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ジャスティスへのレクイエム(第一部)

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 奴隷としての扱いしかされたことのなかった連中に、すぐにその言葉を理解するのは無理だったが、次第に自分たちを攻撃するわけではない侵略国の軍隊に宥和的な気持ちになってくるのも無理もないこと。次第に彼らの意識改革も進んできた。
 自分たちの存在に疑問を感じてきた国民を説得し、それに成功すると侵略は半分成功したようなものだった。それが植民地経営の基本となっていたのだから、今の時代から考える植民地支配とはかなりの感覚に違いがあることだろう。
 植民地支配を平和的に実現できた国は、それほど多くはなかった。アルガン国の前身を始めとして、半分以下の国しか成功していない。その他の国のほとんどは、いわゆる武力による侵攻で、強引に相手を植民地にしてしまうというやり方だった。
 だが、この方がオーソドックスであり、支配階級の意味をそのまま受け継いだということで、国民にとっては、
「自分たちを支配する相手が変わっただけだ」
 という思いしか残らない。
 したがって、
「どうせ我々には奴隷としての生き方しかないんだ」
 という思いを継続させ、いや、増幅させたと言ってもいいかも知れないそんな状況を、時代は、
「植民地獲得競争時代」
 という名前を与えたのだ。
 植民地時代が終わりを告げて、かつての植民地が独立を争うようになって、世界は宗主国と植民地の間での独立戦争であったり、独立しても、その主義主張の違いから、国家が分裂し、内戦に突入した国がほとんどだった。
 アルガン国も、元々は群雄割拠が存在した戦国時代のあった国、そこで各国に存在した英雄によって、均衡が保たれていたが、それは皮肉な均衡であって、その間、どれほどの人が死んでいったのかを考えると、均衡は平和がもたらしたものではないことは明らかだった。
「そもそも、国家というものが存在している以上、どんなに頑張っても平和などというものは風前の灯ではないだろうか?」
 と言われるようになってきた。
 それは歴史が証明しているということで、これ以上の鉄板な考えはない。
「人は死ぬこと以外に自由はないんだ」
 と言われた奴隷時代、奴隷ではない人たちも、心の中には同じような感覚を抱いていたのではないだろうか。
 アルガン国は、植民地時代の終結を世界が迎えた時、自分たちも植民地としてきた国に対して、解放令を発した。
「君たちは、自由な国家を形成すればいいんだ」
 という主旨の宣言をしたのだが、
 肝心の植民地国は、
「我々を見放さないでください」
 と言ってきた。
「見放しているわけではない。世界の流れに乗っ取って、自由な国家を建設してほしいと言っているんです」
 というと、
「私たちにはそれだけの力はありません」
 と言い返してきた。
 アルガン国も、それくらいのことは分かっている。最初から切り離すようなことはせず、統治権を持ったまま、独立国としての体裁を学んだ国から、自由にすればいいと思っていたのだ。
 その主旨の内容の宣言もしたはずだったが、そこまで分かるほど、植民地国と先進国との差は激しかったのだ。
 さすがにそのことを思い知らされたアルガン国の首脳は、
「分かりました。委任統治ということで、あなたたちが独立できるだけの体制が出来上がるまで、我々が統治権を行使します」
 というと、
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 と言ってきた。
 したがって、今でも統治権を有している相手国もあった。チャーリア国の建国は、そんな事情のアルガン国の元で行われたのだ。
 アルガン国の承認の上で出来上がったチャーリア国は、同盟国としてアルガン国の委任統治国が多数存在した。
「じゃあ、これからの統治権は、このままチャーリア国に移行したいと思いますがいかがですか?」
 と、アルガン国から、チャーリア国、そして委任統治権のある同盟国に対しての提案に、ほとんどの国は従った。
「チャーリア国の上には、アルガン国が控えてくれているので、我々としても悪い話ではない」
 と感じたからで、これがチャーリア国にとっての衛星国として存在意義を持つことで、彼らはチャーリア国にも忠誠を誓うと国として君臨していった。
 その委任統治国はジョイコット国という。彼らには純粋な民族という印象を持っていたが、シュルツには完全に信用できないところがあった。
 シュルツの父親はアクアフリーズ王国に忠誠を誓った人として、官僚の中では英雄視されているが、シュルツのおじさんに当たる人はそうではなかった。国家の要職についている父親と違って、おじさんは養殖にもつけず、就職してもどこでも使い物にならず、すぐクビになっていた。
「弟は飽きっぽくて、すぐになんでも辞めてしまう」
 と父親が言っていたように、口では大きなことを平気でいうが、実際には行動が伴っていない人としてまわりから見られていた。
 そんな人を誰が信用するというのか。まわりからは嘘つきのレッテルを貼られて、誰からも信用されず、同じ人間として見られていなかったようだ。
 そのうちにおじさんは、父親が国家の要職にいることをいいことに、それを公然と口にして就職はできたのだが、すぐに化けの皮が剥がれてしまい、結局人から信用されないのは変わりなかった。
 いや、なまじ兄のことを自分の手柄のごとく宣伝したことで、余計にまわりから、卑屈な男として見られてしまい、さらに信用を無くす結果になってしまった。
 そんなおじさんが失踪してしまったのは、シュルツがまだ十歳にもなっていなかった頃だった。
 シュルツはおじさんが好きだった。よく遊んでくれたし、おじさんの話が面白かったからだ。もしおじさんがいなければ、いくら父親が政府の要職についていたとしても、自分も父親と同じ道を進もうとは思わなかったかも知れない。シュルツが父親と同じ道を目指した理由にはいくつかあるが、おじさんから話してもらった話が面白かったことも大きな影響を持った、
 おじさんの話は世界のさまざまな様子を教えてくれた。その国の歴史を面白おかしく話してくれたり、その国に伝わる伝説なども楽しく話してくれた。
――いろいろな国に行ってみたいな――
 というのが、シュルツ少年の夢になった。
 だが、アクアフリーズ国は、国民が自由に海外に出ることを制限していた。鎖国をしていた時期もあったが、その一番の多くな理由は、当時世界各国にあった「王国」が、革命によって政変を余儀なくされたり、立憲君主の国に生まれ変わったりと、国対の維持が難しくなったからだった。
 そのことはシュルツも十歳満たない頃から分かっていたので、
「どうしておじさんは、そんなにいろいろな国にいけるんだい?」
 と聞いた時、
「おじさんは自由なんだよ。国家なんかに左右されずに、自由に生きているんだ。こんなにいろいろな経験をしている人がこの国にいると想うかい?」
 と言われて、
「いや、いないと思うよ」
 とシュルツ少年は即答だった。