ジャスティスへのレクイエム(第一部)
さらに、傀儡政権と友好的な条約を結んでいれば、領空侵犯などの問題もなくなり、自由に戦闘機の飛行が可能になるのだ。領空侵犯として地対空ミサイルに狙われる心配や、領空侵犯によって他国から避難を受けることもない。それだけでも軍事作戦的に圧倒的な優位を保てるのだった。
また、経済的にも同じことが言える。
友好国として関税を安くしてもらったり、自国の産業の流入も可能になり、かなりの優遇を受けることもできる。傀儡政権というのは、元々あった政権と違って、自由に立ち回ることができる。
ただ、それだけ尻軽であることは否めない。混乱する国際社会の中では、吹けば飛ぶような存在であることも事実で、そういう意味では、同盟を結ぶ国としても、
「利用するだけ利用して、引き際を間違えないようにしないといけない」
という意識を植え付けるものだった。
だが、現在は破竹の勢いのアレキサンダー国である。しばらくの間は傀儡政権も安泰だと言えるだろう。
侵略を受けた国は、そこに傀儡政権を樹立していたが、国によってはアレキサンダー国に併合されるところもあった。政権は統治はするが、国家としての機能ではなく、地域として考えられる。併合することでアレキサンダー国は膨張を続けるが、併合がいいのか、それとも傀儡政権の樹立を目指し、友好国としての地位を築くのがいいのか、それはアレキサンダー国の腹積もり一つであった。
「併合することはあきらかな侵略であり、国土的野心がむき出しになるからな」
という発想もあるが、基本的には地下資源が問題だった。
いくら友好国として傀儡政権を打ち立てたとしても、あくまでも他国である。したがって貿易するには関税が存在し、資源が多ければ多いほど、税に使う金が必要になってくる。
昔のような植民地支配の時代ではなく、独立国家が増え続け、国家飽和状態になっている世界の情勢を考えると、時代の逆行にも思われるだろう。
だが、それはそのまま植民地支配の考え方に繋がるわけではなく、今は完全に独立国家の精神が世界に蔓延している。いずれはまた植民地に近い世界がやってくるかも知れないが、今は完全に時期尚早である。
「時代は繰り返すというからな。でも、それも数百年単位のものだから、今植民地という考え方が危険であることは、ほとんどの人が認識していることだろうね」
と国際会議の場で考えられている一般論として某国首脳が語った言葉だった。
そういう意味で、シュルツとチャールズが独立国家を建国したということは、二人が亡命したというニュースが流れてから今まで、まったくニュースにならなかったにも関わらず、ここまで早い時期に電光石火のごとくの建国に、世界は大いに衝撃を受けた。
そして、それが国際社会に受け入れられたのは、傀儡政権による残虐な行為が世間に公表され始めたタイミングだというのもうまく作用していたのだ。
アレキサンダー国としても、傀儡政権にある程度自由を与えていたが、世間に残虐性が訴えられるようになると、さすがに放ってはおけなくなってしまった。
しかも、このタイミングでの建国宣言、アレキサンダー国は二重のショックを受けたのだ。
ただ、これもすべてがシュルツの計算だった。
傀儡政権がこの世で蔓延り始めた時から、実際には残虐性はあった。
傀儡政権というのは、吹けば飛ぶような政権であることをよく理解していたアレキサンダー国の首脳は傀儡政権に対して、
「このことは知られないようにしないといけない」
として、表向きは自由であるということを思い知らせる必要があった。
アメとムチを使い分けることが傀儡政権に対しての対策だったのだが、そのうちにアメばかりになってしまったことがアレキサンダー国にとっては計算外だった。
だが、シュルツはそこまで計算していた。
「どうせ、傀儡政権を維持させるために、自由にやらせる必要があることから、傀儡政権はアレキサンダー国が、自分たちが何をやっても黙認してくれると思っていただろう。しかも、傀儡国家が表立って非難されるような事態に陥れば、彼らが助けてくれるという希望的観測を持っているに違いない」
と言っていた。
その予想は見事的中した。
彼らは占領地域で、軍部や政府首脳とが一枚岩ではないことを苦慮していたが、暴走は止めることはできない。
軍隊に統制力はなく、部隊それぞれで士気の高まりも違っていた。モラルという考え方も欠如していて、
「どうせいつ死ぬか分からない俺たちなんだ」
という思いが兵士個人個人にはあり、その思いを他の人も持っているということを知ると、集団意識のなせる業で、暴行、強姦、略奪、ありとあらゆる悪行を行うようになる。
なるべく表には出ないようにしようと思えば思うほど、あからさまに写ってしまう。何しろ市内には、自分たちだけではなく、外国人居留民もたくさんいるのだ。そんな彼らから見れば、
「未開人の乱行」
にしか見えていないことだろう。
そんな軍部を政府も止めることはできない。政府はなるべく黙殺して、自分たちは悪くないという保身に入ってしまう人ばかりである。
しかも、保身は自分だけの保身であり、いくら同じ団体の人間だとはいえ、
「こうなったら、もう誰も信用できない」
という疑心暗鬼に陥ってしまう。
もうこうなると、正常な状況判断をできる人はいなくなってしまう。特に下士官や下級将校などは、自己嫌悪と前の見えない状況によって鬱状態に陥ったり、判断ができない精神状態に陥ることで、自殺者が後を絶えないという状況になってしまった。
政府や軍部で、そんな状況が続いてくると、傀儡政権は、足元から崩れてくる。
しかも、政府の高官や首脳は、そんな事態をまったく分かっていないのだ。大きな屋敷が数匹のシロアリによって、徐々に見えないところで家を支えている大切な部分を長い時間をかけて蝕んでいるかのようである。
だが、ここでのシロアリは、そんなに猶予を与えてくれるわけではなかった。政府所濃が気付く時というのは、他国からの侵攻を受け、それまで内政を抑えていた軍部が初めて対外戦争を迎えた時、明らかになる。
政府首脳から、侵略者への迎撃命令が出されるが、実際に迎撃に向かう部隊は存在しない。
なぜならすでに軍隊としての統制も士気も存在していなかったからで、もし存在していたとしても、対外相手に戦争をしようと立ち上がった瞬間、足元が崩れて、すべてが瓦礫に埋もれてしまうという問題を孕んでしまうことだろう。
「そんなバカな」
といっても、もう遅い。
シュルツはこうなることを分かったうえで、傀儡政権の足元を揺るがす工作を、地味に行っていた。
傀儡政権というのは、しょせん臨時政府であり。彼らは本当の支配者としては素人であった。
そんな連中だから、下々にまで目が行くわけはないという計算から、シュルツの工作は簡単だった。
今回のチャーリア国建国宣言までに費やした計画がいくつかあるが、この傀儡政権の崩壊を招く作戦ほど簡単なものはなかったはずだ。
「思ったよりもうまく行ったな」
とシュルツはほくそ笑んでいた。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第一部) 作家名:森本晃次