ジャスティスへのレクイエム(第一部)
シュルツは思い悩んでいたが、その悩みのほとんどは、この時の算数の四則演算への思いだった。
だから発想が表に出ることもなく、最初の段階で堂々巡りを繰り返し、そして迷路に入り込んでしまっていたのだ。
それを見ているチャールズも、シュルツの悩みは目の前のことだけではないということは察知していたが、まさかそれが幼少期の頃の発想に至っているなど思ってもいなかった。だが、チャールズにも同じような思いをしたことがかつてあった。その時はシュルツに看過されて、一言シュルツに言われたことで解決したのだが、肝心のその時の言葉をチャールズは忘れてしまっていた。
――何て声を掛けてあげればいいんだ――
という思いを抱いたまま、どれほどの時間が掛かったことか。
チャールズはシュルツを見ているのが辛かったが、それはまるで我が身のように感じられることだったので、それが一番の危惧だったのだ。
シュルツ長官の不安をよそに、アレキサンダー国は着々と国家としての体裁を整えていった。憲法の制定も同じ立憲君主の国から顧問団を招き入れて、憲法審査会を開き、憲法草案に躍起になっていた。その間外交的にはおとなしくしていたが、そのことが周辺国の将来を招くことになるのを、どの国も予想していなかった。
憲法草案はことのほか問題なく行われ、気が付けば憲法は公布されていた。立憲君主なので憲法の範囲内での君主制と言っても、君主の力は絶大だった。軍の統制はもちろんのこと、議会にまで口出しができるように制定されている。他の立憲君主の国では、軍隊の直轄統治はありえることだが、議会にまで口出しができるほどの権力を有しているわけではない。アレキサンダー国は独裁国家への道を歩み始めていたようだ。
憲法公布が行われ、君主の権力が確立したことで、アレキサンダー国の体制がハッキリとしてきた。それまで静観していた周辺国も、これでアレキサンダー国とどのように接すればいいのか、ある程度決まってくるというものだ。そういう意味ではアレキサンダー国と同盟を結ぶ国は最初はほとんどおらず、孤立したかのように見えたが、それくらいはアレキサンダー国としても分かっていた。元々軍事的には世界的にも上位に位置していたアレキサンダー国なので、ここから先は軍事力を背景に、まわりの国への侵略を開始することは明らかだった。
狙われたのは、国土は小さいが、その地下に埋蔵されている資源は無限にあるのではないかと言われている国だった。国土が狭いわりには豊かな国で、国民のほとんどは富豪と言われる人たちだった。
彼らは金にものを言わせて、国家とは別に私設軍隊を持っている人が多く、いざ侵略を受けると、施設軍隊は協力して事に当たる。アレキサンダー国の侵略を受けた時もそうだったが、甘く見ていた侵略軍は早々に各方面で撃破されていた。
元々、侵略された側の国としても、手をこまねいて侵略を受けるのを待っていたわけではない。侵略を受けても撃破できるように周辺国に根回しをして、兵器の購入や、いざとなったら義勇軍を組織して手助けをしてもらえるように交渉していた。もちろん、それに伴う見返りを用意したうえでのことで、それはすべてが秘密裏に行われた。だから周辺国のどの国も、
「我が国だけに優遇してくれた交渉で、他の国に対して出し抜けた」
と思っていたが、実際には小国に見事に踊らされていただけだった。
実際に侵略を受けて、初めて協力していた国もそのことに気付いたが、だからと言って自分たちが損をしているわけではない。実際に侵略を受けることで物資は小国に流れ、その恩恵は得られているからだ。
しかも、最初に侵略されたのが自国ではなかったことは彼らにとって幸いだった。小国が最初のモデルケースとなってくれたおかげで、その戦争を教訓に、自分たちは侵略を受けることへお防御を考えることができる。これは何事にも代えがたいことである。実際に侵略を受ける前に、このままアレキサンダー国を滅ぼすことができれば一番いいのだが、滅ぼすことができなくても、ノウハウはしっかりといただける。
「転んでもただでは起きないとはこのことだ」
と周辺各国はそう思ったに違いない。
小国への侵略はことのほかてこずったが、何とか侵攻して二か月後には平定することができた。ただそれにはアレキサンダー国だけの力ではなかった。
アレキサンダー国は周辺国ではないが、少し離れたところに位置している強大国と手を結んでいた。奇しくも同じ体制のその国は、この地域の紛争に最初は介入するつもりはなく、早々と中立を宣言していた。
まだ紛争が起こる前から、
「我が国は、アレキサンダー国の侵略に対し、我が国の権益を侵されることのない戦争に介入する意図はない」
と宣言していたのである。
アレキサンダー国の侵攻はまさに電光石火だった。宣戦布告が行われたわけではない。侵略された小国も、宣戦布告をしていない。宣戦布告をしない国同士が戦争するのは、国際法で禁止されているわけではない。実際に宣戦布告のない戦争も、数多く存在した。
宣戦布告をするということは、まわりの国に自国の戦争を正当化する意味もあるが、それ以上にまわりの国にとって、どちらに味方する、あるいは中立を宣言するという意思表示を必要とされる。
つまり宣戦布告をしない方が、周辺諸国は自由に立ち振る舞うことができ、裏で秘密裏に資源の補給や、同盟を結ぶこともできる。中立を宣言されてしまうと、その時点から、どちらに対しても資源を供給することができなくなるのだ。
もちろん、必要最低限の取引はできるが、戦争継続には程遠いもので、あてにしている国に中立を宣言されると、その時点で戦争は半ば配線を覚悟しなければいけなくなる。それを両国は恐れたのだ。
シュルツの危惧はまさにそこにあった。
アレキサンダー国の内情を見れば、いずれどこかの国に侵攻するのは明らかだった。しかもターゲットになる国もある程度絞り込むこともできた。シュルツ長官にすれば、この侵攻は最初から計算のうちだったのだ。
「いずれは我が国へ侵攻してくるだろう」
というのは、最初に小国に侵攻したことが想像していた通りだったことで、かなりの確率で我が国に侵攻してくることを確信していた。
「今のままならまだアレキサンダー国を相手にしても十分に勝機はあるが、このまま侵攻を続けて侵略が大規模になってくると、それを抑えることができなくなるに違いない」
とシュルツ長官は考えていた。
シュルツは、その危惧を誰にも言わなかった。
だが、彼の様子は誰が見ても悩んでいることは明らかだったし、いつも一緒にいるチャールズには分かり切っていたことだった。
しかも、アレキサンダー国が強大国と同盟を結んだことが明らかになったことでシュルツは自分が完全に出遅れてしまったことを悟ったのだ。
小国の攻略に戸惑っていたアレキサンダー国を見ていて、
「これなら侵攻を止めることができるのではないか?」
と、世界各国が思うようになったその時、同盟を結んだ強大国がいきなり小国へ侵攻したのだ。
作品名:ジャスティスへのレクイエム(第一部) 作家名:森本晃次