ジャスティスへのレクイエム(第一部)
この憲章はそのまま国際法として機能した。もっとも国際法というのは慣習にしかすぎず、戦時国際法などは、その時々で解釈が流動していた。しかし、ここに世界共通の団体ができたのだから、憲章という国家間で共通の法律を守るのは当たり前のようになっていた。
国際平和団体に所属していない国に対しても、この憲章は効果があったのは、それまでの社会から見て、進歩というべきではないだろうか。
国際平和団体の憲章の中には、
「自国の勝手な解釈で戦争を起こしてはいけない」
という大前提があり、さらに、
「宣戦布告を行わず戦争状態に持ち込めば、百日以内に停戦に持ち込むめどが立たない場合は、WPCが調停に入り、国家間裁判によって裁定され、賠償問題などはすべてWPCの裁量によるものとする」
という協約もあった。
この憲章は国際法として全世界の国に一斉に公開された。アレキサンダー国はもちろん、アルガン国でも、チャーリア国でも認識されていた。ただ、戦闘状態に持ち込んだとしても、百日以内に戦闘行為をやめてしまえば、WPCの介入はない。
攻撃された国が攻撃した国に賠償を求めて、それが受け入れられない場合は、WPCの裁量が入ってくるが、そうでなければ、何もないのだ。
「短い間であれば、それは戦争ではなく、国家間紛争というだけのことだ」
ということにされてしまう。
だが、アレキサンダー国はそれが狙いだった。
最初に先制攻撃で一撃を加えておいて、その存在を脅しとして牽制したにすぎない。
攻撃された国としては、いきなり攻撃を受け、さっさと去って行った相手国に対し、どう考えるだろう?
報復の報復を考えるのだろうが、いきなりの先制攻撃にさすがに口出ししないはずのWPCが警告を与えたのだから、チャーリア国に対しても面目が立ったというものだ。
アレキサンダー国の奇襲攻撃で被害を受けたと思っているのは、攻撃した当の本人であるアレキサンダー国だけであって、それが、彼らの油断を生んだと言ってもいいかも知れない。
何しろ国家の狭さ、国家としての体裁は最低限と言っていいほどのものでしかない。世界から見れば、今は珍しくなってしまった、
「私の国」
ということになるのであろうか。
この一方的な攻撃は、まだ序章にすぎなかったのだが、チャーリア国に入った元々のアクアフリーズ王国の精鋭部隊といえども、彼らは完全な一枚岩ではなかった。
クーデターの芽がその時からあったのではないかと思わせる様子が軍部の中であったのだが、それを知っている人はいなかった。だが、チャーリア国にて軍隊の体裁が整っていくうちに、その結束が固まって行ったのは事実のようで、戦闘部隊は本当の意味での精鋭部隊になっていった。
それがシュルツの狙いでもあった。
元々アクアフリーズ国にいた頃、自分が軍部の一番上にいたのだから、その空気が存在していたのは感じていた。そして実際にクーデターが発生した時には、
――いよいよ来たか――
とシュルツは考え、命からがら亡命できたのだが、実際には不穏な雰囲気を感じていたことがシュルツの中で亡命を成功させることには、それほど難しくはないと思っていたようだ。
しかも、三個師団を率いているのは、一番信頼を置いているマーシャルル司令官である。彼はシュルツの考えに浸透しているというよりも、信仰していると言ってもいいくらいに同じ意見の元、相手は自分の上司でありながら、まるで同志のような気持ちになっていることを誇りに感じていた。
そういう意味ではまったく違った思想を持ったアレキサンダー国に取り込まれたのは、彼としては不本意だっただろう。
しかし、
――シュルツがこのままで終わるはずがない――
という思いを持っていたこともあって、ここから先、自分がこのままアレキサンダー国で終わるはずがないという思いもあった。
そんな折、秘密ルートを使って、シュルツから連絡があった。
と言っても、このルートはアクアフリーズ国の時代から存在していたルートであり、アレキサンダー国としては、決して諜報だとは疑わないようになっていた。
そういう意味で、三個師団の国外への脱出は、さほど難しいものではなかった。アレキサンダー国としても、いきなり自軍の中から脱走部隊が出たということを世界に公表するつもりはなかった。
もちろん、これだけの部隊が移動するのだから、まったく知られないというのもおかしなもので、どこからか漏れた情報が、悪いことに国際平和団体にまで届いてしまった。
「こうなったら、先制攻撃を加え、自分たちの正当性を証明するしかない」
として、今回の攻撃に繋がったようだ。
先制攻撃で相手の出鼻をくじく以外には、方法はないと思った。いくら狭い国土で軍は小規模なものだとはいえ、相手はシュルツだということが分かっていたので、どんな罠が控えているか分かったものではなかった。
攻撃をするくせにネガティブにしか考えられないのは、シュルツという人間を敵に回して考えてみるとおのずと入り込む落とし穴のようなものだった。
「あいつが何も考えずに行動に起こすわけもない」
アレキサンダー国の内部には、シュルツに関わっていた人がたくさんいる。その人たちが口を揃えて、
「シュルツ長官は、味方にすればこれほど頼もしい人はいないが、ひとたび敵に回してしまうと、これほど恐ろしいものはない」
と言っていたのを思い出した。
アレキサンダー国の首脳のほとんどの人は、その話を聞いて、ゾッとしたに違いない。
「とんでもない相手を敵に回してしまったのか?」
と考えたのも事実で、
「だが、アクアフリーズ国を併合するのは最初からの計画だったので、これも作戦上仕方のないことだ」
という意見もあった。
アクアフリーズ国は、アレキサンダー国にない地下資源はもちろんのこと、国土としても領有することが自国の平和には欠かせないと思っていたのだ。
つまりはアクアフリーズ国の運命は、隣国でクーデターが発生した時点で決まったようなものだった。
たった一日の一方的な攻撃を戦争として位置付けるのかという話もあったが、これが第一次戦争として、両国の間に発生した最初の戦争となったのだった。
アレキサンダー国は、アルガン共和国を後ろ盾に持っているチャーリア国に対して宣戦することを最初は躊躇っていた。相手には百戦錬磨と言ってもいいシュルツがいる。実践経験はさほどあるとは言えないが、何しろ国家の頭脳として軍や政府の統制など、絶対君主の国であったアクアフリーズ王国で、国王を支えるたった一人の全権を託された側近だったのだから、迂闊に戦いを宣することは無謀と言ってもいいだろう。
しかも、後ろには軍事大国として君臨しているアルガン共和国が存在している。
アルガン帝国は、アクアフリーズ王国に対しての侵略とは比較にならないほど、国家体制はしっかりとしていた。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第一部) 作家名:森本晃次