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ジャスティスへのレクイエム(第一部)

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 マーシャルはシュルツの考えが分かっていた。今は一時第三国に退避しているが、そのうちにシュルツと合流できる時が来る。それまでこの部隊を安全に守りながら、補強できるところはしてもらいたいとシュルツが考えていることも分かっていた。そして、それができるのはマーシャルだけだということも、二人の意見で一致していた。
 三個師団で武力を維持し、さらに軍隊としての体制を保っていることがシュルツの計算の中での一つの策だった。
 もう一つは金銭的な問題で、こちらはシュルツがアクアフリーズ国存続の間に、外国に秘密結社を築いていたことで、その問題もある程度解消されていた。
 民主国家であれば、政府が独自に秘密結社を創設することは憲法の範囲で禁止されていたことだろう。
 しかし、アクアフリーズ国は絶対王政の王国だった。
 王家は国家元首でありながら、一つの家系として独自の財産を自由に保有できる。それは税金という形でのものもあれば、民間を保護するという名目で朝貢金を収めさせるという形もあった。
 そのどちらも税金と言えば税金なのだろうが、アクアフリーズ国は国対維持のために朝貢金を貢がせることで、王政を保てていた。
 民主国家から見れば、独裁国家にしか見えないだろう。国民から王家を支えるための朝貢金を募るのだから、自由社会の資本主義ではありえないことだった。
 しかし、それが平和を保つことができた一番の理由だということも見逃せない。事実アクアフリーズ王国は、他国からの侵略を受けたことはない。軍隊の規模も世界的には軍事大国とも言えるほど備えていて、
「あくまでも専守防衛のための軍隊です」
 と、国際社会に訴えてきたが、実際にその言葉に嘘はなかった。
 植民地時代にも侵略による植民地支配を行ったわけではなく、あくまでも独立できずに列強から植民地化される危険に晒された国が助けを求めたのがアクアフリーズ王国だったのだ。
 アクアフリーズ王国は他の植民地経営とは違い、条約も不平等なものではなかった。
 他の列強は、関税や領事裁判権などの点で高圧的な条約を結び、完全に植民地を自分たちの利益のために利用するだけ利用しようと考えていたのだ。
 しかし、アクアフリーズ王国は発展途上の国と不平等条約を無ずぶことはなかった。関税も平等で、領事裁判権も撤廃していた。そのおかげで彼らはアクアフリーズ王国に感謝し、宗主国として敬う気持ちを持ち続けていた。
 植民地時代が終わって、ほとんどの植民地と呼ばれる国が独立していった時も、宗主国と属国という関係は保たれていた。
 特に植民地時代の終わりを告げる時、発展途上国の間に独立の波が押し寄せた時、当然のことながら、平和的に独立を達成できた国はほとんどなかった。
「独立をしようとする国と、それを許さない国の戦い」
 これが植民地時代の終わりを象徴していた。
 独立を目指す国というのは、国家としての体裁はお世辞にも整っていなかった。あくまでも植民地には政府としての団結はなく、頭の中にあるのは、
「まず植民地としての支配を終わらせること」
 というのが一番だった。
 そのために軍の体制を整備したり、先述の勉強のために、支援してくれそうな大国から軍事顧問団を招き入れて、軍事面での発展は著しかった。だが、それは独立を成功させても、そこから先のビジョンに発展するものではなかった。
 元々の宗主国には、強大国としての軍が存在していて、とてもこの間まで属国だった国の軍隊では太刀打ちできるものではない。
 太刀打ちできるとすれば、ゲリラ戦を中心とした人海戦術であったり、テロによる自殺行為であったりと、とても作戦とは言い難いものでしかなかった。
 だが、世界の情勢は独立国が増える一方で、強大国の間で限られた政治体制の大きな二つの陣営のどちらかに属さなければ存続できないような世界になりつつあったのだ。
 そのため、両陣営は独立しようとしている国を自分の陣営に取り込みたいという考えから、兵器の供与であったり、軍事顧問団の派遣など積極的だった。
 しかし、世界の最大とも言える強大国が直接関与することはなかった。もし、直接やってしまっては、相対する相手の強大国と直接対峙することになり、世界大戦の危険をはらむことになってしまう。
 その頃人類は世界を破滅させるだけの兵器をいくつも保持していて、
「使用しないことが平和への均衡を生んでいる」
 という不条理な理屈の元に築かれたいわゆる、
「薄氷を踏むかのような緊張の傘の下での平和」
 を描いていたのだ。
 独立しようとしている国には、そんな強大国の思惑など分かっていない。自分たちだけのことで精いっぱいなのだが、それも植民地時代に属国に対して教育を行ってこなかったつけが回ってきたのだろう。
 植民地時代に下手に教育を施して、民主平和を求めた独立運動に発展することを恐れたからだろうが、
「因果応報とはこのことだ」
 と歴史を知る人はそう思っているに違いない。
 しかも、歴史研究家の間では、
「歴史は数百年の周期で繰り返している」
 と思っている。
 数百年単位で体制が戻ってくるというもので、その理論としては、バイオリズムのグラフのように波打ったいくつかの体制がグラフ上に存在しているという。縦軸にその勢力であり、横軸は時代を示している。いくつかの体制はその大きさに微妙な違いがあり、百年単位で巡ってくるのだが、十年近くの違いから、数百年に一度、ゼロのところでそれぞれの線が交差するようになっているというのだ。
「その瞬間が世界の分岐点であり、下に行くか上に行くかは、その時の運命によるものだ」
 という歴史学者の発表もあった。
 植民地時代の終わりを告げたこの百年間がちょうどその数百年に一度に当たり、それを意識している歴史家は多かったが、肝心の政治家や革命家、思想家にはほとんど意識している人はいなかった。
 もし、いたとすればシュルツくらいのものだろうが、シュルツも半分は、
「迷信だ」
 と思っていたほどで、真剣に考えていたわけではない。
 だが、人の話を真面目に聞く姿勢が他の政治家よりも長けていることで、歴史家の説教にも真面目に立ち向かった。
 そのおかげで、誰にも理解できない考えを理解はしていたのだが、悲しいかなシュルツは政治家である。どうしても現実的なことを大切にしなければいけない立場なので、漠然とした研究にまで考えを及ぼすほどの余裕はなかった。
 だが、こうやって隣国でクーデターが起こり、自国にまで影響してきて、自分たちが亡命までしなければならなくなったことで、歴史家の話を思い出したのも事実だった。
――まさか、これが数百年に一度の歴史を繰り返している瞬間だとは思えないが、少なくとも自分の想定外のことが起こったのは事実だ。そう思うと、歴史家の話を思い出さないわけにもいかない――
 と考えるようになった。
 幸いに、亡命した国にはたくさんの歴史家がいて、大学も充実していた。
 アルガン共和国は、チャールズの父親が、青年時代に留学した大学がある国でもあった。チャールズも皇太子の時代に留学したことがあったが、その時は同盟国の大学で、帝王学を主に学んだ。