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短編集56(過去作品)

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 最近時間の感覚が分からなくなることがある。何かを思い出そうとしても、昨日のことだったのか、一昨日のことだったのか、果たして今日のことだったのかすら、分からなくなってしまう。
 夢を見ていると、時間の感覚が麻痺してしまう。さらには、時々夢と現実の区別がつかなくなることもあるくらいで、だからこそ、目が覚めてすぐに夢だったのだと理解できるのかも知れない。
 そんなある日、出張を命じられた。
 仕事での出張は好きでも嫌いでもなかったが、今の清水にとっては、気分転換にもってこいだった。一泊二日の出張、一人での出張である。
 出張先の支店長は、以前本部にいたので、顔見知りである。気心が知れたとまでは行かないが、それほど緊張するものでもない。とはいえ、向こうも本部から出張してくるというと身構えることもあるだろう。なるべく気にしないようにしていた。
「清水君、何かあったのかい?」
 出張仕事も一段落して、支店長に夕食に誘われて、軽く呑んでいた。
「いえ、どうしてですか?」
「口数が少なくなったように思えるし、たまに下を向いて考えごとをしているように見えるからさ」
 さすが支店長になるだけの人、観察眼が鋭い。それとも、すぐに分かってしまうほど誰が見ても変なのか、清水自体には分からなかった。
 連れてこられた店はスナックだった。スナックというと春江と知り合った店を思い出す。そういえば、結婚してからいつもまっすぐ家に帰っていたので、実に久しぶりだった。春江との交際期間にも、それほど呑みに行くこともなかったので、思い出すのは春江と知り合った時のことだった。
 せっかく気分転換で出張に来たのに、今さら思い出すというのも辛いものだ。
 と感じていたが、グラスに口をつけると、少しずつ意識が薄らいでくるようだった。
――酔いが回ってきたのかな――
 それにしても、グラス一杯も呑んでいないのに、ここまで酔うのは疲れが溜まっている証拠かも知れない。口数が少なくなるのも当然で、顔色も冴えないことだろう。
 支店長が気を遣ってくれるのは嬉しかったが、だからといって話して分かるものではないだろう。
 以前であれば、ベラベラと喋っていたかも知れない。自分の立場を考えることもなく、若さゆえと思っていた。甘えがあったのだろう。
 甘えも若さの特権と言ってしまえば、あまりにも自分に都合がいい。だが、実際に何をやってもうまく行くと思っていた時期があったのは間違いではない。
 それも周期的にやってくるもののようだ。逆に何をやってもうまく行かないこともあり、そんな時は何もしないに限る。若いくせによく分かっていると自分で思っているが、若さゆえ、何でも考えられるからではないだろうか。
 支店長も、
「言いたくなければ言わなくてもいいさ。何かあった時は上司に相談してみるのもいいことだ」
 と言ってくれた。清水はただ頷くしかなかった。
 食事を済ませ、ホテルまで戻ることにした。
 ホテルは一度以前に先輩社員と出張に来た時に泊まったことがあるので分かっていたが、夜景が綺麗だったのを思い出した。ホテル自体が小さな丘の上に建っていて、街全体を見渡せるようになっている。部屋のカーテンを開けて街の明かりを見たことがあったのを思い出していた。
 このホテルに泊まったのは、まだ結婚前だっただろうか。同じ一人の部屋といっても、ホテルの部屋は狭すぎる。本当に仕事でのみの宿という感じであった。
 朝食はバイキング、ビジネスホテルでは多いのだろうが、静かなロビーに響く軽音楽を聴きながらの食事は爽快だった。仕事での出張とはいえ、それくらいの気分は味わいたいものである。
 結婚するまで、朝食はあまり食べることはなかった。朝を食べても食べなくても、同じように昼になるとお腹が減る。それを考えると、朝の貴重な時間を少しでも寝ていたいと思うのは清水だけではあるまい。
 しかも、朝来てすぐは、胃袋がまだ眠っているようだ。子供の頃はそんなことお構いなしに、
「朝はちゃんと食べないとダメだぞ」
 というのが父親の考えで、いつもご飯と味噌汁だった。
 毎日のように学校に行く前に食欲もない状態で食べさせられる朝食は苦痛だった。味噌汁の匂いを朝毎日のように嗅いでいると、時々吐き気を催してくる。それでも、お茶で流し込んで何とか食べていると、もう何も食べたくなくなってくる。一人暮らしをするようになってから、最初の頃は朝パンを食べていた。パンの焼ける香ばしい香りに、実は憧れていたのである。
――家で朝食がパン食だったら、ここまでの苦痛はなかったかも知れないな――
 と感じていたが、それも最初だけだった。
 パン食も続けると、胃袋がいつの間にか受け付けなくなってしまっている。なぜなのかしばらく分からなかった。
 清水は好きなものを続けるタイプだった。
「これ、おいしい」
 と感じると、毎日でもいい。大学の近くにあった喫茶店のピラフがおいしいと思って、半年、昼食に同じメニューを続けたこともあった。
「もう、見たくないと思うまで続けるのさ」
 同じメニューを続ける清水に、まわりは半分呆れ顔だった。清水からすれば、
「どうして、好きなものがあるなら、皆毎日でも食べないのだろう?」
 と言いたいくらいであったが、それをずっと疑問に思っていた。
「清水は、好きなものを最初に食べるタイプなのか、それとも最後に残すタイプなのか、どちらなんだい?」
 と聞かれたことがあった。
「僕は好きなものを最後に残すタイプですね」
「どうしてだい?」
「理由はハッキリと言い切れないけど、飽和状態になった時に、あまり次第に味が落ちて行くというのも辛いでしょう?」
「でも、最初に好きなものを食べると、好きなものを一番おいしい時に食べることになるんだよ」
「確かにそうですが、残したくはないので、最後に好きなものを取っておきますね」
――残したくない――
 確かに子供の頃から、食事を残すと怒られたものだ。何とかしてお茶で流し込もうとしたくらいだったからだ。残すくらいなら、最初から食べない方がいいとさえ思っていたくらいである。
「清水は平均的な考えなんだね」
「どうして?」
「だってそうだろう。冒険もあまりするタイプではないし、好きなものを一番おいしい時に食べるよりも、あまり好きでもないものも最後まで食べる。そういう性格なんだろうね」
「あまり面白くない性格なのかも知れないな」
「でも、きっと、最後は君のような性格が生き残る気がするんだよね」
 その時の友達の言葉が頭に残った。今でも時々思い出すくらいである。出張で行ったビジネスホテルへ帰る時、なぜかその言葉を思い出していた。
 食事を終えると、軽く酔ってしまった。宿へはタクシーを使ったのだが、その時、途中にある坂を歩いてみたいと思ったのは、酔いを覚ましたいという気持ちが強かったからに違いない。
 だが、それだけだったのだろうか。
 夜の帳の下りた道を歩くのは久しぶりだった。しかもあまり知らない街を歩くのは、気分転換にはもってこいである。
――そういえば、前に先輩と来た時も、一度歩いてみたいと思ったんだっけ――
作品名:短編集56(過去作品) 作家名:森本晃次