ジャスティスへのレクイエム(第一部)
と、出世できたことへの達成感もあるにはあるが、これ以上の目標がない以上、何を支えに生きていけばいいのか分からなかった。
――しょせんはこれ以上の出世なんかないんだ――
という思いは諦めでもあり、まだ現役として数年はこのままでいなければいけないことに苛立ちすら覚えていた。
そんな将軍の気持ちがある人間は、一番懐柔されやすいのではないだろうか。
「お前のような優秀な男が、このまま終わっていいのか?」
と、言われれば、気持ちがぐらつかないわけもない。当たり前のことを当たり前に言われて今までなら感動することもなかっただろう、そんなセリフは自分が他人にするものだと思っていたからだ。
将軍は、どうしていまさら数十年ぶりに遭ったにもかかわらず、そんなにも自分のことを心配してくれるのか分からなかった。もちろん相手が諜報にも長けているなどと思ってもいないので、そう感じるのだろうが、昔少しだけ知り合いだった相手がいきなり懐かしそうに訪れてくるのだから、何か下心があるとどうして思わなかったのか、誰もが感じることだろう。
だが、将軍にはその思いはなかった。アクアフリーズ国の軍部では、そんな諜報であったり、人を陥れるような考えは発生しないものだと思われていた。
実際にそんなことは今までに発生していない。前例がないのだから、そこまで考える人はまずいないだろう。
驚いたことにアレキサンダー国の諜報部員は、皆そのことを理解していた。下手をするとアクアフリーズ国の軍部内部の人間よりもそのあたりの事情には詳しいだろう。
「灯台下暗しとはまさにこのことだ」
足元のことが分かっていないことが罪になるということを、誰も分かっていなかったに違いない。
「アクアフリーズ国なんて、簡単なものだ」
と考えている人も多かったことだろう。
逆にそれが災いをしたとも言えなくもない。
懐柔を受けた将軍は、アレキサンダー国の策略に対して、想像通りの行動を取り、内部からの亀裂に対して、大いに貢献していた。
将軍というのは、実はアクアフリーズ国では上司の中でも浮いた存在だった。尊敬をされているわけでもなかったが、嫌われていたわけでもない。注目に値しない相手として、本当にまわりから気にされることがなかったのだ。
それも諜報活動で掴んだ、将軍を味方に引き入れるという点で重要なことだった。好かれているわけでもなく、嫌われているわけでもない人間ほど、利用価値があると言えるのではないだろうか。
そのおかげでアクアフリーズ国の軍部は内紛に突入してしまった。
それを予知しながら食い止めることのできなかったシュルツは、さらに落ち込んだに違いない。しかも、将軍というのは、部下からはあまり意識されていなかったが、シュルツからの信認は熱かった。だからこそ、彼のように注目されない人が、将軍として君臨できたのも頷けるというものだ。
アクアフリーズ国は、まわりの国から分かるくらいの内紛が持ち上がってしまい、周辺国から訝しく思われるようになった。
「何だ、あの国は。永世中立国なんじゃないのか?」
と言われた。
永世中立国というのは、平和のシンボルのように思われていて、平和という意味では全世界から手本にされるような、
「平和の象徴」
でなければいけないに違いない。
周辺国から、
「なんだ、永世中立と言ってもあの程度か」
と思われるようになると、それまでの国際社会における信用はがた落ちだった。
しかも、世界で頻発している紛争は、ある程度の時期がくれば解決への足掛かりを模索するものなのだが、アクアフリーズ国に関しては、その妥協は見ることができない。
「誰も和平について考えていないんじゃないか?」
とも言われたが、当たらずとも遠からじで、
「どうしていいのか分からない」
と思っている人ばかりだった。
それだけ平和な時期が長く続いたということで、このような事態は想定外だったと言ってもいいだろう。
アレキサンダー国の本当の目論みは、
「シュルツ長官を暗殺して、チャールズ国王を拉致してしまおう」
ということが最初からの目的だった。
だが、一向にシュルツ長官が暗殺されたという情報も、チャールズ国王を拉致したという情報も入ってこない。彼らがアクアフリーズ国に対して内紛を起こしたり、さらには長官の暗殺、国王の拉致と言った強引なクーデターを画策したのも、最後はアクアフリーズ国を併合しようという考えがあったからだ。
それには体制の違う国家に対して、生半可な対応をしていては、もし国家を併合したとしても、国民が着いてこないと思われるだろう。何しろ国対が違っていて、体制が違うのだから、合併後に内乱が起こるのは必至だった。
しかも併合してしまうと、そこに生まれる感情は、差別的発想であった。
元々の国民は、
「今まで外国だった連中を併合してやったんだから、やつらは奴隷のようなものだ」
という思いが芽生えてしまって、逆に合併された方は卑屈な感情から、反発は違った意味での認識が生まれることだろう。
もし意味合いが違っていなければ、併合自体無理なのではないかと思えた。併合してもしなくても、結局はそこに歪が生まれる。そのことを誰が予知していただろう。
チャールズとシュルツは、うまく彼らの考えを察知し、国外へ逃れた。危機一髪ではあったが、それもシュルツの逆転ホームランでもあった。
要するにシュルツは、アレキサンダー国の油断をついたのだ。
新鋭国家がそれまでできすぎなくらい、クーデター計画がうまくいっていた。そのせいもあって、彼らには油断が少なからずあったのは否めなかった。クーデターを起こしたのなら、完全に成功するまで気を許してはいけない。そんな簡単なことも分からないくらい、それまでの革命政権は順風満帆だったのだ。
「そんなことは分かっているさ」
普段のシュルツならそう思うだろうが、それを感じることができないくらいに頭の中がいっぱいいっぱいになっているシュルツ長官だった。
シュルツの逃亡計画は、最初からしっかりと出来上がったものではなかった。何しろクーデター自体が寝耳に水のことだっただけに、まずは情報収集と、それにともなっての、自国への影響を加味して考えなければいけなかったからだ。
正直にいうと、シュルツはそこまでの危機を感じておらず、まさか亡命しなければいけないとまで考えていなかったようである。アレキサンダー国はアクアフリーズ王国の侵略や併合までは考えていなかったようだが、少なくとも今の絶対王制は廃止して、自国に有利な傀儡政権の樹立までは考えていた。
チャールズやシュルツにしてみれば、それは侵略と同じことで亡命は必至だったのだ。
受け入れてくれる国を調査するのも大変だった。アレキサンダー国は電光石火的に近隣諸国を侵略し、着々と勢力を拡大している。そんな状況で近隣諸国の中には二人を受け入れてくれるような国はなかなか存在しない。少なくとも同一地域には存在しないので、選定だけにでも、かなりの時間が掛かった。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第一部) 作家名:森本晃次