてきたのかな――
身体だけが成長してしまっていたのかも知れない。精神的には冷めたような考えになってはいるが、他の男の子たちとさほど変わらないように思える。ただ、自分から積極的になることがないだけで、そこは他の男の子たちとは違っていた。
小学生の頃と違って、男女ともにそれぞれの集団ができていた。自分の性格や趣味のようなものが次第に分かってきたのか、それとも引き合う何かがあるのか分からないが、明らかに集団の中での意識が強くなっている。
集団の中に属することを雅夫は嫌った。
どの集団が自分に合うのか分からないという気持ちもあるが、それよりも集団に属すること自体が嫌であった。
集団というのはまわりから見ていればたとえリーダーであってもその他大勢であっても、個人でいるよりも目立たないように思えるからだ。
――目立ちたがりなんだろうか――
と考えたが、決して雅夫は目立ちたがりではない。ただ、集団に埋もれることだけは嫌だった。
集団に埋もれるということは、自分の個性を押し殺さなければならない。
「入ってしまえばその中で自分の個性を出せばいいのさ」
という声も聞こえてきそうだが、表から見ている分には、個性が見えてこない。それなら一人でいる方がマシに見える。
確かに集団というのも一つの世界には違いない。何かの共通点があって形成されている集団なのだろうが、同じ性格の人というのはまずいないだろう。何かの共通点で結びついていて、性格まで似ているというのは、むしろ無理があるのではないだろうか。そう考えれば集団がうまく構成されていくには、それぞれがそれぞれの役目を持っていて、それを実践するのが一番なのだろう。
雅夫は、自分を分かりきれていない。分かりきれていない人が下手に集団に属するのは怖いと感じた。だが、集団ができるのも怖さを和らげたい一心で出来上がるものかも知れないという考えがある。少し納得のできない考えではあったが、仕方がないことだと感じていた。雅夫の中で矛盾した考えとして残っていたかも知れない。
「一匹狼って恰好いいけど、俺にはできないな」
という友達もいた。
一匹狼でいる人は、とかく周りから疎まれるように見えるらしい。だが、雅夫に限ってはまわりから疎まれている様子はなかった。どこの集団にも属さない人は雅夫だけではなく他にもいたが、彼らは集団から苛めを受けていたりしていたようだ。
苛めは見ていて気持ちのいいものではないが、かかわろうとは思わない。それは他人事として片付けようという意識ではなく、自分も本当は集団に属していない他の連中を心の底で疎ましく思っているのではないかと感じるからだった。自分の手を下すことなく制裁を加えてくれるなら、それでいいという考えであった。
卑怯かも知れないが、雅夫にはどうすることもできない。むしろ自分の安泰が大切だった。
中学時代、雅夫の中に他の人にはない強い考えがあったようだ。
男性っぽい考えを強く持っているように思っていた。
何が男性っぽいのかは一口には言えないが、集団に属さない考え方自体が男性っぽいところでもあった。
「個性を持つこと」
個性というのは表にアピールするものでなければならないわけではないが、個性的であることを自負したい思いはいつでもあった。それが趣味の世界でも思想でも、どちらでも構わないが、人に冒されることのないものであって、自分の中で尊重できる考え方、それを男性っぽさとして認識していた。
「わがままなのかも知れないな」
とも感じたが。自分の個性を持つことに対して少なからずの犠牲は仕方がないと考えた。わがままだと自分で思わないようにすればそれでいいことだった。
芸術的な考えが雅夫には芽生えていた。
個性という言葉を意識してから、個性が芸術と密接に繋がっていると思うようになっていった。
「芸術も個人でコツコツとこなすこと」
そこに他人が土足で立ち入ることは絶対に許されないものである。逆に言えば、芸術は何者にも対抗できるその人の中にある本能であるはずであった。
「それを感性というんだ」
ということに気付いたのは、高校に入ってからだ。高校に入ると、相変わらず集団に属することはなかったが、集団から意識して離れることもなかった。適度な距離を保つことで自分を見出し、集団の考えを理解することで、共存ができるようになった。
集団には集団の考え方があるのだが、個人個人で考え方も違う。集団の考え方を分かっているからこそ個人個人が見えてくるし、個人個人を見ているから、集団も理解できるのだ。
高校に入ると、雅夫は美術に芽生えた。美術部に入部したが、なぜかすぐに辞めてしまった。辞めた理由はハッキリとはしていないが、どこか感じていたものと違うものがあったのは事実だ。
型に嵌められるのを嫌う雅夫にとって、集団で行う芸術は自分の理想からかけ離れていた。別に自由な発想で行う部活だったが、運営する方からすれば、部員の結束は致し方ないこと、そのあたりの理解は雅夫にはなかった。
「どうしても辞めちゃうの?」
一人の女の子が心配して聞いてきた。
作品名:短編集57(過去作品) 作家名:森本晃次