短編集56(過去作品)
夢を見たような気がするが、今までの類に漏れず、内容はまったく覚えていない。見たことすら曖昧だった。
ただ、何か願いを掛けている夢だったように思う。その時に規則的な音が響いていたのも感じた。シャワーを浴びていると、不思議にその夢を思い出そうとしている自分に気付く。
「おはようございます」
ロビーでホテルマンが、朝食の用意をしている。
「おはようございます。夕べの雨は止んだようですね」
と訊ねると、
「昨日ですか? 雨は降っておりませんよ。このあたりは夕方からは、完全に晴れ上がっていましたからね」
やはり通り雨だったのかも知れない。あまり気にすることもなく朝食を摂っていると、
「なるほど、綺麗に晴れ上がっている」
まるで夢を見ていたかのようだ。
雨が夢だったのかも知れないと思うと、今晴れ上がっている外も自分にだけ雨に見えるように思えてきた。
――願い事をしないと――
夢の続きを見ているようで、不思議だったが、
「ここの坂道で雨に出会った人って、今までに結構いるみたいなんですよ。でも、その人だけが遭っているようで、誰も雨のことは信じない。夢だと本人も思うようなんですが、その時に願い事をすると何かが叶うというんですよ」
ホテルマンはそういって話しかけてくる。
「願い事ですか?」
「ええ、それも一定の願い事らしいんですよ。その願い事をしたい人がこの坂を通った時だけに降る雨。まるで人を選んで降っているらしいんです。お客様の願い事、何となく分かる気がします」
と言って、含み笑いをした。
すると、ロビーから違うホテルマンがやってきて、
「清水様、お電話です」
と告げたので、電話に出るが、告げられた瞬間、昨夜の雨を思い出した。規則的な雨音が耳に響いている。
「奥さんが……」
ここから先は想像通りだった。保険が入ってくるらしいということまで聞こえていたが、まるで夢の続きのようだった。
電話を置いてテーブルに戻ると、さっきのホテルマンが耳打ちしてくる。
「私は決して雨を見ることはありません。何しろ、結婚なんてものを考えたりしませんからね。以前、ここにお泊りになった女性と一晩ご一緒したんですが、彼女が次の日に夢を見たそうです。それが始まりだったんですよ。この夢のね」
声が耳鳴りになって聞こえてくる。
雨を降らせて、夢に導いているのは、彼のような男なのかも知れない……。
( 完 )
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次