ジャスティスへのレクイエム(第一部)
そんな状態を相手はどう思っているのだろう? 痺れを切らしているのか、それとも、こちらの出方を見切ろうとしているのか、こちらが手の内を表さないのと同様に、相手もこちらからは何を考えているのか分からなかった。
戦端が開かれたのは、本当に些細なことだった。
しかも、それは誤認が招いたことであり、近くに野営していた陣地から照射を受けたと勘違いした下士官が、上官の命令を待つまでもなく、反撃したのだ。
その行為は明らかに軍紀に反したものだったが、実際に戦闘になってしまうと、戦端が開かれたきっかけなど関係なかった。一部での紛争には違いなかったが、その情報はすぐにシュルツとチャールズの元にもたらされ、シュルツは最前線に急ぎやってきた。
ここが今までの戦争とは違うところだった。
政府首脳は本部にいて、事実関係の確認は軍部の報告に任されていたのが今までの慣例だったが、シュルツは自らが現地に出向くことを選んだ。元々軍首脳だったシュルツなので、最前線にやってきての確認が大切だと思っていた。
だが、今までにも政府首脳が軍部出身というのはよくあることだった。それでも軍と政府は別物という発想から、政府が軍の方針に介入することはなるべく避けられた。
これまでは軍部の独断専行を招きかねない状況にならないように、軍部は政府決定にだけしか行動できないという法律が一般的だった。それを軍紀として意思統一され、違反すれば軍法会議が開かれ、処罰が課せられるのは必至だったからである。
国家にとって軍部は、基本的に自国民を守るのが理念だと思われていた。しかし、ほとんどの国の軍部は、国民の生命や財産、さらには権利を守るというよりも、国対を優先して、国の権益が第一で、個人はその次に置かれていた。そのため、一般市民の間で軍部というとあまり人気のないところであり、国家総動員でもなければ、軍に志願することはなかっただろう。
いまどき徴兵制の国はあまりない。細かい内紛が続いている国は存在しているが、国家ぐるみで、どこかと国家間戦争を行う時代ではないからだった。平和ではありながら、何かあった時に国を守る軍隊に国民に入隊義務を課すのは国家としては難しかったのだ。
逆に志願兵で固められた軍隊は、少数精鋭というべきか、軍紀をしっかり守って、団結新も固かった。ただ、平和が続いていたこともあって、なかなか有事に迅速な行動を取れるかどうかが懸念されていたが、チャーリア国の軍隊は一糸乱れぬ軍律を持って敵に対した。
そんなこともあって、相手も迂闊に攻めてくることはできなかった。敵の軍は圧倒的にチャーリア国に比べて人数も多く、兵器も充実していた。
しかし、この軍勢の違いによって優劣がもたらされるのは、もっと大規模な戦闘の時であろう。小規模な衝突くらいであれば、数の有利は通用しない。
戦況は一進一退で、どちらが有利というわけではなかった。こう着状態に入ってしまうと、その後には長期戦も辞さないという考えが、両軍に蔓延し、あとは政府の外交によっての解決を待つ状態と言ってもいいだろう。
シュルツは最前線に入って戦況を分析したが、
「なるほど、このままではこちらが明らかに不利だな」
と言って、少し考え込んだ。
「申し訳ございません。私がもう少し気を付けていれば」
と、司令官は完全に恐縮している。
「いや、いいんだ。君が恐縮する必要はない。むしろ君も戦端の原因になった兵士も、そんなに恐縮する必要はない。相手の照射による報復という内容をそのまま貫いていただきたい。政府としても、その線で交渉に向かいたいと思う」
とシュルツは言った。
シュルツは前線を確認し、こう着状態に入ってはいるので、すぐに戦闘が再開されることはないと思い、そのまま踵を返して政府に戻った。
すぐに閣議が開かれて、
「このまま、我が国の体制としては、照射を受けたということを全面に押し出した外交を行う。もちろん、そのために交渉が長引くかも知れないが、それも仕方のないこと。我が国はまだ建国して間がない。体制が変わっただけのアレキサンダー国とは違うのだ」
とシュルツは言った。
「お言葉ですが、体制が変わっただけでも大きなことだと思いますが」
と、陸軍大臣が口を挟んだ。
「確かにそうだが、それは内部的なことでの意見であり、外から見れば、首脳が変わったわけではない。相手が同じ人間だということは、前の体制であっても、自分の意見に変わりはないはず、だから今の体制で彼らはやっと自分の考えを正直に表に出すことができるようになったことで、有頂天になっていることだろう。外交交渉的にはそこが付け目なんだ。外務大臣はそのあたりを考慮に入れて、交渉していただきたい」
「はい、分かりました」
と、外務大臣は納得Sいたようだ。
「我々軍部はどういたしましょう?」
と陸軍大臣は、よほど自分の隊が誤認したという事実に萎縮してしまっているようだ。
「前にも最前線で訓示をしたと思うが、あくまでも相手が照射してきたということを貫いていただきたい。いかにも誤認というわけではなかったんだろう? 少なくとも照射という行為が行われたので相手に打ち込んだ、打ち込んだという事実が先走りしてしまったことで、照射されたという事実の影が薄くなったようなんだが、ここが重要なんだよ。君も外交にしたがって、今後は行動していただきたい」
とシュルツは言った。
結局閣議では、
「照射を受けたので報復したということを前提に、和平交渉に入る」
と決定された。
幸いに、休戦状態に入った時点では、戦端が開かれたところから、ほとんど拡大していなかった。
ここでは表に出てきてはいなかったが、最前線の軍部では、誤認をごまかすために、軍部の諜報員が相手の軍に入り込み、相手によからぬウワサを流して、最前線の兵士を疑心暗鬼にすることで、攪乱するという戦法が真剣に考えられていた。
自分たちの誤認をごまかすために相手の中に楔を打ち込むというのは、戦術的にはいいのかも知れないが、戦略としては失敗だった。それを未然に防いだのは、首相自ら最前線に視察に訪れたシュルツの手柄というべきであろう。
シュルツの中には、具体的な内容までは分かっていなかったが、今回の紛争が誤認から生まれた可能性があるという情報を得た時点で、このような戦法は思いついていた。
「こんなことを最初にしてしまうと、もう後には引けなくなる」
と考えた。
いかに外交努力を行おうとも、軍部の独断専行から戦術的に成功を収めても、戦略的には失敗することが分かっていたからだ。
一番の理由は、この事件が偶発的に起こったことだということだ。
軍部が最初から計略を計画していたのだとすれば、何ら問題はない。綿密な計画の元に一糸乱れぬ行動を取ることで、軍隊の軍隊たる理由がハッキリと表に出るからだった。
偶発的な事件であれば、戦端が拡大しないように考えるのが一般的で、少なくとも軍部の独断専行は、そのまま国家の危機になりかねない。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第一部) 作家名:森本晃次