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ジャスティスへのレクイエム(第一部)

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 認められたのはあくまでも委任統治権であり、植民地のように自分たちの好きなように染めることができないのだ。
 まずは、意識改革が必須になってくる。彼らにとっての国家というものの考え方、それ以前に自分たちが我々と同じ人間であるということを教え込まなければいけない。
 考えてみれば、いまだにこんな未開の国が存在するということは、それだけ植民地時代に彼らに対して意識改革は行われなかったという証拠であり、あくまでも植民地経営とは、相手国の国民を奴隷として、自分たちの利益になるものを得るだけにとどまっていた証拠である。
 ただ、それも当然のことで、下手に意識改革をして人間というもののあり方を教えてしまうと自分の今の立場に疑問を持つ連中が生まれ、それが革命分子となり、クーデターの火種になりかねないからだ。
 これは帝国主義時代の前にあった封建的な時代から受け継がれているものだ。
 封建社会というのは、主と従の間でそれぞれに無言の契約が成立している。主は従者に対して土地を与えて、その生命の危機を守ることにあった。また従者は声明を守ってもらう見返りに、主に対して忠誠を誓う。もっとも声明を守るというのは、その時代では土地を確保できるということで、このケースバイケースが土地単位から国家の単位に拡大したものが封建制度というべきであろう。まだ植民地のような奴隷制度に比べればマシな方だと言えるのではないだろうか。
 ジョイコット国の場合は、どうやら植民地になるまでは、世界のどの国もその存在を知らなかったようだ。植民地時代を築くきっかけになった列強による大航海時代に初めて見つかった国である。
 この国は本当の未開の国で、まだ人を食べるという風習もあったくらいだ。だから彼らの国にはモラルというものは存在しない。いくつかの部落で形成されたところであったが、それぞれに秩序は違っていた。
 これもモラルと一緒で、秩序と言えるものなのかどうか分からない。国家などという形のものはなかった。我々の遠い先祖、つまり数千年前の状態が、現在まで引き継がれてきたというべきで、当然言葉などもなく、文字すら存在していなかった。
 それを植民地時代に、文字と言葉は教えられ、しかも宗主国以外の国家は認めないとまで言われていたようだ。
 そんな国の宗主国であった国は、さきの大戦で配線国となった。だから委任統治の権利すらなくなってしまったのだ。
 ほとんどの国は、当然貧乏くじだと思ったことだろう。どこの国に依頼しても、拒否の体制だった。
 WPCというのは連盟としては国家よりも上の立場にあった。そうでなければ、当然連盟としての経営をやっていけるはずもなく、国家間の紛争を纏めたり、命令が紛争に対して強制力のあるものでなければ連盟の意味をなさないからだ。
 だが、国家には法人格のようなものが存在し、人と同じように権利と義務が存在する。紛争が起こって強制力があることで、国家には義務が生じることになるが、逆に依頼や命令に対して、拒否権がないのは権利と義務のバランスという意味では不公平である。そういう意味で、紛争などのような緊急性や他国に影響を及ぼすような重大事には拒否権は認められないが、それ以外の依頼に近い命令であれば、各国家は今日比肩を発動することができる。
 他の国が委任統治権について拒否権を行使することは最初から分かっていたことだ、連盟としてはこの問題は大きな問題として考えていた。
 今のままのジョイコット国は、別に大きな紛争の火種になることはなかったが、連盟の調べで、ジョイコット国の地下には、かなりの天然資源が眠っていることが分かった。
 今はそのことを公表していない。
 公表すれば、手のひらを返したように委任統治を言ってくる国が殺到するだろう。しかしそれはジョイコット国にとって決していいことだとは言えない。下手をすると地下資源を巡って紛争が起こらないとも限らず、どこかの国が委任統治と決まれば、まず間違いなく敵対している国が侵略の刃を向けてくることも明らかだった。
 対戦が終わってから数十年が経ち、すでに過去のことになりつつあった世界情勢だが、一歩間違えれば一触即発を秘めているのは、対戦が終わってからずっとのことだった。
「それだけ世界は安定していないんだ」
 とほとんどの国の首脳は分かっていた。
 だから自分たちから戦端と開くことをしない。下手に攻め込んで二国間の戦争が他国に飛び火して、予想もしない展開になることが恐ろしかったのだ。
 そのわりには革命やクーデターは結構起こる。一つの国で少しでも一党独裁の傾向が見えてくると、
「出る杭は打たれる」
 という意味で、クーデターの対象となってしまう。
「そういえば、大戦が終わってから、世界地図はまったく違うものになったな」
 と言っていた連盟の首脳がいたが、まさにその通りだった。
 それまでの植民地国家の間で独立機運が高まり、元々の宗主国との間に独立戦争が持ち上がったりした。
 さらに、世界はいくつかの体制に分かれてしまって、それぞれどこかに所属しなければ、国家として成り立たない状態にもなってきた。貿易においても完全に劣等扱いされてしまうと、すぐさま経済が行き詰ってしまい、どこかの国に頼るしか国家存続ができなくなる。そうなるのであれば、最初からどこかの体制に所属しておく方が無難なのは、誰が考えても明らかなことだった。
 ジョイコット国の運命は、その時には決定していなかった。
 まだまだ国家としての体制も整っていない国のことなど、世界再編の混乱の中で誰が考えよう。自国のことで精いっぱい、時代に乗り遅れれば、国家の消滅が現実味を帯びてくるからだった。
 そんな中、シュルツはジョイコット国のことを気にはしていた。今回初めて足を踏み入れてショックを受けはしたが、まったく想像していなかったわけではない。いくら自国のことだけで精いっぱいだったとはいえ、彼らの国を気にするところがまったくないというのは、それだけ存在すら意識されていない国だったのだ。
「まるで道端に落ちている石のようじゃないか」
 と言えた。
 道端の石は、そこにあっても当然のことであり、だから誰にもその存在を意識されることはない。
 なかったとしても、別に困ることもない。あればあったで別に何かが変わるわけではない。そんな存在がジョイコット国だったのだ。
 それでも地図には乗っていた。国家としての名前も存在している。
「ただ、未開の地というだけのこと」
 と思ってシュルツはジョイコット国に足を踏み入れたが、それまでに自分が感じたことのないショックを感じることになろうなど、思いもしなかった。
 シュルツは、それまでにいろいろな経験をしていた。
 まわりから見れば、両極端で、
「あいつは波乱万丈の人生を歩んでいる」
 という人もいれば、
「いやいや、我々一般庶民とは違って、雲の上を歩いているような人生を歩んでいるんだよ」
 という人もいる。
 シュルツ本人は、そのどちらも間違いであり、正解だと思っている。